2 母から剣君へ
母/工藤奈美
思い出す剣太の顔は、高校生のまま……
大人になった剣太を見たことがないから。
不思議といつも剣太は笑っています。
いまだに「けんた」、「けん君」と名前を呼び話しかけていますが、これまでのように名前を呼びながら涙を流す回数は随分減ってきました。
あの日から14年、あの夏をどう生きてきたのか思い出せません。
これまでを振り返り思うことは、多くの方を巻き込んで闘ってきた日々の苦悩。
当時は、目の奥に怒りを燃やし、裁判の証拠や証言を集め裁判に挑む、そのためには、より多くの方の賛同を得て社会の常識を変えていかねば! と意気込んでいました。
とても苦しかった時期ですが、当時の私たちが頑張ってくれたから、今こうして過ごせています。
当時の私に声をかけるとしたら……
「今は、何も見えていないだろうけど、あなたたちがやっていることは間違いじゃないよ」と伝えてあげたいです。
剣太の夢を何度か見ました。
夢で逢(あ)えるとうれしくて、剣太に触れた感触が目覚めても残っていたときもありました。
起き上がり現実に戻ると、そこに剣太はいません。
はじめの頃は「なんで剣太がいないの……」と涙があふれていましたが、今は「剣君、会いに来てくれたんやね! ありがとう!」と思えます。
真剣にこんなことを考えたこともあります。
「もし、年に一度だけ逢えたなら」
きっと日にちが近くなると、ソワソワして逢える日を指折り数えるでしょう。
しかし、あっという間に一日は終わり、またお別れしなければいけません。
それでも、顔が見れるだけでいい!
……でもまたつらい別れがやってくる。もうこの子と離れるのは嫌だ!
だったら、逢わない方が何度も何度もつらい別れをしなくてすむ。
主人は、こう言いました。そんな別れがあっても一年に一度顔が見れるなら、逢いたい!! また一年後を楽しみにすることができるから! と。
いくら、こんな妄想をしても一生、剣太に逢うことはできないのに……
どれだけ探しても地球上にいないのに……
今の楽しみは、私がこの世を卒業するときに剣太に逢えることです。
きっとお迎えに来てくれるでしょう。
そのとき「おかん、お疲れ様でした」と言ってくれるかな。
当時のようなキラキラの笑顔を見せてくれるかな。
その日が来るまで、遺(のこ)された家族と共に日々を大切に生きたいです。
今、思うこと。
この裁判を共に闘ってくださった弁護士の先生方、そして私たちに関わってくださった多くの方々への感謝の気持ちがとても大きいです。
ありがとうございました。
そして、今、剣太のことを伝え続けてくださっている鈴木先生をはじめ、大学の先生方、これから子どもたちに関わっていく学生さんたちに剣太の事件を知ってもらい、考えてもらえることは、多くの子どもたちを守ることにつながると信じています。
ですから、私たちが伝える機会があれば、動ける間はどこにでも足を運びます。
お話を聞かせたいと思ってくださる方、どうぞお声がけください。
あと何回、剣太の命日を迎えることになるのか分かりませんが、私たちの気持ちも時の流れと共に少しずつ変わってきています。
しかし視界が広がっても、大切な剣太を胸に抱き続けることは変わりません。
これからは、自分たちのことも少しいたわりながら過ごしていけたらと思っています(1)。