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2017.01.25 政策研究

被災地に公立初の“森の学校”を

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一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団事務局長 野口理佐子

東日本大震災から何を学ぶか――「アファンの森 震災復興プロジェクト」

 あの日から、6年の歳月が過ぎようとしています。あっという間に感じられるこの時間は、子どもたちにとってはどうだったのでしょうか。津波により甚大な被害を受けた宮城県東松島市野蒜地区。震災の年に小学校に入学した子どもたちは、2016年には仮設校舎で6年生となりました。子どもたちの成長に復興が追いつかないジレンマを抱えながら、小学校再建に当たり、森の学校をつくる活動が始まりました。
 C.W.ニコル・アファンの森財団では、東日本大震災を受け、これからの日本が安全で健康に暮らせる国であるためにはどうあるべきか、真剣に考える時期が来たと捉えました。そのためには今ここから、それぞれの地域固有の森や川、海などの生物多様性あふれる自然環境を取り戻すことが重要だと考えています。1986年より長野県黒姫の地で放置され荒廃した森を「アファンの森」としてよみがえらせる活動をしてきた当財団として、復興のために貢献できることは、豊かな森が持つ“森の癒やし(心のケア)”を提供すること、そして、森はよみがえるということを伝え、東北の森を再生するお手伝いをすることです。
 私たちの日頃の活動の主軸である「森の再生」と「心の再生」という2つの視点で、「アファンの森 震災復興プロジェクト」がスタートしました。「心に希望の木を植えること」、そして「命の森を育てること」、この活動を、東松島市を中心に始めたことが、その後、森の学校づくりへとつながっていきました。

癒やしの森への招待――東松島市と森の学校づくりの始まり

 「自然の猛威によって傷ついた心は、自然のチカラでしか癒やせない」。当財団理事長であるC.W.ニコルの言葉を信じ、2011年6月に被災地の子どもたちを黒姫の「アファンの森」に招待するチラシを被災各地に配りました。どの自治体もそれどころではないと見向きもされない中、唯一、東松島市教育委員会から「うちの子どもたちを招待してもらえますか」とご連絡いただき、東松島市との交流が始まりました。当時の教育委員会次長は、「今こそ子どもたちの心のケアが急務です。壊滅的な被害にあった小学校の再建に当たり、森が子どもたちに与える効果も参考にしたいと思っています」と述べられました。
 当財団では、2002年から身体に障害がある子どもたちや虐待などによって心に傷を負った児童養護施設に暮らす子どもたちを命あふれる「アファンの森」に招待し、心と体を解放させるプログラム(=5センスプロジェクト)を展開してきました。このプロジェクトにより約700人以上の子どもたちの心の成長を見守ってきた実績をもとに、今回、被災地の子どもたちの招待に踏み切りました。財団スタッフとして、未曾有の震災・津波により一瞬にして家や街、家族や友だちを奪われた現実を目の当たりにした子どもたちに対して何ができるか不安でいっぱいでしたが、森の効果は、我々の想像をはるかに超えていました。参加者の方々からは、「震災後初めて笑った」とか、留守番をしていたおばあさまからは「アファンの森から帰ってきたら、孫が震災前のような様子に戻っていた。楽しかった思い出をみんなで話している姿に涙が止まらなかった」などご連絡をいただきました。このプログラムは2016年も続けられています。

写真1 「アファンの森」で遊ぶ被災地の子どもたち写真1 「アファンの森」で遊ぶ被災地の子どもたち

官民連携の森の学校プロジェクト委員会がスタート

 人の手によってよみがえった黒姫の「アファンの森」を見て、“自然をよみがえらせることが何より復興につながる”と感じた東松島市職員たちの働きかけにより、壊滅的な被害にあった野蒜地区の高台移転計画の中で、再建しなければならない野蒜小学校を森の学校にすることを東松島市の復興計画の目玉の1つにしたいと、同市から当財団に協力要請をいただきました。
 そして、当財団が中心となって、「アファンの森 震災復興プロジェクト」にご支援いただいているイオンワンパーセントクラブを筆頭とする企業の皆さんを巻き込み、東松島市教育委員会、同市復興政策部、大学研究機関とともに森の学校プロジェクト委員会を2012年2月にスタートさせました。同年7月には東松島市と当財団との間で「震災復興に向けた連携及び協力に関する協定書」を締結し、森林再生や自然環境調査、環境教育、人材育成など森の学校に関することを連携・協力して復興に取り組んでいくことになりました。
 私たちが目指す “森の学校”とは、公的教育の中で、日常的に地域の里山や田んぼ、川や海の自然の中で、体を動かし、五感を使い、想像し、表現し、理解する経験を通して、責任感を育て、不測の事態に直面しても、的確な判断と行動ができるたくましい人間に育てるための教育環境が備わった学校です。
 そのために不可欠な森は、高台移転の学校用地に隣接する市有林を当財団に整備等委託する協定を結び、その市有林(森)を「復興の森」と呼んで、高台に校舎ができた暁には、森と一体となった公立で初めての“森の学校”となるよう準備を進めることになりました。

写真2 森の学校プロジェクト委員会が2012年2月にスタート写真2 森の学校プロジェクト委員会が2012年2月にスタート

図1 アファンの森 震災復興プロジェクト東松島「森の学校プロジェクト」体制図図1 アファンの森 震災復興プロジェクト東松島「森の学校プロジェクト」体制図

森の学校のための森づくりと森の教室づくり

 当財団が進める復興の森の整備や森の教室づくりは、民間企業や個人のご支援により順調に進みました。はじめに取り組んだのは、東松島市が震災後高台移転用地として買い取った山林の環境調査です。造成対象の約90ヘクタールは、復興特区として環境アセスメントは免除されていましたが、自然保護団体である当財団が関わる以上、環境調査は必須であるため、震災復興プロジェクトの一環として実施しました。現況の自然環境を記録し、貴重種があれば保全の方策をとるために、調査データをもとに森の整備計画を練りました。
 また、子どもたちがすぐにでも利用できる森の教室づくりも、「森の学校プロジェクト委員会」の中で検討しながら計画をしていきました。2013年5月に完成したツリーハウスは、被災後初の新しくできた建物となりました。子どもたちや地域の方と一緒に森の整備を行い、森の学校を象徴するようなワクワクするシンボルになりました。ツリーハウスの周辺にあった木を使い、樹木の枝ぶりをそのまま生かしたツリーハウスは、まるで子ども一人ひとりの個性を生かす教育のあり方を体現してくれているようです。他にも復興の森の尾根沿いに道をつくり、海を臨める見晴らしのよいところに展望デッキをつくったり、尾根の中腹には、森の音を静かに聞いて自分と向き合える場所・サウンドシェルターをつくるなど、校舎はなくても森で学べるよう教室づくりを進めてきました。

写真3 子どもたちや地域の方とつくった森にできたツリーハウス写真3 子どもたちや地域の方とつくった森にできたツリーハウス

図2 「森の学校プロジェクト」森の教室マップ図2 「森の学校プロジェクト」森の教室マップ

“森の学校”としての校舎建設の高い壁

 一方、公立の学校を“森の学校”にするための校舎などの建設には、立ちはだかるいくつもの高い壁がありました。
 私たち「森の学校プロジェクト委員会」が提案した森の学校をつくるに当たっての要望は、次の3つでした。
 ① 地域本来の地形、地質、植生など、その土地に由来する生態系を尊重し最大限に生かす。
 ② 学校の校舎も森の一部となるよう森と融合した校舎にする。
 ③ 構造物は、資材の調達や廃棄のことまで考え、できる限り地域の素材で森に還(かえ)る素材を使用する。
 それぞれの課題について東松島市の担当課と何度も議論と調整を重ね、予算と時間とをにらみながら、市の担当者も様々な角度から実現に向けての予算確保策を検討するなど、試行錯誤が続きました。
 ①に関しては、高台移転に伴う山の造成の際、小学校予定地は、山を削って谷を埋めるようなことをせず、地形を活かすことができました。地震が多いこの地域は、谷を埋めた場所が崩壊する可能性があります。また、谷には湧き水が出ており、整備をすれば、環境教育の貴重な場所として活用することができます。もちろん、いびつな形となるため、学校用地としては使いづらいという意見が多々ありましたが、子どもたちの命を長きにわたり預かる場所として、何千万年の時を経てできた地形を尊重することが安全につながるということを理解してもらえました。
 課題にぶつかったのは、校舎建設に関わる②③です。ご存じのように学校については、1947年に制定された学校教育法の中に学校設置に関する基準が定められています。さらに校舎を建てる際は、建築基準法に基づく安全性の確保や、耐震、耐火など地域の様々な基準に適合させる必要があります。それらの複雑な条件を安易にクリアできるのは、鉄筋コンクリート構造(RC構造)でした。全国各地の学校が、RC構造にならざるを得ない理由はそこにありました。しかし、私たちが提唱している“森の学校”とRC構造は対極にあります。当財団のニコルいわく、「世界最古の木造建築がある国はどこですか? 日本は森林面積が国土の67%もある国なのに、なぜ木を利用しない!」。森の学校プロジェクト委員会からは、森の学校の必須条件である木造校舎であっても法的基準をクリアできる方法を提示していきました。
 また、東松島市に航空自衛隊松島基地があることも障壁となりました。ブルーインパルスなどの飛行訓練が行われている東松島市では、防衛庁からの交付金により防音の設備を導入することができますが、その前提となるのは、建物がRC構造であることでした。しかし、この件も市長の英断により、防衛庁からの交付金に頼ることなく、市費を投じてでもこの学校を森の学校にしていく方針となりました。
 もう1つの思わぬ壁は、公共工事の宿命といえる価格の安さで発注先を決める入札制度にありました。この学校の基本設計を行う業者を決める際も、一般競争入札方式が用いられました。結果、破格の安値で入札した設計会社に落札されました。上がってきた基本設計は従来のよくある校舎であり、しかも1階がRC構造のものでした。
 このままでは、森の学校にはならないと、2014年1月7日、当財団理事長自ら市長に直談判し、震災後の東松島市の未来を担う子どもたちを育む教育を復興のシンボルとすることを改めて確認し合い、実施設計は、森の学校としてふさわしい内容を提案できる業者を選ぶプロポーザル方式で選考することになりました。
 たび重なる折衝により、校舎に加え体育館も木造という、まるで教室が森に点在するような理想的な設計を提案した業者に決まりました。

森の学校のためのソフト面のハードル

 このように校舎などのハード面では、多くの方々の協力の中、理想の実現に向かって進みました。もう1つの大きな壁は、いわゆるソフト、運用面でのハードルです。これが一番難しく、時間を要するハードルとなります。
 2012年、教育委員会が主催する地域の校長先生や地区会長などで構成される「学校建設検討委員会」に、私もオブザーバーとして参加させていただきました。その際に伺った森の学校への印象は、「森の維持管理、草刈りなどは誰がするのか」、「森でケガでもしたら誰が責任をとるのか」、「学級崩壊が起こりそうなとき、教職員全員が飛んでいく体制をとっているのに、森の学校でそれができるのか」、「クラス担任に森を使った授業をする余裕がない」……。責任問題ばかりが先生たちにのしかかっている教育現場では、残念ながら森の学校どころではない現実がありました。ここ数年、提出書類の増加など、先生方の負担は増えるばかりです。生徒のことを一番に思い、よい授業をしたいと思っていても、森を使って授業をするような余裕はなく、しかも、私立の学校と違い、教員の採用は宮城県が行うため、森の学校を希望された先生ばかりが赴任してくるわけではないのです。
 森の維持管理は、東松島市と協定を結んだアファンの森財団が行い、責任についても当財団がとると宣言しました。誰かが、腹をくくらなければ始まりません。
 森を活用した授業も、先生方と相談しながら専門知識を持った当財団スタッフが出前授業を提供しています。仮設の校舎から「復興の森」までバスで移動し、3年生の総合的な学習の時間は、「ふるさとの宝物探し」として生き物調べを、5年生にはツリーハウス前の田んぼの田植えから稲刈りまで地元の農業法人の方と一緒に行っています。田んぼや畑や山や海など地域の自然を全部使ってこそ、森の学校です。また、週末は課外授業として、いかなる災害が起きても命を守れるアウトドアスキルを身につけられるよう、森や海でのプログラムを提供しています。
 森の学校の目的は、先生方に負担をかけることではありません。先生自身がリラックスでき、子どもたちと向き合うことができる学校でなければならないのです。

写真4 森を活用した出前授業の一環である田んぼの生き物調べ写真4 森を活用した出前授業の一環である田んぼの生き物調べ

東松島市立宮野森小学校校舎完成――森の学校はこれから

 2017年1月10日、校舎はもちろん体育館まで集成材すら使わずに建てられた木造の学校は、野蒜小学校と宮戸小学校が統合され新しく宮野森小学校として、3学期から供用開始となりました。6年生には3か月だけでも新しい校舎で過ごし、卒業させてあげたい、そんな思いで東松島市職員、工事関係者の方々も必死で頑張ってくださいました。森に面した洗練されたデザインの教室や、中庭からも日差しが降り注ぐ、類を見ない校舎に、子どもたちの歓声が響き渡りました。

写真5 2017年1月より共用開始となった森の学校写真5 2017年1月より共用開始となった森の学校

 学校の敷地と森との出入り口となる「森の劇場」が完成するのは、2017年8月の予定です。これにより、学校の敷地と森とが一体となり、今まで目指してきた森の学校のカタチはでき上がります。しかし、今まで当財団が震災復興プロジェクトとして民間から資金を集めて提供してきた活動は、本来の公共事業に移行しなければならなくなります。
 公立として森の学校を成立させるために必要なことは、森と学校をつなぎ、先生の授業のサポートや森の維持管理、安全管理を行う運営組織を地元につくることです。その運営組織が機能して初めて公立初の森の学校が誕生することになると思っています。森の学校づくりの要である人づくり、組織づくり、そして資金集めを含めて、運営体制をどうつくるか、これからが重要であり、これからがスタートであると考えています。

写真6 森を活用した持続的な運営体制をこれからどうつくるかが課題写真6 森を活用した持続的な運営体制をこれからどうつくるかが課題

子どもたちのために日本全国に“森の学校”が必要

 当財団では、この東松島市立宮野森小学校を、公立初の“森の学校”として成功させ、日本全国の公立学校を少しでも変えることができたらと考えています。現在、文部科学省の調査では、日本の子どもたちの中に「ひとつのことに集中できない、忍耐力がなく、かんしゃくを起こす、他人に対する気遣いができず、友だちとうまく遊べない」という「注意欠陥・多動性障害」の症状が、この数年で急増しているデータが出ています。実は、ヨーロッパ、カナダ、アメリカでは、全く同じ症状を「自然欠乏症候群(Nature Deficiency Syndrome)」として、幼少期に自然の中で遊んだ経験の少ない子に多く現れていると問題視する研究もあります。例えば、カナダのB.C州(ブリティッシュコロンビア州)では、条例で週2時間以上は子どもを自然の中で遊ばせることを義務付けています。
 日本での研究は遅れていることから、森の学校を実現するために必要なオピニオンリーダーを集め、産・学・官のメンバーにより学術的な視点で学校建築や教育プログラムなどを研究する組織「森が学校計画産学共同研究会」を早稲田大学内に立ち上げました。今後、東松島での森の学校づくりを1つのモデルとして研究を進め、そのノウハウを蓄積し、また森の学校の教育効果を検証し、全国各地域で生かせるよう研究を進めています。

この記事の著者

一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団

森を守る。子どもたちの笑顔と日本の未来のために――作家C.W.ニコルが、1986年より日本の森の荒廃を憂い、長野県黒姫にある放置された里山を自ら買い取り、生命力豊かな本来の日本の森をよみがえらせることを目的に森づくりを始めました。2002年、森を永遠に残すためにC.W.ニコル・アファンの森財団を設立。手入れを始めて30年目の森には、地域的に絶滅が危惧される動植物が戻り、森の生態系が戻りつつあります。また、生命力あふれる豊かな森は人の心も豊かにすることを信じ、身体に障害のある子どもたちや心に傷を負った児童養護施設の子どもたち、被災地の子どもたちを森に招く「5センスプロジェクト」を実践。これがきっかけとなり、津波による被害を受けた小学校の再建に当たり、公立初の“森の学校”にすべく、東松島の森の再生と子どもたちの心のケアの活動を続けています。森林保全活動を通じて、地域の自然共生型社会形成に寄与することを目的に活動を展開しています。

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