(3)保険の請求に関して
時系列的には、剣太の死亡事故から少し先の話となるが、剣太の死亡により学校が日本スポーツ振興センターに対して行った保険支払請求の対応についても、被害者遺族の感情を逆なでする対応が繰り返されている。
この点、学校側は、保険請求の申請書は、簡便な事実報告(記述)が求められており、そもそも保護者に書類を見せる必要もないし、保護者の意見を聞くことも不要であると主張する。しかし、奈美さんらは、その事実報告記述を見たときに、省略されたがために簡便な事実記載となり、その結果、剣太事件の事実経緯が、実態とかけ離れたものとなってしまっていることに気づく。そして、その旨を学校側に伝達している。
この点、奈美さんがずっと書き続けている『剣太ノート』によれば、2010(平成22)年2月3日には、次の記述がある。
[2月3日]
・「日本スポーツ振興センター災害救済」に関する災害報告書が学校から送付。
内容があまりにも学校側に都合のよい文章のため学校へ電話入れる。
(校長)400字以内でないと認められないので記述を詳細にすることはできないとの繰り返しの回答
・独立行政法人日本スポーツ振興センター(福岡支所)に電話確認
別紙(添付)も認めているとのこと
このことで、奈美さんらは学校と何度もやりとりを行うが、平行線をたどる。
剣太事件において英士さんは次のようにいう。「私たちは、2年という時効ぎりぎりまで学校と協議した経験がありますので感じることが多かった分、思いも深いのですが、私たちはお金ではなく剣太に何が起きたのか、何をされてこのような最悪の事態になったのかについて、ただの報告ではなく剣太の名誉のために妥協できなかったのです。保険の報告だとしても(学校側の事実認識で)簡単なことを書くことは許せなかったのです」。そして、さらに、他の事件での被害者遺族らの支援や交流を継続している経験から、次のように続ける。
「確かに、日本スポーツ振興センターへの報告書は、学校長が記入し、学校長が押印するものであることは認識している。そうだとしても、それを400字でしか報告できないと遺族に伝え、さらにその記載は学校側の認識している事実を記載するとして遺族の調べた事実関係との調整は一切行わない(保険の請求とはそういうものだ)と強弁するのは、いかがなものか」。英士さんは、学校側が把握した事実を報告すればよいとの認識の下、十分な事実関係の調査がなされずに報告書が作成されていると指摘する。こうした学校側の一方的な対応を改善するために、被害者遺族らが当該報告書に押印するなどの書式変更をすべきだと提言する。
筆者もこの報告書作成過程が、必ずしも多面的な事実調査を基に行われているとはいえないことは実務上実際に見聞している。英士さんの改善提言は必要なものであると考える。
現実には、つらい事実に直面している遺族にとって、この報告書の記載内容まで確認することは困難である。しかし、日本スポーツ振興センターへの情報開示請求を行い、いわば虚偽ともいえる当該報告書を発見し(例えば「もともと疾患があった」など)、当該報告書記載の訂正を申し入れた遺族も現実にいる。遺族は、お金ではなく、何が起きたのかその事実を明らかにしたいと考えているのであり、学校と遺族との間で合意できる事実記載がなされるような制度運用の見直しが必要であろう。
牛の品評会(3頭セット部門(6))。誇らしげな二人(剣太中3、風音中2)。
出品牛の世話(手入れや運動など)も手伝っていた。
(1) 裁判を受ける権利(憲法32条)は、憲法上の権利でありながら、実際の利用の際に、批判や嫌がらせ等大きな社会的プレッシャーがかかることについては、この憲法上の権利行使に支障がないよう裁判制度の利用に関する設計を変える必要があろう。
(2) 河上正二=吉岡和弘=齋藤雅弘『水底を掬う─大川小学校津波被災事件に学ぶ』(信山社、2021年)124頁には、「遺族は3度被害に遭った」との項目で、①最愛の子を失ったこと、②その後の行政の事後的な不法行為対応、③そして赤の他人から理由もなく本当にひどい心ない誹謗(ひぼう)中傷及び脅迫に苦しめられることが挙げられている。
(3) 鈴木秀洋『自治体職員のための行政救済実務ハンドブック〈改訂版〉』(第一法規、2021年)66?67頁。鈴木秀洋『行政法の羅針盤』(成文堂、2020年)10頁。
(4) そのまま終わろうとした学校側に対して、奈美さんは前に出て、風音から聞いた当日の部活の話をみんなの前でしたという。
(5) このエビソードは「インタビュー 大分県立高校生熱射病死亡 二度と同じことを起こさないために」季刊教育法193号(2017年)24・25頁参照。
(6) 3頭セットとは、おばあちゃん、お母さん、子どもというセットで、3頭とも優秀でないと出品できない。地区予選→町の予選→市の予選を勝ち抜いて県への出品となるので、県への出品牛を出せた牛農家として誇らしく思っていた様子。「愛情持って育てていましたからね」と、奈美さん。筆者も久住を訪ねたときに、剣太と風音と同じようにつなぎの服を着て牛の世話を体験させてもらった。剣太が牛たちと交わしていた言葉が聞こえた気がした。