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2023.03.10 議員活動

第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁)

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4 意見陳述(平成22(2010)年4月22日)大分地裁第1回口頭弁論期日

 [意見陳述(11時30分~)]
 このたびは裁判長さんにこのような機会を与えていただき、ありがとうございます。
 私どもの長男・剣太は、平成4年5月27日に生まれました。初めての子であり、初孫でもあった剣太は周囲の者から愛され、久住の大自然の中、伸び伸びと心優しい子に育ちました。
 小さな頃から兄弟思いだった剣太には、いくつかのエピソードがあります。
 剣太が7歳の頃、やっと歯の生え始めた妹を抱っこしていると、急に剣太の肩をガブリとかみつきました。見ていた私たちが「剣太、大丈夫か!」と尋ねると、肩からうっすらと血がにじんでいましたが、「○○がしたことやけん全然痛くねんで」といって我慢していました。弟、風音とは1歳半違いの年子なので、双子のように育ちました。共働きのため、初めて保育園に預けたとき、寂しがって泣きやまない弟を3歳の剣太がずっと膝の上に抱いていたという話を保育士の先生に聞いたときは、「自分も不安で泣きたかっただろうに弟を心配し精いっぱい守っていたんだな……」といじらしく、私たちも涙が出ました。

 剣太と弟、風音が剣道を始めたきっかけは、私が剣道の指導者だったことが最も大きいと思います。私は、剣道からたくさんのことを学びました。剣太の「剣」はこの「剣の道」からとっています。心と体を鍛え、人を思いやれる立派な人間になってほしいと願い命名しました。親の想いを受け、剣太が小学校1年生、風音が保育園の年長さんのとき、同時に剣道を始めました。暑い日も、足がかじかむ寒い日も一生懸命剣道に励みました。剣太は、弟が高校を受験する際、「風音は態度が悪いけん、先輩から絶対目を付けられる! だから俺の下に入れてくれ」と親を説得し、弟を頑張らせました。
 剣太が亡くなった後、弟の風音から聞いた話ですが、高校に入るとクラスに同じ学校の出身者がいないこともあり、一人でいるところを見た剣太は毎日、昼休みになると1年の教室をのぞき、「風音集合!」と声をかけ廊下に連れ出し、自分の友だちと一緒に楽しく騒ぎ、教室に返す日が何日間か続いたそうです。剣道部の先輩が弟の携帯を取り上げてメールを声に出して読み上げていたとき、剣太が現れ「風音が『先輩、先輩』っていうけんっち調子に乗るな! こいつは我慢しちょるんぞ! 返せ!」と取り戻し、「ほらっ」と弟に渡したそうです。先輩、後輩の立場から何もいえず黙って耐えていた弟をかばってくれたんです。いつも困ったときには姿を現し守ってくれた剣太は、はじめに私たちにいった「俺の下に入れてくれ……」の言葉どおり常に弟を気にして見てくれていたんです。
 弟、風音がポツンと「全部はいわれんけど、剣太が俺にしてくれたことは半端ねぇ」といいました。こんなに弟思い、妹思いの剣太は、あの日を境に私たちの前からいなくなりました。8月22日……私たち家族を一瞬で地獄へ落とした日。私が連絡を受け病院へ向かい目にした剣太は変わり果てていました。目は閉じずに血走り、呼吸は荒く、意識はないのに時折「うおー?」と起き上がり暴れました。前の年の8月の合宿で熱中症になったときとは明らかに違う状態でした。1時間ほどして妻が病院に到着しましたが、剣太の顔を見るなり「剣くん! どうしたの! 何があったの! 何でこんな目に……」と泣き震え立っていられない様子でした。それから数時間後、剣太は家族に「さよなら……」さえいえずに一人で旅立ちました。17歳の若さで……。

 いったい何が起きたのか……それは一緒に練習をしていた部員、もちろん弟も全てを見ていました。
 何かにつけ剣太に強く当たっていた顧問は、当日も剣太に人の何倍も練習をさせ、約1時間半休憩も水分もとらせず、フラつく剣太に対し「演技じゃろうが! そげん演技せんでいいぞ!」などといい続け、「もう無理です」と助けを求めているにもかかわらず「まだできるやろうが!」などといい、強制で続けさせ、体がくの字に曲がるほど蹴ったり、意識障害を起こし何度も壁にぶち当たり、とうとう倒れて動けなくなった剣太を、足で体を押さえ、あの大きな手で何発も平手打ちし、「そういうのは熱中症じゃねぇ! 目を開けろ! 演技するな!」といっています。熱中症の講習を受けた人間がこんなひどい状態を目の当たりにして「熱中症じゃねえ!」といいきっているんです。信じられません!
 剣太は11年も真面目に剣道をやってきた人間です。そして遠のく意識の中で聞いた、短い人生最後の言葉が「演技をするな!」だったんです。何も抵抗できず、ただひたすら顧問のいうことを聞き続け、命が燃え尽きるまで忠実でいようとした剣太がかわいそうでたまりません。

 通夜の席で、私たちの前に座った顧問に対し、弟は拳を振り上げ体を震わせて「お前のことを剣太がどれだけビビッちょったか知っちょるんか? お前は剣太の防具がないところばっかり狙って打ちよったじゃねーか! お前が剣太を殺したんや! 俺がお前を殺す!」と泣きながら叫びました。兄が痛めつけられている姿を止めることもできず、ただ見ていなければならなかった弟……。学校や日常ではあんなに自分を守ってくれていた兄の最後の姿は、意識もないのに殴られ続ける姿だったんです。私たちにも想像を絶する状況です。この子が受けた深い深い傷は到底癒えるものではありませんでした。
 食欲もなく、夜、目を閉じると兄が殴られている姿が現れ眠ることもできなくなっていました。四十九日で魂まで向こうの世界へ旅立ってしまうことがつらく、「剣太が……剣太がおらんのや……剣太が横におらんのや……」と布団にくるまって声を上げ泣く日もありました。とうとう弟は「あそこに俺の居場所はない!」と転学してしまいました。

 剣太には別の学校にお付き合いをしている子がいました。
 通夜も葬儀も来てくれました。当日も部活の後、花火を見にいく約束をしていたようです。彼女は剣太に甚平をプレゼントしようと、こっそり用意してくれていました。二人は花火を見にいくことも、剣太はそれを着ることもできませんでした。「剣太にかけてあげてください」と手渡され、そっとお棺の上に広げました。彼女は、お棺に納められた剣太の顔を見るなり腰が砕け、お父さんに支えられながらその場を後にしました。
 彼女は毎月、月命日にきれいな籠盛りの花を贈ってくれます。気持ちは大変うれしいのですが、高校生のお小遣いで毎月花を買うのはかわいそうで、メールでですが「お花は高いからもういいよ」と妻が伝えると、「いいんです。せめて剣太のそばに置いてください」といってくれました。形見分けとして剣太がずっと使っていた財布を送り「もし、彼氏ができて不必要になったらいつでも送り返してね」と手紙を添えると、「私にとって剣太はずっと大切な人です。たとえ私が結婚して家庭を築いても大切に持っています」と返事が来ました。剣太ももっとたくさんの時間を彼女と過ごしたかっただろうし、生きていればこの先たくさんの恋もしたでしょう。厳しい練習の中、ちょっとでも会いにいったり、電話で話すことがどれだけ剣太の力になったことか、親としていろんな経験をもっともっとさせてあげたかったです。

 竹田高校や県教委からすれば「一人の剣道部員が死にました」の一言で片付けられるこの「工藤剣太」は、たった17歳でしたが、たくさんの人に愛を注ぎ、愛され、かけがえのない一人の尊い人間でした。「行ってきます」とただ部活をするため学校に行き、変わり果てた姿で戻ってきました。
 私たちは愛してやまない我が子にもう一生会うことはできません。一生懸命、顧問のいうことを聞き剣道に頑張っていた息子を、自分の気持ちが癒えるまでしごき続けた顧問。副顧問も途中で「休憩をとりませんか」や殴ったり蹴ったりの行為をじっと見ていたのではなく「先生、やめてください」と、もし止めてくれていたら、剣太は今頃、高校3年生になり、普通に学校に通い、「救急救命士」を目指し勉強と剣道に頑張っていたと思います。弟、風音も竹田高校の2年生として元気に学校に行けたと思います。
 これだけのことをしておきながら、顧問は停職6か月、副顧問は停職2か月の処分で終わりです。副顧問に関しては、もうよその学校で子どもたちの前に立っています。
 剣太が助けを求めても知らん顔で見殺しにした人間が、子どもの教育をしているんです。
 剣道では、子どもが頑張っている! と思うと顧問の指導がおかしいと思ってもなかなか意見をいえません。私たちもそうでした。顧問に歯向かえば試合に出してもらえないのではないか……子どもへの当たりがきつくなるのでは……と黙って心の中で泣いて見ていました。その結果、命までもとられることとなりました。
 顧問も、どこの学校に行っても部員や保護者がいいなりで逆らう者もいないため、行動がエスカレートしていき、相手が高校生で親から預かった大切な子どもという認識さえ分からなくなっていたのでしょう。
 顧問の言動の中に、剣太を殴りながら「俺は何人もの熱中症の人間を見ている! そんなのは熱中症の症状じゃねぇ! 演技じゃろうが?」といっています。しかし、病院で医師に「私は熱中症の人間を一人しか見ていない。それも軽い症状の……」といっている現場を弟の風音が偶然目撃していました。
 日頃、部員たちに立派な精神論をたたき込み、剣太には特に「お前は精神的に弱い?」と、随分と精神的虐待を行い、追い込んでいた人間が、指導の最中、死にそうな剣太に対し「演技してまでキツイふりをするな! 俺は熱中症の人間を何人も見ているがお前は演技だ!」と断言したいい方をしたにもかかわらず、結局は「軽い症状の熱中症の人間を一人見たことがあった……」程度のものだったんです。弟が見ていなければ分からない事実でした。剣太が亡くなり、顧問は「病院に通っている……」などという話も耳に入りましたが、病院どころか、命を絶ってあの子に会いにいきたいのは親の私たちです? 剣太が瀕死の状態のときには、「演技すんな! まだできるじゃろうが!」と死ぬまで剣道をやらせた人間が、自分だとすぐ病院に行き、さも精神的に参っているかのような行動! とても許せません! だったら、もっと早く剣太を病院に運んでほしかった……。
 どうして、教育委員会はこのような、人の道に反した非道な人間をまた教育の現場に戻そうとしているのでしょう?
 顧問はあと1月半もすれば教育者として子どもの前に立ちます。
 それを教育委員会は当たり前のように受け入れているんです。この顧問の人間性をどこまで把握し出した処分なのか、私たちには到底理解ができません。

 病院に関しては、剣太が救急車で搬送されたとき、病院の入り口付近で救急隊員の方と病院側とが押し問答し、病院になかなか受け入れてもらえなかったようです。複数の方が見ています。剣太は熱射病で一刻を争う事態なのに、もっと早く対応してくれていればと思うと残念でなりません。何より、「重度の熱射病」をただの「熱中症」と診断し、熱射病に必要な最善の処置をしていなかった……。このような対応は地域医療を担う救急病院とは思えません。命の尊さ大切さを教える学校で教師によって剣道の指導という名の下、リンチまがいのことをし、助けを求める剣太に対し暴力を振るい無理やりやらせ、救護措置が遅れ、副顧問は見て見ぬふりをし、これだけのことをしておきながら教育長、校長、教員は軽い処罰に甘んじ責任をとろうともせずに今の役職にしがみついています。顧問のいうとおりに一生懸命に練習をした高校生の命の重さとはこんなものなのでしようか。私には納得がいきません。
 最愛の息子剣太は、このような学校側と病院により殺され、亡くなりました。
 どうかお願いします、この裁判は公開裁判にしてください。
 剣太に対しどのようなことが行われてきたかを皆さんに知っていただき、今後、私たちのような、自らの命を絶ちたいほどの苦しみや悲しみを一生背負っていかなければならない人間がもう二度と出ないようにするためです。どうぞお願いいたします。
 私たちは、全国の同じ境遇にある方たちとも密に連絡を取り合っています。再発しないよう願っている方ばかりです。そして、この裁判の行方、大分県の対応をしっかりと見ています。
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(1) 裁判の基礎となる訴訟資料の収集と提出を当事者の権能及び責任とする主義であり、三つの原則が挙げられる。①裁判所は当事者によって主張されていない主要事実を判決の基礎とすることはできないとの原則。②裁判所は当事者に争いのない主張事実については当然に判決の基礎としなければならないという原則。③裁判所が調べることができる証拠は原告又は被告が証拠申出をしたものに限られるとの原則。なお、上記③については行政事件訴訟法24条に特別の規定が定められているが、実務上ほとんど行われていない(司法研修所編『(改訂)行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』(法曹会、2000年)。
(2) 剣太の会は、剣太の家族支援の有志の会として、平成22(2010)年2月13日に発足。英士さん・奈美さんとともに様々な過去の子どもたちの事件・事故に関して学ぶ過程で、再発防止のためには、各分野間の情報交換が重要であるとして、その後、保護者学習会の企画運営などにも積極的に取り組むようになった(「もう頑張らなくていいよ。」大分県立竹田高等学校剣道部死亡事件冊子より)。
(3) はじめに、「剣太への想い」(父)、裁判に至った経緯、時系列、意見陳述書(父)、夢、「剣太…」(母) などがつづられている。この冊子は多くの人の心に突き刺さるものがあったようである。いくつものエピソードがある。奈美さんが、大分市内で剣太事件への協力を依頼して街頭署名活動をしていたとき、ある方は、この冊子を受け取り、バスの中で読んで号泣してしまい、すぐにバスを降りて奈美さんのところに戻ってきて、泣きながら差し入れをしてくれたという。また、今年高校を卒業したある方は、中学時代の学校でのいじめなどのつらい学校生活時代、この剣太の冊子を抱いて泣いていたという。その後続く苦しい高校生活時代も、剣太の写真をカバンに入れ、帰るとそのカバンに向かって手を合わせながら高校生活を送っていたという。剣太の物語は、多くの人の心の中で生き続けている。
 


 


 

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

この記事の著者

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

日本大学大学院危機管理学研究科教授兼日本大学危機管理学部教授。元文京区子ども家庭支援センター所長、男女協働課長、危機管理課長、総務課課長補佐、特別区法務部等歴任。都道府県、市区町村での審議会委員多数。法務博士(専門職)。保育士。著書に『自治体職員のための行政救済実務ハンドブック 改訂版』(第一法規、2021年)、『行政法の羅針盤』(成文堂、2020年)、『子を、親を、児童虐待から救う』(公職研、2019年)、『虐待・ⅮⅤ・性差別・災害等から市民を守る社会的弱者にしない自治体法務』(第一法規、2021年)等。

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