2 教員(部活顧問)の事後対応
まず、部活の顧問の対応は、被害保護者からは、衝撃的なものであった。
剣太が倒れて病院に運ばれ、学校側は保護者に連絡を入れる。そのときの顧問の英士さんへの第一声は、「今日は大した練習はしちょらんけ」との言葉である。顧問は、病院でも再度同じ言葉を英士さんに伝える。
その後も、当該顧問は、英士さん、奈美さんに一度も正式な謝罪を行っていない。
さらに、後の裁判でも、当該顧問は、かつての教え子から自らが良い先生であった旨の陳述書を複数出すという戦術をとる。最愛の息子を亡くした英士さん、奈美さんに対して謝罪をせぬどころか、裁判でもこうした戦い方をする。裁判を通して何度も剣太と奈美さんらが傷つけられることになる。
3 学校・教育委員会の事後対応
さらに、学校及び教育委員会の対応は、奈美さんらの心情を無視し続けるものであった。
(1)学校における保護者への事故説明会
まず、2009(平成21)年8月25日に剣道部保護者会が行われたが、英士さんと奈美さんには連絡がなかった。
次に、翌8月26日に学校の保護者説明会が行われる。しかし、この保護者説明会の連絡も、英士さんと奈美さんには来ないのである。
奈美さんらは、保護者説明会開催の事実を前日に知人から教えてもらい、なぜ保護者である自分たちが連絡をもらえないのか、高校に問合せを行うのである。これに対し、学校側は、「連絡しようと思っていた」との返答を行っている。
この返答は、不信を生むものである。なぜ、工藤家のみ連絡を遅らせたのか。電話が奈美さんからなかったら呼ばないで保護者会を行おうとしていたのは明らかである。
その後、保護者説明会当日午後(13時30分)説明会直前に校長らが奈美さん宅に訪問し、そのときに見せられた当日の説明資料にまた奈美さんらは驚愕(きょうがく)することになる。
その資料は、明らかに、剣太事件の詳細を説明するものではなく、事件の経緯はわずか1枚に次のようにまとめられていた。
「8月22日(土)事故当日の背景・経過
背景
経過:8:45
9:00 体操開始
…
11:55頃 工藤君が倒れた。
12:18 救急車の手配
12:25頃 救急車及び救急隊員(3人)到着
12:42 工藤君の父親に救急車内で電話連絡を行う
13:00前 救急車、病院到着
13:05 診察開始
17:12頃 工藤君の容体急変
18:50頃 工藤君の死亡確認
参考 死因は熱射病であると警察は発表しています。」
そして、次の頁に、剣太以外の「今後の生徒への対応」として、「生徒のための心のケアに対応するための相談体制を確保します」、「心だってけがをすることがあります(保護者のみなさまへ)」、「大分県こころの緊急支援チームの活動」とチラシが添付された資料だったのである。
まるで、剣太が勝手に体調を崩し、死亡したかのような経過記録である(なお、この段階で警察がこの発表はしていないはずである)。
そして、謝罪やお悔やみが1行もないこの資料を、遺族である奈美さんらはどのように受け止めればよかったのであろうか。筆者は、学校側がこの資料を奈美さんらに平然と呈示する行為に怒りを覚える。
当然のことながら、英士さんと奈美さんは、「これで説明するのはやめてくれ」と学校側に頼んでいる。しかし、学校側は「いえ、やります」を繰り返すだけだったという。
当日の夜の保護者会。そこでは、剣太への謝罪があると信じて出席した英士さんと奈美さんであったが、保護者会の最後まで聞いていても、剣太に対しての話は一切なかったという。在校生の心のケアの話がなされるだけで、英士さん、奈美さん、風音への言葉もケアも全くなかったという(4)。
皆さんは、どう考えるだろうか。
こうした対応により遺族は二次被害を受けることになる。学校への不信が決定的になる瞬間であろう。こうした対応は遺族への加害行為であることを、学校・教育委員会は認識すべきであろう。
同様のことは、剣太の1年半後の卒業式にも起きる。
(2)剣太の卒業式
筆者は、学校事故の遺族の方々から、卒業式で子どもの名前を呼んでほしい、卒業生の人数に子どもも含めてほしい、その学校を同級生たちと一緒に卒業させてあげたい、こうした思いを聞く。
奈美さんも、卒業式の連絡を待っていた。しかし、学校からは連絡がない。
そこで、学校長に電話をかけたが、校長からいわれたのは、「剣太君は1年半授業を受けていないので、卒業は認められない」との事務的な回答だったという。
学校で命を奪われ、授業に出たくても出られなくなってしまった剣太のご両親に、皆さんだったらどんな言葉をかけ、どんな配慮をするであろうか。
学校長は、奈美さんや関係者らの働きかけによって、卒業式前日になってやっと卒業式への出席を認め、クラス外で一番後ろに席を二つ用意したという。しかし、卒業生の人数の読み上げ人数は剣太を除いたものだった。ショックと失意の奈美さんに対して、保育園の同級生のお母さんが、「今日は、工藤剣太君のご両親が見えています。剣太君の名前を呼んでいただけませんか。卒業生として。これに賛同される方、拍手をお願いします」といってくれて、その場の人たちの拍手があったときに、学年主任の先生が、保護者の前に立って「卒業証書を授与される者、工藤剣太」と呼んでくれたという(5)。
筆者は、確かにこの卒業式会場での友人保護者と一教員の個人的対応は、心打つすばらしいものであるように思える。しかし、裏を返せば、学校という組織としては、こうした遺族の気持ちに思いをはせることは全く行わなかったということなのである。筆者には、相手の立場に立った対応を繰り返し生徒に指導しておきながら、遺族の思いを全くくむことなく、こうした事務的対応を貫く姿勢に、むなしさを感じる。教育機関・教育者としての根本的土台の崩壊を感じる。
毎年必ず迎える卒業式において、学校(長)は、果たして、自らの学校でこうしたやりとりがなされていないか、きちんと検証してみる必要があろう。
中学校卒業式(先生と)