日本大学危機管理学部 鈴木秀洋/協力 工藤奈美
この連載の剣太事件を通して、法的知識とリーガルマインドを身につけ、自治体において命を守るとはどういうことか、修得してほしい。
【目次】(青字が今回掲載分) 第1回 剣太からのバトン─時間は当事者の気持ちを軽くしない 第2回 剣太事件概観─剣太誕生・事件当日・部活・被害者として 第3回 学校・行政対応のまずさ(1) ─危機管理学・行政法学・被害者学の視点から 第4回 学校・行政対応のまずさ(2) ─事故調査委員会・教員の処分 (【緊急特報】裁判記録は魂の記録である) 第5回 損害賠償請求事件(大分地裁) ─最初の闘い・地裁判決の法的位置付け 第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁) 第7回 口頭弁論と立証活動(大分地裁) 第8回 現地進行協議と証人尋問(大分地裁) 第9回 損害賠償請求上訴事件 第10回 刑事告訴・検察審査会 第11回 裁判を終えて 第12回 新たなステージ(剣太はみんなの心の中に) |
(編集部注:2023年4月25日 目次及び第1~6回タイトルを修正いたしました)
1 剣太の誕生
剣太は、1992(平成4)年5月27日、英士さんと奈美さんの長男として生まれた。広大な大分の久住の地で、たくましく、そして愛情いっぱいに育てられた。
剣道の有段者であった英士さん、太鼓を得意としていた奈美さん、二人の熱い思い入れのある一字を名前に込めた(1)。剣太がどれだけ大事に育てられたか、奈美さんは剣太の話を始めると止まらなくなる。また、いとこをはじめ親族からの話を聞けば、剣太が親族の中でどれだけ人望が厚く精神的支柱であったかが分かる(こうした剣太の子ども時代の軌跡については、また後で書くこととする)。
小学校1年生から剣道を始めた剣太は、人の命を助ける救急救命士になることを将来の進路として決めていた。