日本大学危機管理学部教授 鈴木秀洋/協力 工藤奈美
【目次】(青字が今回掲載分) 第1回 剣太からのバトン─時間は当事者の気持ちを軽くしない 第2回 剣太事件概観─剣太誕生・事件当日・部活・被害者として 第3回 学校・行政対応のまずさ(1) ─危機管理学・行政法学・被害者学の視点から 第4回 学校・行政対応のまずさ(2) ─事故調査委員会・教員の処分 【緊急特報】裁判記録は魂の記録である 第5回 損害賠償請求事件(大分地裁) ─最初の闘い・地裁判決の法的位置付け 第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁) 第7 大分地裁口頭弁論と立証活動 第8 遺族にとっての進行協議期日 第9 妹から剣兄へ。母から剣君へ 第10(予定) 証人尋問 第11(予定) 第一審判決 第12(予定) 損害賠償請求上訴事件 第13(予定) 刑事告訴・検察審査会 第14(予定) 裁判を終えて 第15(予定) 新たなステージ(剣太はみんなの心の中に) |
令和5年8月22日は、剣太の14回目の命日である。
1 妹から剣兄へ
剣兄のこと少し向き合ってみる。
剣兄ごめんね……。思い出さないようにしてて、友達にも隠して、2人兄妹って言って。活動も手伝わなくて。ずっと、ずっと苦しかったよ……。
剣兄が死んだときとてもつらくて、でもどうしていいか分からなくて。周りの人にも頼れなくて。気が狂いそうだった。「思い出さない」そうすることでなんとか日常生活を保ってたの。
お父さんやお母さんが立ち上がって、活動始めたとき、本当は剣兄が批判されるのが嫌だった。
そして、皆が頑張っている中で、向き合えない自分が大嫌いで、負い目を感じてた。
自分なりに受け入れようとしてみたこともあった。誰かに相談すべきだとも思った。
でもどう話していいか分からないし、話しているうちに自分が壊れてしまうと思ってできなかった。
大学生のとき、同じように兄弟を亡くした人からインタビューを受けた。小学生みたいに泣きながら、言葉が何度も喉につまって途切れながら、やっと自分の思いを言えた。その人は「生きやすいように生きていいんだよ」と言ってくれて楽になった。当時はまだ難しかったけれど、26歳になった今、少しずつ自分を許せるようになった。仕方なかったんだと、かわいそうだったと思えるようになった。
久しぶりに剣兄の写真や動画を見て、優しかった思い出が蘇った。少しほっこりしたよ。