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2023.03.10 議員活動

第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁)

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3 裁判に至った経緯(父工藤英士)

 [裁判に至った経緯]
 私たちが裁判に踏み切った経緯を簡単にお話しいたします。
 まず、申し上げたいのは、私たちは決してはじめから裁判を起こすつもりはありませんでした。県や学校が、正直にあったことをあったと説明し、誠意ある行動をとってくれてさえいれば、裁判など起こす必要はなかったのです。

 平成21年8月22日、顧問より電話を受け、剣太が剣道場から運ばれたという緒方町の「公立おがた総合病院」へ向かいました。そこで見た剣太は浅く荒い呼吸で目をカッと見開き、その目は血走っていました。時折「うおー!」とベッドから起き上がり暴れるので、私が両手で剣太の体を押さえつける状態でした。こちらからの呼びかけには何の反応もせず、ただ小刻みに痙攣(けいれん)し、視線も定まっていませんでした。
 淡々と処置を行う医師と看護師、「剣太はどうなってしまうのか……」不安で頭がいっぱいでした。
 顧問は処置室と廊下を行き来し、副顧問は処置室の前にじっと座っていました。
 私に対し顧問は「今日はそんなにキツイ練習はしていない」というばかりでした。
 しばらくして妻が病院に到着しました。妻は剣太の処置室での姿を見るなり泣き出し、震えながら息子の名前を何度も呼びました。
 その数時間後、目は乾ききって閉じることもできず、大きな前歯は1本折られ、変わり果てた姿で剣太は息を引き取りました。
 そのとき、弟、風音は母親に「先生はよくやってくれたよ……」と、ただそれだけいいました。
 しかし、時間がたつにつれ、その様子がおかしいことに気づき始め、剣道部の部活中に何があったのか風音に詳しく尋ねました。「よくやってくれた!」、「でも、俺、警察で全部話したけん!」、「『そこまで思い出させてごめんな』って警察の人がいうぐらいまで話したけん!」。
 風音は何か思い詰めたように話し始めました。私たちもようやく「先生はよくやってくれた……」の意味が分かり、真実が分かってきました。風音は最初、私たちをこれ以上悲しませてはいけないと思って、あまり多くを語らなかったのです。
 風音が少しずつ話し始めました。8月22日のその日、剣太は剣道部の練習中に熱中症を発症し、ふらつき、荒い呼吸、さらには意識障害などが見られ始めていたのです。ところが、剣太がふらつき始めてから「演技をするな! そげん演技はせんでいいぞ」と顧問はいいました。そして剣太一人に厳しい練習を課したときも、腰が「く」の字に曲がるほど蹴ったり、意識障害を起こし壁に何度もぶち当たり、とうとう倒れて動かなくなった意識もない剣太を、あの大きな手で何度も殴り続けたこと──。顧問の声だけに反応し、最後の力を振り絞り何度か目だけをうっすらと開けたこと──。
 風音は声を荒げ、涙を流しながら、自分が見たことを私たちに話しました。

 通夜の席で、顧問が私たちの前に座りました。
 風音は拳を振り上げ、泣きながら顧問に叫び続けました。今にも殴りかかろうとする風音を私たちの親戚の男性2人で押さえました。
 妻が顧問を問い詰めました。
 「ふらつく剣太を蹴ったり殴ったりしたんでしょ! なぜ!」。
 すると顧問は「気付けのためにやりました」と、その言葉だけを繰り返しました。
 親戚の者が副顧問に「なぜ止めなかった!」と怒鳴ると、「止めきりませんでした!」と数回大きな声で答えました。明らかに、おかしい答えです。
 翌、告別式の日、私たちはただ、剣太の最期をきちんと見送り、立派に旅立たせることだけを考えていました。式が終わり、火葬場へ到着すると剣太の顔は緑色に変わり、腐敗が激しくなっていました。
 ──どうしてこの子はこんな最期を遂げなければならなかったのか……。あんなに頑張って、とても優しいこの子がいったい何をしたというんだろうか! いや、剣太は何も悪いことはしていない! どうして剣太がどのようにして命を失うことになったのか、真実を明らかにしなければならない──いろんな思いが込み上げてきました。

 その夜、親戚の者から「悔いが残るんやったら弁護士に相談してみたらどうな?」といわれました。そのとき、初めて「裁判」という言葉が頭をよぎりましたが、まだ本当に裁判を起こそうという気持ちにまではなっていませんでした。

 剣太が亡くなり、4日後、私たちは学校からではなく、別の学校関係者から「保護者会があるらしい……」と聞きました。剣太の通っていた竹田高校に問い合わせると、確かに8月26日に保護者を集めての保護者会があるとのことでした。
 私は「何でうちに何の連絡もないんだ!」と校長に尋ねました。私たち自身にも学校からは剣太の死亡についてきちんとした報告がないままでしたし、剣道部での死亡事件について被害者である私たち抜きに学校が説明を行うこと自体に納得がいかなかったからです。校長は「いおうと思っていました」と苦し紛れに答えました。

 夜7時半から説明会が開かれる日の午後1時頃、県教委2人(この中には現、竹田高校校長の●●先生がいました)、校長、教頭、PTAの役員の方総勢8人が家に説明に来ました。
 その報告書を一読すると、それは顧問だけに聞き取りをし、どういう練習をし、どのように剣太の様子がおかしくなり、どういう処置を行い、救急車を要請、剣太の容体急変、死亡確認……という時系列ごとの、ごく簡単な報告書でした。
 そこで、剣道場にいて一部始終を見ていた風音を呼び、その報告書を読ませました。すると風音は怒りをあらわにし「誰がこんなこといったんですか? 事実と違うじゃないですか」といいました。そして意識がない剣太の胴を左足の膝で押さえ、左手で襟をつかみ、手を振り上げ、歯を食いしばり「演技するな」といいながら殴る顧問の様子を話しました。
 「今日の保護者説明会はとりやめてください! 保護者をわざわざ呼んでこの説明ですか」といいましたが、学校側は「この報告書を書き換えるわけにはいきません。今日はこれで説明します」といい、何時間たっても話は平行線のままでした。
 とうとう「その説明でやればいいじゃないですか! 私たちが真実を話しに行きますから!」というと、それを聞いて校長らは帰っていきました。

 その日の夜7時30分より竹田高校にて「保護者説明会」が開かれました。私たち夫婦は剣太の遺影を持ち、喪服を着て説明会に出席しました。
 顧問、副顧問不在の中、説明が始まりました。私たちに見せた簡単な説明の後は、他の生徒の心のケアについて、学校にカウンセラーによる相談体制をとり、生徒の保護者向けに「子どものケアをしてください」と剣太以外の生徒の心配ばかり──、あとは「調査委員会を設置します」ということを何度も繰り返しました。
 何の質疑もなく会は終わろうとしていました。それは当然でした。何も質問する箇所がないぐらい、学校には何の落ち度もありません……というような報告書だったからです。
 説明会の間、妻はずっと校長のことを見据えていました。拳を握り締め何度も校長のいるところまで出ていこうとしました。私は「最後まで聞いてから」と妻をとどめました。
 学校側の説明、そして質疑応答まで聞いてみなければ、最後に何か学校から謝罪の言葉や剣太の死を悼む言葉があるかもしれないと、私はかすかに希望を持っていましたが、最後まで何もなく、他の生徒のケアを一生懸命説明しているだけで、風音や私たち遺族に対しては一言のケアの言葉も、謝罪の言葉もありませんでした。
 何の質問も出ず、会が終わりに差し掛かったところで、妻が剣太の遺影を抱えて校長の前に立ち、風音が見ていた事実をマイクを使って保護者らに話しました。妻が言い足りない箇所は私が補足しました。
 その話を聞いて、保護者からたくさんの質問がありました。

 剣太の死後5日目……親戚の方から、とりあえず相談だけでも……と紹介していただいた弁護士の先生にお話しすると、「とにかく早く証言をとってください」といわれました。
 しかし、その弁護士の方は「県が相手なら私たちはお受けできません」といわれ、「徳田法律事務所」を紹介してくださいました。「県」を相手に裁判を起こしてくださる弁護士は少ない……ということも意外なことでした。しかし、何かのご縁で、徳田先生と亀井先生にお会いすることができました。
 剣太が亡くなって1週間ほどして、私たちは剣道部員の協力で証言を取り始めました。
私たちにとって、この証言を集めるという作業は、まだ死んで間もない息子が、親のいないところでどれだけ苦しみ、殴られ、亡くなっていったのかを思い知らされる、死にたくなるような作業でした。
 私が各部員の家に出向き、保護者の了解を得て、かつ保護者立ち会いの下、部員一人ひとりの話してくれたことを録音しました。家に持ち帰ると、録音したテープを何度も聞き直しながら妻が用紙に文を起こしました。妻は、ただ機械的に聞いて文字を記すだけ、内容を改めて読み直すことなんか絶対できない……死にたい、剣太のところに行きたい……とよくいっていました。
 剣道部員らが受けた心の傷は深く、ほとんどの子が竹刀を握れなくなっているような中で、一生懸命に思い出し、私たちに剣太の最後の姿を話してくれました。泣きながら証言してくれる子もいました。これらの貴重な証言があったからこそ、私たちは闘う準備ができたのです。本当に証言をしてくれた全ての部員に感謝しています。この大切な証言を持って徳田先生に届ける作業がしばらく続きました。
 「これだけの事実が明らかになれば、大分県が顧問、副顧問に厳しい処分を下すだろう、その処分に私たちが納得すれば、わざわざ裁判を起こすまでのこともないだろう」──私たちは、そのときまだ、県と学校を信じていたのです。
 処分を決定する教育委員協議のメンバー一人ひとりに私たちは手紙を出しました。「どうか息子を死に追いやった剣道部顧問・副顧問を懲戒免職にしてください!」と。
 しかし、出された処分は、顧問が停職6か月、副顧問は停職2か月でした。
 剣太の命を何だと思っているのか?
 また何ごともなかったように、知らん顔をして子どもたちの前に2人は立つ気なのか?
 学校は命の大切さ、尊さを一番に教えるところなのに、その学校で一人の人間が命を落とし、その原因となった顧問・副顧問の処分がこのように軽いものなのか?
 私たちの怒りは抑えられるものではありませんでした。そして、決断しました。
 最後まで闘う! 剣太の誇りのため、大分県の子どもたちを守るため、私たちのような悲しい家族を二度と出さないために!

 病院に関しては、徳田先生から「病院に行ってカルテをもらってきてください」といわれ、私たちは何も分からぬままカルテの開示請求をしました。後日、徳田先生にお渡しし、それを見た先生は即座に「これはひどい! 病院もやりましょう」といわれ、大分県、顧問、副顧問、豊後大野市(病院)を訴えることにしました。

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

この記事の著者

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

日本大学大学院危機管理学研究科教授兼日本大学危機管理学部教授。元文京区子ども家庭支援センター所長、男女協働課長、危機管理課長、総務課課長補佐、特別区法務部等歴任。都道府県、市区町村での審議会委員多数。法務博士(専門職)。保育士。著書に『自治体職員のための行政救済実務ハンドブック 改訂版』(第一法規、2021年)、『行政法の羅針盤』(成文堂、2020年)、『子を、親を、児童虐待から救う』(公職研、2019年)、『虐待・ⅮⅤ・性差別・災害等から市民を守る社会的弱者にしない自治体法務』(第一法規、2021年)等。

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