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2022.08.22 議員活動

第3回 学校・行政対応のまずさ(1)─危機管理学・行政法学・被害者学の視点から

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日本大学危機管理学部 鈴木秀洋/協力 工藤奈美

 今回、第3回の連載発行日、本日8月22日は、剣太の命日です。
 冒頭、今の奈美さんに気持ちを語っていただきました。

* * *
 命日……
 あの日から8月22日は特別な日になりました。
 こんなにも早い別れが来るなんて……誰が想像したでしょう。
 もう 13年も剣太に会っていません。
 17歳で旅立った剣太は
 今年 30歳になりました。
 生きていたら……
 「おかん帰ったよ」と自分の家族を連れて戻ってきてたかな。
 「おかん 元気か!」
 「暑いけん気をつけなーよ」
 って あの子のことだから 優しい言葉かけてくれたかな……
 声……聞きたいな
 あの笑顔 見たいな……
 体に鬼を宿し裁判を闘っていた日々が終わると
 一人の母親に戻ります。
 無意識に考えることは こんなことです。
 ○○年……会ってないな
 この○○の数字は毎年 更新されます。
* * *

【目次】(青字が今回掲載分)

 第1回 剣太からのバトン─時間は当事者の気持ちを軽くしない
 第2回 剣太事件概観─剣太誕生・事件当日・部活・被害者として
 第3回 学校・行政対応のまずさ(1)
  ─危機管理学・行政法学・被害者学の視点から

 第4回 学校・行政対応のまずさ(2)
  ─事故調査委員会・教員の処分

 (【緊急特報】裁判記録は魂の記録である)
 第5回 損害賠償請求事件(大分地裁)
  ─最初の闘い・地裁判決の法的位置付け
 第6回 第1回口頭弁論に臨む遺族の気持ち(大分地裁)
 第7回 口頭弁論と立証活動(大分地裁)
 第8回 現地進行協議と証人尋問(大分地裁)
 第9回 損害賠償請求上訴事件
 第10回 刑事告訴・検察審査会
 第11回 裁判を終えて
 第12回 新たなステージ(剣太はみんなの心の中に)

(編集部注:2023年4月25日 目次及び第1~6回タイトルを修正いたしました)

 

1 裁判に追い込む行政対応(被害者に寄り添う意識のなさ)

 剣太事件の特徴・問題点は、この事件のその後の対応をたどってみると一層明らかとなる。
 危機管理学の視点からすれば、批判されるべきは、その後の学校と行政側対応に顕著に表れている。教員、学校、行政、どのレベルの担当者も、被害者側からの視点で事案に向き合った形跡がない。被害者側の気持ちをくんだ対応がなされていない。まるで不作為(自己保身・組織防衛)が「慣性の法則」によって、貫かれているかのようである。事件後に、組織(体制)に、問題提起や改善の動きが見られない。
 遺族から求められた最低限の事実照会等でさえも、学校・行政側から被害者側に事実の詳細説明等がなされた痕跡がない。被害感情に寄り添った言動や謝罪は一切ない。一人の命が失われたことに関して、学校・行政組織が被害者側の立ち位置から景色を見ようとする人が、なぜ一人も生まれないのだろうか。
 このように、被害者側に説明も回答もしない、そうした向き合いのない対応をされれば、被害者からすれば、裁判しか、事実を明らかにして、亡き子どもに報告する選択肢はなくなる。
 裁判を提起するのは、その土地、地域によっては、相当の覚悟が強いられるものである。圧力やいわれのない批判・非難は必ず生じる(1)。親戚からの反対、近所地域からの嘲笑や嫌がらせなどは、筆者自身がこれまで裁判に関わってきた中で、経験上認識している事実である。裁判を起こすことは、この日本において、当事者にとっては命に関わるほどの覚悟が必要なのであり、我が子を亡くしたときの苦しみ・悲しみをまた再現させられるとともに、新たな批判・非難にもさらされるという自らの心身に大量の出血を伴う行為なのである(東日本大震災大川小学校津波被災事件における訴訟においても原告住民に脅迫状が届いている(2))。
 それでも裁判をせざるを得ない状況に至らしめているのは、行政側の事件後の上記のような対応に大きな原因があるのである。このことに、行政は本気で向き合い、組織的かつ抜本的改善を行う必要があるのではないだろうか。被害者を追い込んでおきながら、裁判を提起せざるを得なかった被害者に対し、行政に物を申す「敵」とみなして戦うという姿勢をとることがいかに多いことか。
 本来、行政の対応は、一私人同士の民事訴訟とは異なるものである。被害住民との関係は訴訟になったからといって、主権者とその委託を受けた行政という立場は変わらないはずである。住民の福祉の増進(地方自治法1条の2)を図るための行政対応は、継続すべきもののはずである。行政には、説明責任の原則、公正・透明性の原則、適正手続の原則等、個々の法文に書かれなくても統一的で根本的な基本原則が公理として存在している(3)。行政の基本原則を踏まえた対応をすべきなのである。
 それにもかかわらず、当該顧問の事後対応、学校・教育委員会の事後対応は次のようなものであった。
 kenta_jiken3__ph01

中学校卒業式(親子3人で)

2 教員(部活顧問)の事後対応

 まず、部活の顧問の対応は、被害保護者からは、衝撃的なものであった。
 剣太が倒れて病院に運ばれ、学校側は保護者に連絡を入れる。そのときの顧問の英士さんへの第一声は、「今日は大した練習はしちょらんけ」との言葉である。顧問は、病院でも再度同じ言葉を英士さんに伝える。
 その後も、当該顧問は、英士さん、奈美さんに一度も正式な謝罪を行っていない。
 さらに、後の裁判でも、当該顧問は、かつての教え子から自らが良い先生であった旨の陳述書を複数出すという戦術をとる。最愛の息子を亡くした英士さん、奈美さんに対して謝罪をせぬどころか、裁判でもこうした戦い方をする。裁判を通して何度も剣太と奈美さんらが傷つけられることになる。

3 学校・教育委員会の事後対応

 さらに、学校及び教育委員会の対応は、奈美さんらの心情を無視し続けるものであった。

(1)学校における保護者への事故説明会
 まず、2009(平成21)年8月25日に剣道部保護者会が行われたが、英士さんと奈美さんには連絡がなかった。
 次に、翌8月26日に学校の保護者説明会が行われる。しかし、この保護者説明会の連絡も、英士さんと奈美さんには来ないのである。
 奈美さんらは、保護者説明会開催の事実を前日に知人から教えてもらい、なぜ保護者である自分たちが連絡をもらえないのか、高校に問合せを行うのである。これに対し、学校側は、「連絡しようと思っていた」との返答を行っている。
 この返答は、不信を生むものである。なぜ、工藤家のみ連絡を遅らせたのか。電話が奈美さんからなかったら呼ばないで保護者会を行おうとしていたのは明らかである。
 その後、保護者説明会当日午後(13時30分)説明会直前に校長らが奈美さん宅に訪問し、そのときに見せられた当日の説明資料にまた奈美さんらは驚愕(きょうがく)することになる。
 その資料は、明らかに、剣太事件の詳細を説明するものではなく、事件の経緯はわずか1枚に次のようにまとめられていた。

「8月22日(土)事故当日の背景・経過
 背景
 経過:8:45
 9:00   体操開始
  …
 11:55頃  工藤君が倒れた。
 12:18   救急車の手配
 12:25頃  救急車及び救急隊員(3人)到着
 12:42   工藤君の父親に救急車内で電話連絡を行う
 13:00前  救急車、病院到着
 13:05   診察開始
 17:12頃  工藤君の容体急変
 18:50頃  工藤君の死亡確認
 参考 死因は熱射病であると警察は発表しています。」

 そして、次の頁に、剣太以外の「今後の生徒への対応」として、「生徒のための心のケアに対応するための相談体制を確保します」、「心だってけがをすることがあります(保護者のみなさまへ)」、「大分県こころの緊急支援チームの活動」とチラシが添付された資料だったのである。
 まるで、剣太が勝手に体調を崩し、死亡したかのような経過記録である(なお、この段階で警察がこの発表はしていないはずである)。
 そして、謝罪やお悔やみが1行もないこの資料を、遺族である奈美さんらはどのように受け止めればよかったのであろうか。筆者は、学校側がこの資料を奈美さんらに平然と呈示する行為に怒りを覚える。
 当然のことながら、英士さんと奈美さんは、「これで説明するのはやめてくれ」と学校側に頼んでいる。しかし、学校側は「いえ、やります」を繰り返すだけだったという。
 当日の夜の保護者会。そこでは、剣太への謝罪があると信じて出席した英士さんと奈美さんであったが、保護者会の最後まで聞いていても、剣太に対しての話は一切なかったという。在校生の心のケアの話がなされるだけで、英士さん、奈美さん、風音への言葉もケアも全くなかったという(4)
 皆さんは、どう考えるだろうか。
 こうした対応により遺族は二次被害を受けることになる。学校への不信が決定的になる瞬間であろう。こうした対応は遺族への加害行為であることを、学校・教育委員会は認識すべきであろう。
 同様のことは、剣太の1年半後の卒業式にも起きる。

(2)剣太の卒業式
 筆者は、学校事故の遺族の方々から、卒業式で子どもの名前を呼んでほしい、卒業生の人数に子どもも含めてほしい、その学校を同級生たちと一緒に卒業させてあげたい、こうした思いを聞く。
 奈美さんも、卒業式の連絡を待っていた。しかし、学校からは連絡がない。
 そこで、学校長に電話をかけたが、校長からいわれたのは、「剣太君は1年半授業を受けていないので、卒業は認められない」との事務的な回答だったという。
 学校で命を奪われ、授業に出たくても出られなくなってしまった剣太のご両親に、皆さんだったらどんな言葉をかけ、どんな配慮をするであろうか。
 学校長は、奈美さんや関係者らの働きかけによって、卒業式前日になってやっと卒業式への出席を認め、クラス外で一番後ろに席を二つ用意したという。しかし、卒業生の人数の読み上げ人数は剣太を除いたものだった。ショックと失意の奈美さんに対して、保育園の同級生のお母さんが、「今日は、工藤剣太君のご両親が見えています。剣太君の名前を呼んでいただけませんか。卒業生として。これに賛同される方、拍手をお願いします」といってくれて、その場の人たちの拍手があったときに、学年主任の先生が、保護者の前に立って「卒業証書を授与される者、工藤剣太」と呼んでくれたという(5)
 筆者は、確かにこの卒業式会場での友人保護者と一教員の個人的対応は、心打つすばらしいものであるように思える。しかし、裏を返せば、学校という組織としては、こうした遺族の気持ちに思いをはせることは全く行わなかったということなのである。筆者には、相手の立場に立った対応を繰り返し生徒に指導しておきながら、遺族の思いを全くくむことなく、こうした事務的対応を貫く姿勢に、むなしさを感じる。教育機関・教育者としての根本的土台の崩壊を感じる。
 毎年必ず迎える卒業式において、学校(長)は、果たして、自らの学校でこうしたやりとりがなされていないか、きちんと検証してみる必要があろう。
 kenta_jiken3__ph03

中学校卒業式(先生と)


(3)保険の請求に関して
 時系列的には、剣太の死亡事故から少し先の話となるが、剣太の死亡により学校が日本スポーツ振興センターに対して行った保険支払請求の対応についても、被害者遺族の感情を逆なでする対応が繰り返されている。
 この点、学校側は、保険請求の申請書は、簡便な事実報告(記述)が求められており、そもそも保護者に書類を見せる必要もないし、保護者の意見を聞くことも不要であると主張する。しかし、奈美さんらは、その事実報告記述を見たときに、省略されたがために簡便な事実記載となり、その結果、剣太事件の事実経緯が、実態とかけ離れたものとなってしまっていることに気づく。そして、その旨を学校側に伝達している。
 この点、奈美さんがずっと書き続けている『剣太ノート』によれば、2010(平成22)年2月3日には、次の記述がある。

[2月3日]
・「日本スポーツ振興センター災害救済」に関する災害報告書が学校から送付。
 内容があまりにも学校側に都合のよい文章のため学校へ電話入れる。
 (校長)400字以内でないと認められないので記述を詳細にすることはできないとの繰り返しの回答
・独立行政法人日本スポーツ振興センター(福岡支所)に電話確認
 別紙(添付)も認めているとのこと

 このことで、奈美さんらは学校と何度もやりとりを行うが、平行線をたどる。
 剣太事件において英士さんは次のようにいう。「私たちは、2年という時効ぎりぎりまで学校と協議した経験がありますので感じることが多かった分、思いも深いのですが、私たちはお金ではなく剣太に何が起きたのか、何をされてこのような最悪の事態になったのかについて、ただの報告ではなく剣太の名誉のために妥協できなかったのです。保険の報告だとしても(学校側の事実認識で)簡単なことを書くことは許せなかったのです」。そして、さらに、他の事件での被害者遺族らの支援や交流を継続している経験から、次のように続ける。
 「確かに、日本スポーツ振興センターへの報告書は、学校長が記入し、学校長が押印するものであることは認識している。そうだとしても、それを400字でしか報告できないと遺族に伝え、さらにその記載は学校側の認識している事実を記載するとして遺族の調べた事実関係との調整は一切行わない(保険の請求とはそういうものだ)と強弁するのは、いかがなものか」。英士さんは、学校側が把握した事実を報告すればよいとの認識の下、十分な事実関係の調査がなされずに報告書が作成されていると指摘する。こうした学校側の一方的な対応を改善するために、被害者遺族らが当該報告書に押印するなどの書式変更をすべきだと提言する。
 筆者もこの報告書作成過程が、必ずしも多面的な事実調査を基に行われているとはいえないことは実務上実際に見聞している。英士さんの改善提言は必要なものであると考える。
 現実には、つらい事実に直面している遺族にとって、この報告書の記載内容まで確認することは困難である。しかし、日本スポーツ振興センターへの情報開示請求を行い、いわば虚偽ともいえる当該報告書を発見し(例えば「もともと疾患があった」など)、当該報告書記載の訂正を申し入れた遺族も現実にいる。遺族は、お金ではなく、何が起きたのかその事実を明らかにしたいと考えているのであり、学校と遺族との間で合意できる事実記載がなされるような制度運用の見直しが必要であろう。
 kenta_jiken3__ph02

牛の品評会(3頭セット部門(6))。誇らしげな二人(剣太中3、風音中2)。
出品牛の世話(手入れや運動など)も手伝っていた。



(1) 裁判を受ける権利(憲法32条)は、憲法上の権利でありながら、実際の利用の際に、批判や嫌がらせ等大きな社会的プレッシャーがかかることについては、この憲法上の権利行使に支障がないよう裁判制度の利用に関する設計を変える必要があろう。
(2) 河上正二=吉岡和弘=齋藤雅弘『水底を掬う─大川小学校津波被災事件に学ぶ』(信山社、2021年)124頁には、「遺族は3度被害に遭った」との項目で、①最愛の子を失ったこと、②その後の行政の事後的な不法行為対応、③そして赤の他人から理由もなく本当にひどい心ない誹謗(ひぼう)中傷及び脅迫に苦しめられることが挙げられている。
(3) 鈴木秀洋『自治体職員のための行政救済実務ハンドブック〈改訂版〉』(第一法規、2021年)66?67頁。鈴木秀洋『行政法の羅針盤』(成文堂、2020年)10頁。
(4) そのまま終わろうとした学校側に対して、奈美さんは前に出て、風音から聞いた当日の部活の話をみんなの前でしたという。
(5) このエビソードは「インタビュー 大分県立高校生熱射病死亡 二度と同じことを起こさないために」季刊教育法193号(2017年)24・25頁参照。
(6) 3頭セットとは、おばあちゃん、お母さん、子どもというセットで、3頭とも優秀でないと出品できない。地区予選→町の予選→市の予選を勝ち抜いて県への出品となるので、県への出品牛を出せた牛農家として誇らしく思っていた様子。「愛情持って育てていましたからね」と、奈美さん。筆者も久住を訪ねたときに、剣太と風音と同じようにつなぎの服を着て牛の世話を体験させてもらった。剣太が牛たちと交わしていた言葉が聞こえた気がした。
 

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

この記事の著者

鈴木秀洋(日本大学危機管理学部教授)

日本大学大学院危機管理学研究科教授兼日本大学危機管理学部教授。元文京区子ども家庭支援センター所長、男女協働課長、危機管理課長、総務課課長補佐、特別区法務部等歴任。都道府県、市区町村での審議会委員多数。法務博士(専門職)。保育士。著書に『自治体職員のための行政救済実務ハンドブック 改訂版』(第一法規、2021年)、『行政法の羅針盤』(成文堂、2020年)、『子を、親を、児童虐待から救う』(公職研、2019年)、『虐待・ⅮⅤ・性差別・災害等から市民を守る社会的弱者にしない自治体法務』(第一法規、2021年)等。

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