日本大学危機管理学部 鈴木秀洋/協力 工藤奈美
【目次】(青字が今回掲載分) 第1回 剣太からのバトン─時間は当事者の気持ちを軽くしない 第2回 剣太事件概観─剣太誕生・事件当日・部活・被害者として 第3回 学校・行政対応のまずさ(1) ─危機管理学・行政法学・被害者学の視点から 第4回 学校・行政対応のまずさ(2) ─事故調査委員会・教員の処分 (【緊急特報】裁判記録は魂の記録である) 第5回 損害賠償請求事件(大分地裁) ─最初の闘い・地裁判決の法的位置付け 第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁) 第7回 口頭弁論と立証活動(大分地裁) 第8回 現地進行協議と証人尋問(大分地裁) 第9回 損害賠償請求上訴事件 第10回 刑事告訴・検察審査会 第11回 裁判を終えて 第12回 新たなステージ(剣太はみんなの心の中に) |
(編集部注:2023年4月25日 目次及び第1~6回タイトルを修正いたしました)
1 剣太事件の裁判所での最初の闘い──損害賠償請求訴訟の開始
現行の裁判制度では、基本的に、原告側が事実(主張)と証拠(立証)の責任を負う建前がとられている(弁論主義の原則(1))。
そのため、学校事故等により命を失った我が子の裁判に臨む遺族は、悲嘆に暮れることすら現実には許されていない。なぜならば、憲法上裁判を受ける権利(32条)が保障されているとはいえ、裁判の基本である証拠については、自らの手で収集しないことには、裁判で裁判官が原告遺族のために証拠を集めて判断してくれるようにはなっていないからである。その上、学校という外部からは知り得ない密室の中で行われた出来事については、その事実と証拠を収集することは極めて困難なのである。最初から裁判における秤(はかり)は、被告(行政)側に傾いていて、不平等なのである。原告遺族からすれば、進もうとしても、その行き先は、壁・ハードルだらけなのである。
では、どうしてきたのだろうか。遺族は、何度も諦め、途方に暮れる。協力を求めて証言を集める作業、行政側に情報開示請求を行い文書等から事実関係をたどる作業など、いばらの道をほふく前進するような、台風豪雨の中を傘もなく歩くような、そんな日々を過ごすことになる。
剣太事件は、剣太が亡くなってから約半年間こうした作業を経て、平成22年3月2日に、大分地裁に訴状を提出する。そして、同年4月22日に第1回口頭弁論期日を迎える。
大分地裁第1回口頭弁論では、英士さんが裁判所で直接意見陳述を行っているので原文のまま紹介する。ご両親は自らに一分の非がないにもかかわらず、自らを責める、悔いる気持ちにさえなってしまっている。そして、何をどうすればよいのか分からない中で、事件を知ってもらい、協力者を募ろうと、「剣太の会」(2)の3人のメンバーとともに次のような冊子(パンフレット)(3)を作成し街頭署名にも立って配布したりもしてきた。
英士さんと奈美さんが想いをつづり、印刷して配布して回った
この冊子に、当時の英士さんの裁判への想(おも)いがつづられている。この想いを知ることなく、この事件を理解することはできないであろう。