女性議員という存在
こうして目の当たりにした現実に私は、「政治がここまで機能していないのでは、この国の未来に希望が持てない」と、議員1年目の夏には絶望的な気持ちになっていました。
そんな折、私と同時期に議員となった会社経営者の女性議員が、私と全く同じ考えや苦悩を抱えていることが分かりました。お互いに所属する会派も政党も異なりましたが、「この世界はおかしい」、それが2人の共通認識でした。そして、せめて地方議会から変えていこうと、合同で市政報告会を開催したり、超党派の勉強会を立ち上げたりしました。この勉強会は後に、議会における超党派活動のきっかけのひとつとなりました。
しかし、その前途は多難でした。私も彼女も自分の組織の中では「組織の意に沿わない変わり者」として認識されていました。自分の理想とする、本来あるべき政治の姿を追求することが、なぜか「空気の読めない存在」として敵をつくることにつながっていったのです。周囲に合わせて同じように動けば、どれだけ楽だったでしょうか。しかし、それをやってしまったら、自分が議員になった意味がなくなる。だから絶対に屈しないでいよう、そう励まし合いながら議員を続けてきました。
変えるのは女性、維持するのは男性
さて、政治の世界で生きていくうちに、組織や課題への接し方について、男性議員と女性議員では異なる傾向があると考えるようになりました。例えば、前述の超党派の勉強会は小さな取組として始まりました。それを議会横断的にしたいと考えた結果、それを快く受け入れてくれたのが中堅のある女性議員です。そして、その女性議員が中心となって超党派のプロジェクトが発足し、議会全体の流れとなりました。組織の力関係や上下関係には目をつむり、課題に対する必要性から理性的かつ合理的に判断してくださったのです。個人の資質が大きいのはいうまでもありせんが、仮にこれが男性議員相手であった場合、あの当時、ここまで受け入れてくださることはなかったであろうと思います。
前期4年間に、市議会のみならず国会や県議会、自分の所属政党や他の政党の多くの議員と接してきましたが、その中で「変えるのは女性議員で、維持するのは男性議員である」と実感しています。
一般的には逆のイメージでしょうが、政治の世界に入り、実はそうではないことを思い知りました。
女性議員は、駄目なものは駄目だと思ったら、たとえそれが組織の論理でも抵抗します。男性議員の場合、最後は組織に従います。最後までテコでも動かないのは、ほとんど女性議員なのです。
「これだから女性議員は」と言われる原因は、ここにあると考えています。しかし、これは悪いことばかりではありません、一見、我が強いトラブルメーカーに思えるこの性質は、組織の腐敗を防ぐ役割も持っているからです。
上下関係が厳しく、おかしいと思っても、それを誰も口に出せない組織があるとしましょう。皆さんは、そんな組織をどう思いますか?
実は、これが今の政治の世界です。国民全体から見たときに、ほんの一握りの人だけで構成されている狭い社会の中で、誰も異を唱えず、組織の自己改革能力は失われ、気がつけば国民から、はるか遠いところに存在してしまっているのです。地方議員は国政政党や国会議員の下部組織として、そして国会内部は政治力学によって「言いたいことも言えない」、自分の意見を言うとすれば「離党」や「更迭」を覚悟したときだけ、それが今の政治の世界です。
しかし、女性議員はそんなことは意に介さずに「それはおかしい」と口に出します。駄目だと思うことを放置する自分が許せないのです。そうして組織の理不尽と戦い、結果押しつぶされてきた女性議員を、党派に限らず数多く見てきました。今はマイノリティであるがゆえに、その声は政治の中枢には届いていません。志ある女性議員たちが声を上げるたびに、少数派であるが故に排除されるのが常です。
しかし、女性議員の数が人口と同じ半分まで増えれば、発言力を得た女性たちによる自浄能力が発揮されるようになり、政治の世界は変わるのです。女性議員の特徴は、異なる価値観や立場でもフラットに対話できることと、悪いことを悪いと口に出すことです。上下関係の中で、組織の論理に従い組織を維持し強固にしていこうとする男性と、フラットな関係の中で、自分の価値観に従い組織を変えようとする女性、この両方が均衡し、せめぎ合うことで政治の世界が崩壊も腐敗もしないでしょう。
今は、女性議員の数が少ないために後者の役割が機能していません。そのために国民から見て、いつまでたっても政治がよくならないのではないでしょうか? 異なる価値観を持つ代表が政策的な議論と対話の中で、最も多くの人間に望まれる未来をつくっていくこと、それがこれからの政治の世界に不可欠な要素であると考えています。