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2023.03.10 議員活動

第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁)

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日本大学危機管理学部 鈴木秀洋/協力 工藤奈美

 
【目次】(青字が今回掲載分)

 第1回 剣太からのバトン─時間は当事者の気持ちを軽くしない
 第2回 剣太事件概観─剣太誕生・事件当日・部活・被害者として
 第3回 学校・行政対応のまずさ(1)
  ─危機管理学・行政法学・被害者学の視点から

 第4回 学校・行政対応のまずさ(2)
  ─事故調査委員会・教員の処分

 (【緊急特報】裁判記録は魂の記録である)
 第5回 損害賠償請求事件(大分地裁)
  ─最初の闘い・地裁判決の法的位置付け

 第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁)
 第7回 口頭弁論と立証活動(大分地裁)
 第8回 現地進行協議と証人尋問(大分地裁)
 第9回 損害賠償請求上訴事件
 第10回 刑事告訴・検察審査会
 第11回 裁判を終えて
 第12回 新たなステージ(剣太はみんなの心の中に)

(編集部注:2023年4月25日 目次及び第1~6回タイトルを修正いたしました)

1 剣太事件の裁判所での最初の闘い──損害賠償請求訴訟の開始

 
 現行の裁判制度では、基本的に、原告側が事実(主張)と証拠(立証)の責任を負う建前がとられている(弁論主義の原則(1))。
 そのため、学校事故等により命を失った我が子の裁判に臨む遺族は、悲嘆に暮れることすら現実には許されていない。なぜならば、憲法上裁判を受ける権利(32条)が保障されているとはいえ、裁判の基本である証拠については、自らの手で収集しないことには、裁判で裁判官が原告遺族のために証拠を集めて判断してくれるようにはなっていないからである。その上、学校という外部からは知り得ない密室の中で行われた出来事については、その事実と証拠を収集することは極めて困難なのである。最初から裁判における秤(はかり)は、被告(行政)側に傾いていて、不平等なのである。原告遺族からすれば、進もうとしても、その行き先は、壁・ハードルだらけなのである。
 では、どうしてきたのだろうか。遺族は、何度も諦め、途方に暮れる。協力を求めて証言を集める作業、行政側に情報開示請求を行い文書等から事実関係をたどる作業など、いばらの道をほふく前進するような、台風豪雨の中を傘もなく歩くような、そんな日々を過ごすことになる。
 剣太事件は、剣太が亡くなってから約半年間こうした作業を経て、平成22年3月2日に、大分地裁に訴状を提出する。そして、同年4月22日に第1回口頭弁論期日を迎える。
 大分地裁第1回口頭弁論では、英士さんが裁判所で直接意見陳述を行っているので原文のまま紹介する。ご両親は自らに一分の非がないにもかかわらず、自らを責める、悔いる気持ちにさえなってしまっている。そして、何をどうすればよいのか分からない中で、事件を知ってもらい、協力者を募ろうと、「剣太の会」(2)の3人のメンバーとともに次のような冊子(パンフレット)(3)を作成し街頭署名にも立って配布したりもしてきた。
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英士さんと奈美さんが想いをつづり、印刷して配布して回った

 この冊子に、当時の英士さんの裁判への想(おも)いがつづられている。この想いを知ることなく、この事件を理解することはできないであろう。
 

2 父の想い

 [剣太への想い……](父工藤英士)
 平成21年8月22日。私たち家族にとって忘れることのできない日になりました。
 その日、私は休みで、朝、剣太と風音(かざと)、それに同じ剣道部の子2人を乗せて学校まで送りました。
 車の中ではその日に限り剣太一人だけイヤホンで音楽を聞いてリラックスしていたのか、集中していたのか分かりませんが、ずっと黙り込んだままでした。

 あの日練習を見にいっていれば……。
 剣太はきつい思いをして死んでいくことはなかったはずです。
 学校、顧問、副顧問、病院を信頼しきっていて、我が子を助けてやることもできなかった自分に腹立たしさや情けなさ、愚かさを感じます。

 剣太が亡くなって、私は抜け殻のようになりました。
 自分が信じてやらせてきた剣道によって剣太を死なせてしまった……。
 私が殺してしまった! 剣道をさせていなければ剣太は死なずにすんだのに!
 今まで心を鬼にし、暑い日も寒い日も剣道をさせてきた私は、剣太にとっていい父親であったのか……。剣太は私を恨んでいるのではないだろうか……。
 「剣太、もう一度会いたい。お父さんに教えてくれ? お父さんはこれからどうやって生きていけばいいんだ……」と自分を責める毎日でした。

 剣太の話をすると、いまだに涙があふれ、それと同時に憎しみが込み上げてきます。
 もう、二度とかなわぬ夢ですが、剣太が将来の仕事に選んでいた「救急救命士」の制服を着た凛々(りり)しい姿を見たい。
 剣道三段に合格したときに見せた「おとん! やった?」といったうれしそうな顔。
 そんな剣太と剣を交えたかった……。

 あの日以来、私は竹刀を握れません。
 全てを目撃し、兄の死を受け入れなければならなかった弟・風音、優しく、厳しかった大好きな剣兄を突然亡くしてしまった妹・○○も同様です。

 私は剣太の剣道がとても好きでした。自ら攻めて打っていく真っすぐできれいな剣道が……。
 剣太の剣道は、私の誇りでした。
 しかし、その剣太と稽古することは、もうできなくなってしまいました。
 朝まで元気な姿でいたのに……17歳……あまりにも早すぎます!
 突然すぎます!
 どれだけ将来を楽しみにしていたか……。
 剣太もこの先やりたいことがたくさんあっただろうに、もう何一つすることはできなくなってしまいました。
 こんなに早く天国へいった剣太は、何かこの世にお役目を持って生まれてきた子なのかもしれない。もしそうならばそれは、同じような子どもを出さないことではないでしょうか。
 こんなに悲しみ、苦しみ、つらい思いをする家族を出さないために。
 何より親から預かった大切な子どもを安心して通わせる学校にするため……。
 私たちは、今できる精いっぱいのことをやり遂げようと思います。

 大切な我が子、剣太のために。
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3 裁判に至った経緯(父工藤英士)

 [裁判に至った経緯]
 私たちが裁判に踏み切った経緯を簡単にお話しいたします。
 まず、申し上げたいのは、私たちは決してはじめから裁判を起こすつもりはありませんでした。県や学校が、正直にあったことをあったと説明し、誠意ある行動をとってくれてさえいれば、裁判など起こす必要はなかったのです。

 平成21年8月22日、顧問より電話を受け、剣太が剣道場から運ばれたという緒方町の「公立おがた総合病院」へ向かいました。そこで見た剣太は浅く荒い呼吸で目をカッと見開き、その目は血走っていました。時折「うおー!」とベッドから起き上がり暴れるので、私が両手で剣太の体を押さえつける状態でした。こちらからの呼びかけには何の反応もせず、ただ小刻みに痙攣(けいれん)し、視線も定まっていませんでした。
 淡々と処置を行う医師と看護師、「剣太はどうなってしまうのか……」不安で頭がいっぱいでした。
 顧問は処置室と廊下を行き来し、副顧問は処置室の前にじっと座っていました。
 私に対し顧問は「今日はそんなにキツイ練習はしていない」というばかりでした。
 しばらくして妻が病院に到着しました。妻は剣太の処置室での姿を見るなり泣き出し、震えながら息子の名前を何度も呼びました。
 その数時間後、目は乾ききって閉じることもできず、大きな前歯は1本折られ、変わり果てた姿で剣太は息を引き取りました。
 そのとき、弟、風音は母親に「先生はよくやってくれたよ……」と、ただそれだけいいました。
 しかし、時間がたつにつれ、その様子がおかしいことに気づき始め、剣道部の部活中に何があったのか風音に詳しく尋ねました。「よくやってくれた!」、「でも、俺、警察で全部話したけん!」、「『そこまで思い出させてごめんな』って警察の人がいうぐらいまで話したけん!」。
 風音は何か思い詰めたように話し始めました。私たちもようやく「先生はよくやってくれた……」の意味が分かり、真実が分かってきました。風音は最初、私たちをこれ以上悲しませてはいけないと思って、あまり多くを語らなかったのです。
 風音が少しずつ話し始めました。8月22日のその日、剣太は剣道部の練習中に熱中症を発症し、ふらつき、荒い呼吸、さらには意識障害などが見られ始めていたのです。ところが、剣太がふらつき始めてから「演技をするな! そげん演技はせんでいいぞ」と顧問はいいました。そして剣太一人に厳しい練習を課したときも、腰が「く」の字に曲がるほど蹴ったり、意識障害を起こし壁に何度もぶち当たり、とうとう倒れて動かなくなった意識もない剣太を、あの大きな手で何度も殴り続けたこと──。顧問の声だけに反応し、最後の力を振り絞り何度か目だけをうっすらと開けたこと──。
 風音は声を荒げ、涙を流しながら、自分が見たことを私たちに話しました。

 通夜の席で、顧問が私たちの前に座りました。
 風音は拳を振り上げ、泣きながら顧問に叫び続けました。今にも殴りかかろうとする風音を私たちの親戚の男性2人で押さえました。
 妻が顧問を問い詰めました。
 「ふらつく剣太を蹴ったり殴ったりしたんでしょ! なぜ!」。
 すると顧問は「気付けのためにやりました」と、その言葉だけを繰り返しました。
 親戚の者が副顧問に「なぜ止めなかった!」と怒鳴ると、「止めきりませんでした!」と数回大きな声で答えました。明らかに、おかしい答えです。
 翌、告別式の日、私たちはただ、剣太の最期をきちんと見送り、立派に旅立たせることだけを考えていました。式が終わり、火葬場へ到着すると剣太の顔は緑色に変わり、腐敗が激しくなっていました。
 ──どうしてこの子はこんな最期を遂げなければならなかったのか……。あんなに頑張って、とても優しいこの子がいったい何をしたというんだろうか! いや、剣太は何も悪いことはしていない! どうして剣太がどのようにして命を失うことになったのか、真実を明らかにしなければならない──いろんな思いが込み上げてきました。

 その夜、親戚の者から「悔いが残るんやったら弁護士に相談してみたらどうな?」といわれました。そのとき、初めて「裁判」という言葉が頭をよぎりましたが、まだ本当に裁判を起こそうという気持ちにまではなっていませんでした。

 剣太が亡くなり、4日後、私たちは学校からではなく、別の学校関係者から「保護者会があるらしい……」と聞きました。剣太の通っていた竹田高校に問い合わせると、確かに8月26日に保護者を集めての保護者会があるとのことでした。
 私は「何でうちに何の連絡もないんだ!」と校長に尋ねました。私たち自身にも学校からは剣太の死亡についてきちんとした報告がないままでしたし、剣道部での死亡事件について被害者である私たち抜きに学校が説明を行うこと自体に納得がいかなかったからです。校長は「いおうと思っていました」と苦し紛れに答えました。

 夜7時半から説明会が開かれる日の午後1時頃、県教委2人(この中には現、竹田高校校長の●●先生がいました)、校長、教頭、PTAの役員の方総勢8人が家に説明に来ました。
 その報告書を一読すると、それは顧問だけに聞き取りをし、どういう練習をし、どのように剣太の様子がおかしくなり、どういう処置を行い、救急車を要請、剣太の容体急変、死亡確認……という時系列ごとの、ごく簡単な報告書でした。
 そこで、剣道場にいて一部始終を見ていた風音を呼び、その報告書を読ませました。すると風音は怒りをあらわにし「誰がこんなこといったんですか? 事実と違うじゃないですか」といいました。そして意識がない剣太の胴を左足の膝で押さえ、左手で襟をつかみ、手を振り上げ、歯を食いしばり「演技するな」といいながら殴る顧問の様子を話しました。
 「今日の保護者説明会はとりやめてください! 保護者をわざわざ呼んでこの説明ですか」といいましたが、学校側は「この報告書を書き換えるわけにはいきません。今日はこれで説明します」といい、何時間たっても話は平行線のままでした。
 とうとう「その説明でやればいいじゃないですか! 私たちが真実を話しに行きますから!」というと、それを聞いて校長らは帰っていきました。

 その日の夜7時30分より竹田高校にて「保護者説明会」が開かれました。私たち夫婦は剣太の遺影を持ち、喪服を着て説明会に出席しました。
 顧問、副顧問不在の中、説明が始まりました。私たちに見せた簡単な説明の後は、他の生徒の心のケアについて、学校にカウンセラーによる相談体制をとり、生徒の保護者向けに「子どものケアをしてください」と剣太以外の生徒の心配ばかり──、あとは「調査委員会を設置します」ということを何度も繰り返しました。
 何の質疑もなく会は終わろうとしていました。それは当然でした。何も質問する箇所がないぐらい、学校には何の落ち度もありません……というような報告書だったからです。
 説明会の間、妻はずっと校長のことを見据えていました。拳を握り締め何度も校長のいるところまで出ていこうとしました。私は「最後まで聞いてから」と妻をとどめました。
 学校側の説明、そして質疑応答まで聞いてみなければ、最後に何か学校から謝罪の言葉や剣太の死を悼む言葉があるかもしれないと、私はかすかに希望を持っていましたが、最後まで何もなく、他の生徒のケアを一生懸命説明しているだけで、風音や私たち遺族に対しては一言のケアの言葉も、謝罪の言葉もありませんでした。
 何の質問も出ず、会が終わりに差し掛かったところで、妻が剣太の遺影を抱えて校長の前に立ち、風音が見ていた事実をマイクを使って保護者らに話しました。妻が言い足りない箇所は私が補足しました。
 その話を聞いて、保護者からたくさんの質問がありました。

 剣太の死後5日目……親戚の方から、とりあえず相談だけでも……と紹介していただいた弁護士の先生にお話しすると、「とにかく早く証言をとってください」といわれました。
 しかし、その弁護士の方は「県が相手なら私たちはお受けできません」といわれ、「徳田法律事務所」を紹介してくださいました。「県」を相手に裁判を起こしてくださる弁護士は少ない……ということも意外なことでした。しかし、何かのご縁で、徳田先生と亀井先生にお会いすることができました。
 剣太が亡くなって1週間ほどして、私たちは剣道部員の協力で証言を取り始めました。
私たちにとって、この証言を集めるという作業は、まだ死んで間もない息子が、親のいないところでどれだけ苦しみ、殴られ、亡くなっていったのかを思い知らされる、死にたくなるような作業でした。
 私が各部員の家に出向き、保護者の了解を得て、かつ保護者立ち会いの下、部員一人ひとりの話してくれたことを録音しました。家に持ち帰ると、録音したテープを何度も聞き直しながら妻が用紙に文を起こしました。妻は、ただ機械的に聞いて文字を記すだけ、内容を改めて読み直すことなんか絶対できない……死にたい、剣太のところに行きたい……とよくいっていました。
 剣道部員らが受けた心の傷は深く、ほとんどの子が竹刀を握れなくなっているような中で、一生懸命に思い出し、私たちに剣太の最後の姿を話してくれました。泣きながら証言してくれる子もいました。これらの貴重な証言があったからこそ、私たちは闘う準備ができたのです。本当に証言をしてくれた全ての部員に感謝しています。この大切な証言を持って徳田先生に届ける作業がしばらく続きました。
 「これだけの事実が明らかになれば、大分県が顧問、副顧問に厳しい処分を下すだろう、その処分に私たちが納得すれば、わざわざ裁判を起こすまでのこともないだろう」──私たちは、そのときまだ、県と学校を信じていたのです。
 処分を決定する教育委員協議のメンバー一人ひとりに私たちは手紙を出しました。「どうか息子を死に追いやった剣道部顧問・副顧問を懲戒免職にしてください!」と。
 しかし、出された処分は、顧問が停職6か月、副顧問は停職2か月でした。
 剣太の命を何だと思っているのか?
 また何ごともなかったように、知らん顔をして子どもたちの前に2人は立つ気なのか?
 学校は命の大切さ、尊さを一番に教えるところなのに、その学校で一人の人間が命を落とし、その原因となった顧問・副顧問の処分がこのように軽いものなのか?
 私たちの怒りは抑えられるものではありませんでした。そして、決断しました。
 最後まで闘う! 剣太の誇りのため、大分県の子どもたちを守るため、私たちのような悲しい家族を二度と出さないために!

 病院に関しては、徳田先生から「病院に行ってカルテをもらってきてください」といわれ、私たちは何も分からぬままカルテの開示請求をしました。後日、徳田先生にお渡しし、それを見た先生は即座に「これはひどい! 病院もやりましょう」といわれ、大分県、顧問、副顧問、豊後大野市(病院)を訴えることにしました。

4 意見陳述(平成22(2010)年4月22日)大分地裁第1回口頭弁論期日

 [意見陳述(11時30分~)]
 このたびは裁判長さんにこのような機会を与えていただき、ありがとうございます。
 私どもの長男・剣太は、平成4年5月27日に生まれました。初めての子であり、初孫でもあった剣太は周囲の者から愛され、久住の大自然の中、伸び伸びと心優しい子に育ちました。
 小さな頃から兄弟思いだった剣太には、いくつかのエピソードがあります。
 剣太が7歳の頃、やっと歯の生え始めた妹を抱っこしていると、急に剣太の肩をガブリとかみつきました。見ていた私たちが「剣太、大丈夫か!」と尋ねると、肩からうっすらと血がにじんでいましたが、「○○がしたことやけん全然痛くねんで」といって我慢していました。弟、風音とは1歳半違いの年子なので、双子のように育ちました。共働きのため、初めて保育園に預けたとき、寂しがって泣きやまない弟を3歳の剣太がずっと膝の上に抱いていたという話を保育士の先生に聞いたときは、「自分も不安で泣きたかっただろうに弟を心配し精いっぱい守っていたんだな……」といじらしく、私たちも涙が出ました。

 剣太と弟、風音が剣道を始めたきっかけは、私が剣道の指導者だったことが最も大きいと思います。私は、剣道からたくさんのことを学びました。剣太の「剣」はこの「剣の道」からとっています。心と体を鍛え、人を思いやれる立派な人間になってほしいと願い命名しました。親の想いを受け、剣太が小学校1年生、風音が保育園の年長さんのとき、同時に剣道を始めました。暑い日も、足がかじかむ寒い日も一生懸命剣道に励みました。剣太は、弟が高校を受験する際、「風音は態度が悪いけん、先輩から絶対目を付けられる! だから俺の下に入れてくれ」と親を説得し、弟を頑張らせました。
 剣太が亡くなった後、弟の風音から聞いた話ですが、高校に入るとクラスに同じ学校の出身者がいないこともあり、一人でいるところを見た剣太は毎日、昼休みになると1年の教室をのぞき、「風音集合!」と声をかけ廊下に連れ出し、自分の友だちと一緒に楽しく騒ぎ、教室に返す日が何日間か続いたそうです。剣道部の先輩が弟の携帯を取り上げてメールを声に出して読み上げていたとき、剣太が現れ「風音が『先輩、先輩』っていうけんっち調子に乗るな! こいつは我慢しちょるんぞ! 返せ!」と取り戻し、「ほらっ」と弟に渡したそうです。先輩、後輩の立場から何もいえず黙って耐えていた弟をかばってくれたんです。いつも困ったときには姿を現し守ってくれた剣太は、はじめに私たちにいった「俺の下に入れてくれ……」の言葉どおり常に弟を気にして見てくれていたんです。
 弟、風音がポツンと「全部はいわれんけど、剣太が俺にしてくれたことは半端ねぇ」といいました。こんなに弟思い、妹思いの剣太は、あの日を境に私たちの前からいなくなりました。8月22日……私たち家族を一瞬で地獄へ落とした日。私が連絡を受け病院へ向かい目にした剣太は変わり果てていました。目は閉じずに血走り、呼吸は荒く、意識はないのに時折「うおー?」と起き上がり暴れました。前の年の8月の合宿で熱中症になったときとは明らかに違う状態でした。1時間ほどして妻が病院に到着しましたが、剣太の顔を見るなり「剣くん! どうしたの! 何があったの! 何でこんな目に……」と泣き震え立っていられない様子でした。それから数時間後、剣太は家族に「さよなら……」さえいえずに一人で旅立ちました。17歳の若さで……。

 いったい何が起きたのか……それは一緒に練習をしていた部員、もちろん弟も全てを見ていました。
 何かにつけ剣太に強く当たっていた顧問は、当日も剣太に人の何倍も練習をさせ、約1時間半休憩も水分もとらせず、フラつく剣太に対し「演技じゃろうが! そげん演技せんでいいぞ!」などといい続け、「もう無理です」と助けを求めているにもかかわらず「まだできるやろうが!」などといい、強制で続けさせ、体がくの字に曲がるほど蹴ったり、意識障害を起こし何度も壁にぶち当たり、とうとう倒れて動けなくなった剣太を、足で体を押さえ、あの大きな手で何発も平手打ちし、「そういうのは熱中症じゃねぇ! 目を開けろ! 演技するな!」といっています。熱中症の講習を受けた人間がこんなひどい状態を目の当たりにして「熱中症じゃねえ!」といいきっているんです。信じられません!
 剣太は11年も真面目に剣道をやってきた人間です。そして遠のく意識の中で聞いた、短い人生最後の言葉が「演技をするな!」だったんです。何も抵抗できず、ただひたすら顧問のいうことを聞き続け、命が燃え尽きるまで忠実でいようとした剣太がかわいそうでたまりません。

 通夜の席で、私たちの前に座った顧問に対し、弟は拳を振り上げ体を震わせて「お前のことを剣太がどれだけビビッちょったか知っちょるんか? お前は剣太の防具がないところばっかり狙って打ちよったじゃねーか! お前が剣太を殺したんや! 俺がお前を殺す!」と泣きながら叫びました。兄が痛めつけられている姿を止めることもできず、ただ見ていなければならなかった弟……。学校や日常ではあんなに自分を守ってくれていた兄の最後の姿は、意識もないのに殴られ続ける姿だったんです。私たちにも想像を絶する状況です。この子が受けた深い深い傷は到底癒えるものではありませんでした。
 食欲もなく、夜、目を閉じると兄が殴られている姿が現れ眠ることもできなくなっていました。四十九日で魂まで向こうの世界へ旅立ってしまうことがつらく、「剣太が……剣太がおらんのや……剣太が横におらんのや……」と布団にくるまって声を上げ泣く日もありました。とうとう弟は「あそこに俺の居場所はない!」と転学してしまいました。

 剣太には別の学校にお付き合いをしている子がいました。
 通夜も葬儀も来てくれました。当日も部活の後、花火を見にいく約束をしていたようです。彼女は剣太に甚平をプレゼントしようと、こっそり用意してくれていました。二人は花火を見にいくことも、剣太はそれを着ることもできませんでした。「剣太にかけてあげてください」と手渡され、そっとお棺の上に広げました。彼女は、お棺に納められた剣太の顔を見るなり腰が砕け、お父さんに支えられながらその場を後にしました。
 彼女は毎月、月命日にきれいな籠盛りの花を贈ってくれます。気持ちは大変うれしいのですが、高校生のお小遣いで毎月花を買うのはかわいそうで、メールでですが「お花は高いからもういいよ」と妻が伝えると、「いいんです。せめて剣太のそばに置いてください」といってくれました。形見分けとして剣太がずっと使っていた財布を送り「もし、彼氏ができて不必要になったらいつでも送り返してね」と手紙を添えると、「私にとって剣太はずっと大切な人です。たとえ私が結婚して家庭を築いても大切に持っています」と返事が来ました。剣太ももっとたくさんの時間を彼女と過ごしたかっただろうし、生きていればこの先たくさんの恋もしたでしょう。厳しい練習の中、ちょっとでも会いにいったり、電話で話すことがどれだけ剣太の力になったことか、親としていろんな経験をもっともっとさせてあげたかったです。

 竹田高校や県教委からすれば「一人の剣道部員が死にました」の一言で片付けられるこの「工藤剣太」は、たった17歳でしたが、たくさんの人に愛を注ぎ、愛され、かけがえのない一人の尊い人間でした。「行ってきます」とただ部活をするため学校に行き、変わり果てた姿で戻ってきました。
 私たちは愛してやまない我が子にもう一生会うことはできません。一生懸命、顧問のいうことを聞き剣道に頑張っていた息子を、自分の気持ちが癒えるまでしごき続けた顧問。副顧問も途中で「休憩をとりませんか」や殴ったり蹴ったりの行為をじっと見ていたのではなく「先生、やめてください」と、もし止めてくれていたら、剣太は今頃、高校3年生になり、普通に学校に通い、「救急救命士」を目指し勉強と剣道に頑張っていたと思います。弟、風音も竹田高校の2年生として元気に学校に行けたと思います。
 これだけのことをしておきながら、顧問は停職6か月、副顧問は停職2か月の処分で終わりです。副顧問に関しては、もうよその学校で子どもたちの前に立っています。
 剣太が助けを求めても知らん顔で見殺しにした人間が、子どもの教育をしているんです。
 剣道では、子どもが頑張っている! と思うと顧問の指導がおかしいと思ってもなかなか意見をいえません。私たちもそうでした。顧問に歯向かえば試合に出してもらえないのではないか……子どもへの当たりがきつくなるのでは……と黙って心の中で泣いて見ていました。その結果、命までもとられることとなりました。
 顧問も、どこの学校に行っても部員や保護者がいいなりで逆らう者もいないため、行動がエスカレートしていき、相手が高校生で親から預かった大切な子どもという認識さえ分からなくなっていたのでしょう。
 顧問の言動の中に、剣太を殴りながら「俺は何人もの熱中症の人間を見ている! そんなのは熱中症の症状じゃねぇ! 演技じゃろうが?」といっています。しかし、病院で医師に「私は熱中症の人間を一人しか見ていない。それも軽い症状の……」といっている現場を弟の風音が偶然目撃していました。
 日頃、部員たちに立派な精神論をたたき込み、剣太には特に「お前は精神的に弱い?」と、随分と精神的虐待を行い、追い込んでいた人間が、指導の最中、死にそうな剣太に対し「演技してまでキツイふりをするな! 俺は熱中症の人間を何人も見ているがお前は演技だ!」と断言したいい方をしたにもかかわらず、結局は「軽い症状の熱中症の人間を一人見たことがあった……」程度のものだったんです。弟が見ていなければ分からない事実でした。剣太が亡くなり、顧問は「病院に通っている……」などという話も耳に入りましたが、病院どころか、命を絶ってあの子に会いにいきたいのは親の私たちです? 剣太が瀕死の状態のときには、「演技すんな! まだできるじゃろうが!」と死ぬまで剣道をやらせた人間が、自分だとすぐ病院に行き、さも精神的に参っているかのような行動! とても許せません! だったら、もっと早く剣太を病院に運んでほしかった……。
 どうして、教育委員会はこのような、人の道に反した非道な人間をまた教育の現場に戻そうとしているのでしょう?
 顧問はあと1月半もすれば教育者として子どもの前に立ちます。
 それを教育委員会は当たり前のように受け入れているんです。この顧問の人間性をどこまで把握し出した処分なのか、私たちには到底理解ができません。

 病院に関しては、剣太が救急車で搬送されたとき、病院の入り口付近で救急隊員の方と病院側とが押し問答し、病院になかなか受け入れてもらえなかったようです。複数の方が見ています。剣太は熱射病で一刻を争う事態なのに、もっと早く対応してくれていればと思うと残念でなりません。何より、「重度の熱射病」をただの「熱中症」と診断し、熱射病に必要な最善の処置をしていなかった……。このような対応は地域医療を担う救急病院とは思えません。命の尊さ大切さを教える学校で教師によって剣道の指導という名の下、リンチまがいのことをし、助けを求める剣太に対し暴力を振るい無理やりやらせ、救護措置が遅れ、副顧問は見て見ぬふりをし、これだけのことをしておきながら教育長、校長、教員は軽い処罰に甘んじ責任をとろうともせずに今の役職にしがみついています。顧問のいうとおりに一生懸命に練習をした高校生の命の重さとはこんなものなのでしようか。私には納得がいきません。
 最愛の息子剣太は、このような学校側と病院により殺され、亡くなりました。
 どうかお願いします、この裁判は公開裁判にしてください。
 剣太に対しどのようなことが行われてきたかを皆さんに知っていただき、今後、私たちのような、自らの命を絶ちたいほどの苦しみや悲しみを一生背負っていかなければならない人間がもう二度と出ないようにするためです。どうぞお願いいたします。
 私たちは、全国の同じ境遇にある方たちとも密に連絡を取り合っています。再発しないよう願っている方ばかりです。そして、この裁判の行方、大分県の対応をしっかりと見ています。
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(1) 裁判の基礎となる訴訟資料の収集と提出を当事者の権能及び責任とする主義であり、三つの原則が挙げられる。①裁判所は当事者によって主張されていない主要事実を判決の基礎とすることはできないとの原則。②裁判所は当事者に争いのない主張事実については当然に判決の基礎としなければならないという原則。③裁判所が調べることができる証拠は原告又は被告が証拠申出をしたものに限られるとの原則。なお、上記③については行政事件訴訟法24条に特別の規定が定められているが、実務上ほとんど行われていない(司法研修所編『(改訂)行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』(法曹会、2000年)。
(2) 剣太の会は、剣太の家族支援の有志の会として、平成22(2010)年2月13日に発足。英士さん・奈美さんとともに様々な過去の子どもたちの事件・事故に関して学ぶ過程で、再発防止のためには、各分野間の情報交換が重要であるとして、その後、保護者学習会の企画運営などにも積極的に取り組むようになった(「もう頑張らなくていいよ。」大分県立竹田高等学校剣道部死亡事件冊子より)。
(3) はじめに、「剣太への想い」(父)、裁判に至った経緯、時系列、意見陳述書(父)、夢、「剣太…」(母) などがつづられている。この冊子は多くの人の心に突き刺さるものがあったようである。いくつものエピソードがある。奈美さんが、大分市内で剣太事件への協力を依頼して街頭署名活動をしていたとき、ある方は、この冊子を受け取り、バスの中で読んで号泣してしまい、すぐにバスを降りて奈美さんのところに戻ってきて、泣きながら差し入れをしてくれたという。また、今年高校を卒業したある方は、中学時代の学校でのいじめなどのつらい学校生活時代、この剣太の冊子を抱いて泣いていたという。その後続く苦しい高校生活時代も、剣太の写真をカバンに入れ、帰るとそのカバンに向かって手を合わせながら高校生活を送っていたという。剣太の物語は、多くの人の心の中で生き続けている。
 


 


 

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

この記事の著者

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

日本大学大学院危機管理学研究科教授兼日本大学危機管理学部教授。元文京区子ども家庭支援センター所長、男女協働課長、危機管理課長、総務課課長補佐、特別区法務部等歴任。都道府県、市区町村での審議会委員多数。法務博士(専門職)。保育士。著書に『自治体職員のための行政救済実務ハンドブック 改訂版』(第一法規、2021年)、『行政法の羅針盤』(成文堂、2020年)、『子を、親を、児童虐待から救う』(公職研、2019年)、『虐待・ⅮⅤ・性差別・災害等から市民を守る社会的弱者にしない自治体法務』(第一法規、2021年)等。

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