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2024.08.22 議員活動

第10回 剣太14回目の命日から15回目の命日までの間

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日本大学危機管理学部教授 鈴木秀洋/協力 工藤奈美

 
【目次】(青字が今回掲載分)

 第1回 剣太からのバトン─時間は当事者の気持ちを軽くしない
 第2回 剣太事件概観─剣太誕生・事件当日・部活・被害者として
 第3回 学校・行政対応のまずさ(1)
  ─危機管理学・行政法学・被害者学の視点から

 第4回 学校・行政対応のまずさ(2)
  ─事故調査委員会・教員の処分

 【緊急特報】裁判記録は魂の記録である
 第5回 損害賠償請求事件(大分地裁)
  ─最初の闘い・地裁判決の法的位置付け

 第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁)
 第7回 大分地裁口頭弁論と立証活動
 第8回 遺族にとっての進行協議期日
 第9回 妹から剣兄へ。母から剣君へ
 第10回 剣太14回目の命日から15回目の命日までの間
 第11回(予定) 証人尋問
 第12回(予定) 第一審判決
 第13回(予定) 損害賠償請求上訴事件
 第14回(予定) 刑事告訴・検察審査会
 第15回(予定) 裁判を終えて
 第16回(予定) 新たなステージ(剣太はみんなの心の中に)

 

 1 剣太事件執筆中断に至る心情分析〔筆者〕

(1)連載中断
 2023年8月(第9回)から今回(第10回)の連載まで1年間中断することになった。
 「剣太事件を社会に広く知ってもらうことが次の命を守ることにつながる」と確信している筆者にとって、なぜ1年もの間、連載が中断したのか、その間どんな思いでいたのか、振り返ってみたい。
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足跡

(2)執筆の重み
 第1に、筆者にとっての剣太事件(連載)との向き合い方がある。筆者にとって剣太事件の連載は、何度も剣太事件の記録を読み込み、たどる作業を行うことで、剣太が内面化されているのである。剣太は筆者の中に常時住んでいて一体化している。
 剣太の楽しい昔の思い出を英士さん・奈美さんから聞くことは何よりもうれしい。そして、きっと剣太が今この時代に生きていたら、こう発言し、行動していただろうと想像し、一緒に会話をし、景色を共有するなどして、心が温かい気持ちになること、背中を押されたりする気持ちになることが、度々あるのである。奈美さんと剣太のことを語り合っていると、剣太をすごく近くに感じる。しかし、当然のことのように、その後、襲ってくる感情は、「あー剣太に会いたいなぁ」、「直接話を聞きたいなぁ、話し合いたいなぁ」という喪失感である。それが繰り返される。
 第2に、上記と関係しているが、証人尋問の記録との向き合いが特別であるということである。第10回のテーマ設定を証人尋問としたのであるが、証人尋問(調書)は、一刻一刻と剣太が元顧問教員から暴行を受け、苦しみ抜いて死に向かう記録である。そしてまた、暴行を働いていた元顧問教員が、自らの暴行の正当性を裁判で主張している記録なのである。この記録を何度も読み込むこととなる。英士さんが剣太は裁判(証人尋問)で再度殺された(2度目)と心境を吐露しているように、また奈美さんが証人尋問で暴行を加えた元顧問教員と向き合うことについて、言葉に表せないほどの怒り・葛藤、つらさは地獄の苦しみであった(人間ではなく鬼になって向き合わなければならない、又は人間としては一度完全に壊れてしまった、とも話される)と吐露している、その一端(炎)に触れることなのである。
 この記録を繰り返し読む作業、記録の紙の1頁をめくる作業は、筆者としても、想像を絶する苦しみ・悲しみに襲われる、非常に重く、つらい作業であり、記録1枚1枚に相当の覚悟と魂込めをしない限りは、その頁1枚がめくれないほど重いのである。
 この点、遺族の方に伴走し気持ちを理解しよう……ということがよくいわれる。しかし、それは、とてつもなく難しい困難な道のりなのである。
 ただし、わずかでも理解しようという姿勢でいること、そうして生きていくことは、少しは可能かもしれない。否、そうしなければならないとの思いで、筆者は、剣太事件に限らず、これまで多くの命に関わる事件に向き合い、そうした中に自分の人生を設定し、歩んできた。
 しかし、2023年8月22日から、1年間この剣太事件連載に何度も再チャレンジしつつ、証人尋問というテーマ設定の前で心身が固まってしまったのである。

(3)連載への思い
 上記のとおりであるが、この1年、決して剣太と離れたわけではない。むしろ、剣太との関わりは深くなったといえる。行政法の授業で繰り返し剣太事件の講義を行い、子どもや教育に携わる人向けの自治体等の研修でも剣太事件を扱ってきた。日々の仕事や出張先にも剣太の遺品を持ち歩き、天国の剣太に話しかけ、剣太と同じ景色を見て、日常的に会話を続けてきた。奈美さんとも頻繁に会話を重ねた。
 だからこそかもしれない。一人で夜、気合いを入れて証人尋問記録に向き合うことは、どんどん気持ち的に苦しくなっていった。気合いを入れても、心が震え、感情があふれ出し、筆が進まず、記録を閉じる。別の作業や仕事に逃避しなければ、自分の感情をコントロールすることが難しい状態、ドキドキして過呼吸になるのではないかという状態が続いてしまったのである。
 こうした思いを抱きながら、この剣太事件の連載を続けている。このような筆者の思いを、15回目の剣太の命日を迎える前に吐露させてもらった。
 命は重い。
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「剣太の切り絵」※剣太の器用さが表れている

2 剣太……15回目の命日〔母/工藤奈美〕

 今回の連載に、剣太の「15回目の命日」について、改めて思いを文字にする機会をいただきました。私の頭の中ではいろいろなことがグルグルと駆け巡り、順序よく整理してお話しすることがとても難しいのです。
 何げなく主人に尋ねてみました。「これまで剣太のことをする中で一番つらかったことって何?」。すると主人は「一番近い身内に『もういい加減、裁判はやめろ!』といわれたことかな……」と即答しました。主人の気持ちは、全てを言わなくても分かります。その言葉が意味するのは、私たちに「もう全てを諦めろ」ということなんです。
 剣太の事件、そして剣太の死を諦めるとは、剣太に起きたことを妥協し認めるということ。そんなことできるわけがない。私たちが闘う姿を見てきた身内から出た言葉だったので、主人はなおさらつらかったのでしょう。このような会話は、剣太の15回目の命日を夫婦で語る時間をつくってくれました。
 次に、「剣太が亡くなった当時、どんな感情だった?」と尋ねました。こんなことを改めて話すことはなかったので、お互いの気持ちを言葉にしました。「つらいとか悲しいとか、そんな感情ではなかった。怒りと、『何で剣太が?』って信じられない気持ち、悪い夢から覚めないような……夢の中でもがき苦しむような感覚だったな……」。二人で答え合わせでもするように当時の気持ちを思い起こしました。当時はこんな感情を口にする余裕はなく、自分の気持ちなど押し殺して、まずは顔を上げ、両手をついて立ち上がることに必死でした。
 鈴木先生といろいろな会話をする中で、こんなことをいったことがありました。「先生が、もし剣太の親であったなら、もっと早くに裁判でいい結果を出せたでしょうね」と。すると先生はいいました。「もし自分だったら、果たして同じ闘いができたかどうか……」。法を勉強された方からすれば、私たちが闘ってきた裁判は勝ち筋の見えないかなり無謀で、誰しもが「無理!」と思う内容だったのでしょう。
 ある大分県の県議にこんな一言をいわれました。「こんな勝てもしない裁判! 諦めなさい! 弁護士も勝てないことをあなたたちに伝え、やめさせるべきだ!」と面と向かって。この言葉は私に「絶対に勝つ! これを認めないのは間違っている!」、そう改めて決意させてくれました。
 裁判が終わり、年月もたっていろいろなことを見てきて思うことは、私たちが起こした国家賠償訴訟、そしてその後の住民訴訟による「求償権の行使」を求める訴訟は、法を学んでいない私たちだからこそ挑んだ裁判であったということです。知らないがゆえに、ただがむしゃらに大きな壁に体当たりすることしか術(すべ)はなく、「だって、こんなのおかしい!!」、ただその思いだけを武器に闘いを挑みました。
 無知もある意味強いのかもしれません。「ダメかもしれない……」とは一切思っていなかったのですから。たくさんの方々のお力を借りてこの裁判を勝ち取り、剣太を死に至らしめた元顧問は「重過失」と認められ責任を問われました。あのとき諦めていたら、この結果はありませんでした。諦めたら、そこから何も生まれないのです。私たちは剣太のことで一切諦めることはしません。

3 証人尋問の記録を前に再び

(1)奈美さんの思いを受けて
 現在、英士さん・奈美さんは、同じように子どもを亡くした遺族の方々からの相談を受け、また剣太の話を通して子どもたちの命を守るための講演等を続けている。
 裁判を振り返り、あの裁判、証人尋問に向き合うことがどれだけしんどいことだったか、奈美さんは、もう一度あの法廷に戻ってあの瞬間に向き合うことは到底できないと語る。そして、あのときの闘い方は、いわば馬が真っすぐしか見られないようにサイドに目隠しをされているような状態で、余計なことを聞かぬよう、見ないよう、法廷だけに集中していたという。剣太のために、絶対にこの裁判に勝たなければならない。その思いで満身創痍(そうい)で力を振り絞ったお二人にとって、あのときの自分自身に戻ることは到底できない、その重みを感じる。
 しかし、奈美さんの剣太への思い、そして未来の子どもたちの命を守るという強い思いが、「私たちは剣太のことで一切諦めることはしません」との現在進行形の言い切り表現に表れている。15回目の命日を迎えて、同じ境遇の方々へのエールの言葉でもあるのかもしれない。
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裁判に挑む

(2)証人尋問
 再び証人尋問の記録を開き、読み込んでいる。
 次回、以下の証人尋問をたどることとする。

 ア 5月24日(午前・午後)第12回口頭弁論期日
  ① 弟:10時~主尋問、反対尋問(顧問、副顧問、市)
  ② 英士(父):13時40分~主尋問、反対尋問(顧問、副顧問、市)
 イ 6月14日(午前)第13回口頭弁論期日
  ・顧問教諭:10時~主尋問
 ウ 7月5日(午前)第14回口頭弁論期日
  ・顧問教諭:10時~反対尋問(原告、副顧問、市)、
 エ 7月19日(午後)第15回口頭弁論期日
  ・副顧問教諭:13時10分~主尋問、反対尋問(原告、顧問、市)
 オ 9月27日(午後)第16回口頭弁論期日(※7月26日から変更)
  ・市(病院):14時~主尋問、反対尋問(原告、顧問、副顧問)
 カ 12月20日第17回最終口頭弁論期日
  ・奈美(母)意見陳述


 

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

この記事の著者

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

日本大学大学院危機管理学研究科教授兼日本大学危機管理学部教授。元文京区子ども家庭支援センター所長、男女協働課長、危機管理課長、総務課課長補佐、特別区法務部等歴任。都道府県、市区町村での審議会委員多数。法務博士(専門職)。保育士。著書に『自治体職員のための行政救済実務ハンドブック 改訂版』(第一法規、2021年)、『行政法の羅針盤』(成文堂、2020年)、『子を、親を、児童虐待から救う』(公職研、2019年)、『虐待・ⅮⅤ・性差別・災害等から市民を守る社会的弱者にしない自治体法務』(第一法規、2021年)等。

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