山梨学院大学大学院社会科学研究科長・法学部教授 江藤俊昭
今回の論点:新たな住民自治の息吹を感じよう
地方自治は、今日大きく変化している。従来の中央集権制の下では、決めたことを実施する地方行政が重視されてきた。しかし、様々な利害を調整して統合し方向づける、つまり、合意形成を図りながら地域政策を決定する政治が今まで以上に重要となっている。その際、首長等だけではなく、議会の役割の重要性が高まる。同時に、住民が政治にかかわることが不可欠である。それを推進する制度化も進んでいる。今回は、この時代背景、今後の方向について確認する。
① 地方政治の変容の背景
② 地方行政重視から地方政治重視へのシフトの様相
③ 地方政治衰退論を踏まえた地方政治の重要性
1 地方政治の変容
歴史を語る場合、その転換点として画期となる出来事がある。それを起点として新たな時代の時期区分とすることはよくある。戦争の終結や革命といった大きな出来事とともに、日常生活している者にはなかなか実感できないが長期的に見れば大きな変動を呼び起こす出来事もある。国会による「地方分権の推進に関する決議」(1993年)、そして「地方分権推進法」の制定(1995年)は、新たな時代の画期をなす出来事とはすぐにいえないまでも、新たな状況・局面・構造を創り出す出来事といえる。
これらは、地方政治の分野でも大きな影響を与えている――これが本連載の立場である。同時に、その変容の理解にとどまらず、どこに向かおうとしているかを探る必要もある。
なぜ、地方政治にこだわるか。それは、地域の政策過程の開放性にかかわることだからである。つまり、地方政治は閉鎖的な地域経営ではなく、住民が積極的にかかわる住民自治を目指す。その意味で、地方政治は、いわば地域民主主義と同義である。
今日流布している住民参加(参画)や協働は、政策過程をより住民の側に近づけること、開放度を増大させることにつながる。その特徴を表す「協働」をキーワードに、新聞検索をすれば、1993年2件、1994年から急増して1999年には100件を超え、2003年281件、2004年506件となり、その後今日まで500件、あるいは600件で推移している(1)。少し難しい言葉を使えば、権力を住民の側にシフトさせる傾向が読み取れる。そして、そのように考えれば、地方政治には常に2つの要素が絡み合っていることが分かる。
要素のひとつは、政治的アクター(行為者:個人、団体)とそれらの関係である。住民・住民団体、NPO、企業、議会・議員、首長等(行政委員会・委員、職員)といった地方政治のアクターが政策過程においてどのようにかかわっているか。住民代表機関である議会や首長だけではなく、住民が様々な利害を追求するために、その住民自身が連携しあるいは対抗する。議会や首長は、それに応えたり抵抗するとともに、自らも利害を追求するために住民と連合しあるいは対立する。
もうひとつは、政治的アクターという要素の結晶であるとともに、それらのアクターを方向づける制度である。自治・議会基本条例や住民投票条例を想定するとよい。例えば、住民投票を目指す運動によって住民投票条例が制定され、住民投票が行われる場合がある。そして、それを起点としてバージョンアップされた住民参加制度を構想することになる。
これら2つの要素からいえることは、「住民」を鍵概念とした方向に政策過程が変化しているということである。しかし日本の場合、事態はそれほど単純ではない。そもそも、従来住民だけではなく住民代表機関としての議会や首長が、地域経営において重要な主体としては登場していなかったからである。中央集権制の存在である。
地方分権決議によって幕を開けた(とはいっても序幕であるが)地方分権の動向は、まずもって地方分権一括法の施行(2000年)によって第一幕が開かれることになる。従来、首長は、住民代表機関であるとともに、機関委任事務等による国の機関というヤヌス的な性格(2つの顔)を有していた。しかし、地方分権一括法の施行によって「住民自治の根幹」としての議会を作動させるとともに、首長をしっかりと住民代表機関に位置づける方向に舵(かじ)は切られた。
非常に単純化すれば、中央集権時代には地域経営に当たって、執行を担う地方行政手法が重視されていた。これが地方分権によって、地域経営の自由度は高まり、地方行政を超えて様々な利害を調整し統合する地域経営手法、まさに合意形成と決定を担う地方政治の重要性が意識された。また、今日財政危機が進行しているが、そこでの「あれかこれか」という集中と選択の必要性は、この傾向をさらに推し進めた。まさに、地方政治の台頭である。議会と首長のパワーアップとともに、住民のパワーアップが求められている。
従来地方政治といえば、選挙(国政及び地方選挙)や住民運動(及び地方自治制度改革)が主なテーマであった。また、国政を活用する政治(地域振興策等)、国政に対抗する政治(革新自治体の動向)もあった。しかし、今日まさに権限・財源を有した地方自治体=「地方政府」の新たな政策や制度をめぐる議論や運動が行われている。
2 地方行政の重視と/から地方政治の重視
――転換する地方自治のテーマから考える――
制度(課題)の推移とアクター(主体)の変化を確認すれば、地方政治の変容の一端が理解できる。1960年代の職員参加、シビル・ミニマム、1970年代の自治体計画、要綱行政、1980年代の行政の文化化、政策法務、オンブズパーソン条例、これらは行政にかかわる自治の進化であった。住民、議会、首長等を考慮すれば、首長サイドの自己革新、行政改革といえる。その後も、政策財務、政策評価条例、財務規律条例などと発展する。ようやく1990年代に住民投票条例、2000年代に自治基本条例や議会基本条例が制定され、住民や議会が地域経営の舞台に登場する。
住民が地方政治の主体に登場するには、やはり住民投票条例をその指標のひとつとして考えることができる。住民運動(抵抗)から多様な住民・市民参加(参画)の模索を経て、住民投票条例制定に至るのは1990年代後半である。これは地方分権改革の波と軌を一にしている。
議会は「2000年半ばに議会基本条例が登場して議会改革が始まるまでは、正直いってみるべき成果に乏しかった」(神原 2012:11)。第1次分権改革に残された大きな改革課題のひとつが「住民自治の拡充であるが、そのまた核心をなすところの自治体議会の改革」であった(西尾 2007:7)。それが今日、「住民自治の根幹をなす地方議会」として登場するようになっている。
住民、議会の地域経営へのかかわりが増大するにつれ、地域経営の軸となる総合計画条例や、議会に関する条文も含めた自治基本条例も制定されるようになる。こういった住民自治をめぐる新たな条例や動向については、本連載全体で確認する。
3 ウィン・ウィンとしての住民・議会・首長関係
地方政治は、地域民主主義であり、その成熟には住民の政治・行政参加の拡大がポイントである。もちろん、住民だけが政治・行政を担うことを想定しているわけではない。住民による恒常的な参加が困難というだけではなく、議員間、住民と議員、及び議員と首長等との討議空間が政治には不可欠だからである。また、住民の政治・行政参加の拡大は、議会改革を進め、議会が果たす役割(活動量)を高める。そして、住民の政治・行政参加の拡大と議会の活動量の増大は、首長等の役割(活動量)を増大させる。
より具体的にいえば、次のようになろう。今日、住民の要望や提言を中央集権制を理由として拒絶するわけにはいかなくなっている。住民の監視・提言の機会が増大し、日常化すれば、議会や首長ともそれに応えなければならず、そのためには改革が必要になる。また、議会の政策提言・監視能力の向上は、首長等の政策能力を高めるだけではなく、住民もそれを踏まえて議論できるようになり、地域民主主義に資するものである。さらに、首長等の政策能力の向上は、議会との緊張関係を増大させ議会改革を進める起爆剤となり、住民も同様にその水準から出発できる。地方政治は完結するものではない。また、住民自治を推進する運動は制度化されると形骸化する傾向を持つが、それを意識しつつ住民自治のさらなるバージョンアップを求める運動が再生される。まさに、「運動化と制度化の無窮運動」を担う主体が動きやすい環境(地域経営の自由度の増大)が整備されてきている(神原 2009:121-123、 篠原 1977:134)。
なお、住民、議会・議員、首長等の三者関係はゼロ・サム(一方の勝利)ではなく、ウィン・ウィン(三者の勝利=地域協働)の関係として捉えられるし、その方向での地域経営を模索することが必要である。
まさに、二元的代表制=機関競争主義の作動である。代表制の改革、代表制と住民とを結ぶチャンネルの改革、住民参加の手法の進展、進展した住民自治の保障の制度化、といった論点を概観しているのが、下記の表である。詳細は本連載で明らかにしていくが、ここでは住民自治の進展があることを確認しておけば事足りる。
4 もう一歩:地方政治の活性化か衰退か
地方分権改革が地方政治の台頭を呼び起こしていることを議論してきた。しかし、地域政策の選択の幅が狭まっているという議論もないわけではない。地域政策の選択の幅が狭いならば、地方政治は政治的アクターにとって、それほど重要ではない。したがって、それらが政策過程にかかわる動機づけはほとんどない。地域政策選択の幅が狭まっているとして地方政治の重要性を低く見る議論、つまり地方政治の衰退論もないわけではない。
そもそも中央集権制の下では、中央省庁の意向が地方に反映されるため、地方の政策選択の幅は狭いと理解されていた。もちろん、地方からの政治は重要だった(水平的政治競争モデル(村松岐夫))、地方自治体は、様々な政治的資源(政治家等)を活用しつつ、地方の利益を勝ち取る(地域振興政策等)、という議論はあった。こうした地方からの政治は重要だとしても、地方の政策選択の幅は狭く、地方政治の衰退といわれる事態はあった。本連載も、基本的にはこの立場であり、地方分権改革によって地方政治が脚光を浴びるという認識で議論している。とはいえ、中央集権時代の地方政治を真っ黒で塗りつぶすわけにもいかない。住民と自治体との対抗、議会・議員と首長等との対抗などがあったという意味だけではない。中央集権制の下でも独自の政策を実現している自治体もあった。今日先駆的な政策となっている、環境(公害防止条例)、透明性(情報公開条例)、福祉(福祉政策)などは、国に先んじて自治体が主導した政策である。本連載では、地方分権改革により地方政治は台頭するという議論を展開するが、それ以前に地方政治が空白、あるいは衰退していたわけではなく、この点は強調しすぎることはないが、地方分権改革により、地方の政策選択の幅は広がり、地方政治の役割が高まっていることを指摘したい。
さて、本連載では地方分権改革による地域経営の自由度の高まりが地域政治の台頭を呼び起こすことを主張するが、地域経営の自由度が高まっても地方政治は衰退するという議論もある。今日の地方政治の衰退論を紹介しつつ(Pierre 2011)(2)、本連載で議論する立場である、地方政治の台頭の意味を確認しておこう。
① 国内及び国際的な都市間競争に規定される
これは、国内及び国際的な都市間競争の増大が地方政治の議論を抑えているというものである。自治体間競争によって利益を増幅させると考えるからである。新産業都市等の指定、最近ではグローバリゼーションを錦の御旗にしてそれに適合的な都市政策、都市改造がなされていることを想定するとよい。確かに、こうした「外来型開発」の発想はまん延しているが、これではそれぞれの地域の独自性を希薄化させる。グローバリゼーションの時代でも、都市間競争は、それぞれの地域の個性を引き出す内発的発展を要請する。この2つの発想の緊張関係は地方政治を重要なものにする。
② 経済的勢力に自治体が不可避的に従属する
政治家や自治体は、税収入や雇用の増加を目指して、成長政策を戦略的に実施している((ネオ)エリート論)。この議論は、国内的及び国際的な自治体間競争論と容易に結びつく。しかし、すでに指摘したように内発的発展を重視する必要がある。また成長政策は、程度の問題であり、それを決めるのは地方政治である。
③ 財政的危機によって政策選択の幅が縮小
これは、財政危機が政策選択の幅を狭めるという議論である。「多くの西欧諸国の財政的に厄介な1990年代は、政策選択の範囲を狭めたように思われるし、そして政党システムにおける収れんを引き起こした」が、地方政治でも同様な展開となるというものである。財政危機は「あれかこれか」、いわば選択と集中を必要とする。まさにこれは地方政治にかかわることである。逆に今までの経済成長時代には成長志向政策の呪縛にとらわれ、むしろ政治は衰退していた。
④ 政党やその組織への参加の衰退によって地方政治は衰退する
これは、政治的無関心や政治不信の増大、そして政党やその組織への参加の衰退によって地方政治は衰退するというものである。つまり、地方政治におけるアクターの政治参加は、議員、首長、あるいは政党を通じたチャンネル(回路)から単一争点へのかかわりへと変化している。これらは地方政治の衰退と断言できない側面も持っている。そのような参画は、従来のやり方では政治にかかわりたくはない人々のための政治への道を開くことを意味している。従来の政治へのチャンネルである様々な代表制機関の信頼度の低下が、地方政治の衰退に直結するわけではない。代表制機関の活性化は必要であるが、住民運動・参加といった従来とは異なるチャンネルやアクターの重要性は、地方政治の衰退というより活性化と考えられる。
以上、前三者の論点は環境の拘束、最後の論点は地方政治のアクターの変化による地方政治衰退論である。確かに地方政治は環境に拘束される。しかし、一対一対応ではなく、同様な環境であっても、自治体固有の資源(人材、経済、伝統・文化、自然等)はそれぞれ独自であり、それに基づき多様な選択肢の中から政策選択を行う。内発的な発展の差別化が求められている。まさに政治が重要である。また、地方政治のアクターとして代表機関だけではなく、住民の多様な活動はむしろ肯定的に評価されるべきである。
このように考えれば、地方分権による地域経営の自由度の高まりは、さらなる地方政治の充実を要請する。住民、議会、首長等の役割の増大や、それを支える制度化(住民投票条例、自治基本条例等)は、地域民主主義としての地方政治をより豊富化する。また、環境保護、まちづくり、福祉といった新たな争点(アジェンダ・イッシュ)をめぐる政治が重要になっている。
5 もう一歩の先に:地方政治が台頭する時代の「地方政治の負の連鎖」
今回は、地方政治の重要性を強調してきたが、実際の政治では地方政治への衰退や批判がまん延している。投票率の低下や、地方議員・首長選挙(町村)の無投票当選の多さに見られる現状を想起していただきたい。例えば、議会に対する不満が多いこと(不満派約6割)、議員定数削減の住民投票の実施(山陽小野田市、2013年4月7日、50%条項があるために開票されず)、議会不信への対応としての議員定数削減の広がり……など。
この不信は地方議会に対してだけではない。日本でも、国会議員不信、官僚不信、地方自治体の首長や公務員への不信のまん延がある。この傾向は日本だけではなく、少なくとも先進諸国に共通している(ストーカー 2013)。これを強調するのは、何も現状の地方議会や政治に免罪符を与えたいからではない。むしろその逆である。
つまり、着実な改革こそが重要である。住民すべてがすぐに議会を信頼する、あるいは地方政治の重要性をすぐに認識する万能薬はあり得ない。「青い鳥」などいない。地道な改革こそが、泉を掘り当てることになる。
地方政治の重要性とその作動自体が目的ではなく、住民福祉の向上に結びつけることの認識が広がることが重要である。
これを自覚する議会・議員や住民の輪は広がってきたとはいえ、いまだ多数派ではない。自動的に議会改革、住民自治の充実が進むわけではない。住民も議会・議員もその努力が必要である。時代が変わっても、一方で住民の不信、他方で従来の議会運営の継続から、相互不信はまん延し、負の連鎖が生じている。本連載で構想する住民自治の推進は、地方政治の負の連鎖を断ち切ること、そして正の連鎖に転換させることでもある。本連載の目的は、地方政治を民主主義の基本・学校として位置づけることである。
~理解をさらに深めるために~
① 今回は「地方政治」と一括しているが、今後本連載では地域政治(多様な舞台の政治)と地方政治(自治体を軸とした政治)を区分して論じる。
② 地方分権の動向と地方政治は密接に関係している。その動向を確認する必要がある。同時に、それによって地方行政手法も大きく変わらなければならない。
③ 多くの文献では、首長、議会の順で論じることが多い。しかし、本連載では、住民を第一に、次いで議会、最後に首長等としている。これは地方自治法に規定される順であるだけではなく、住民自治を想定すれば、住民、次いで「住民自治の根幹」としての議会が、首長等の前に出るのは当然である。
④ 自治体を、法律用語の「地方公共団体」としてではなく、「地方自治体(自治体)」あるいは「地方政府」として理解する。
⑤ 住民参加や議会改革は、主権者教育・市民教育の重要な要素である。
(1) 「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞)。「ヨミダス歴史館」(読売新聞)でも同様な傾向が読み取れる。
(2) Pierreは、こうした地方政治の衰退論を踏まえながら、古い地方政治は終わり、新たな地方政治が生じているという(Pierre 2011)。つまり、新たな争点とアクターの台頭により地方政治は活性化する。政党政治は衰退しているとしても、住民運動・市民運動が生じていること、インターネットの活用も新たなアクターを見いだす。また、環境問題が重要になってきており、その中にはその解決に直接地方自治体が関係することもある。また、移民の増大は地方政策を変更せざるを得ない。新たなアクターや争点は、日本でも見受けられる。
〔引用文献〕
◇神原勝(2009)『増補 自治・議会基本条例論――自治体運営の先端を拓く』公人の友社
◇神原勝(2012)「この10年考えてきたこと――自律自治体の形成をめざして」『議会・立法能力・住民投票』(「都市問題」公開講座ブックレット25)後藤・安田記念東京都市研究所
◇篠原一(1977)『市民参加』岩波書店
◇ジェリー・ストーカー(山口二郎訳)(2013)『政治をあきらめない理由』岩波書店
◇西尾勝(2007)『地方分権改革』東京大学出版会
◇Pierre, J.(2011), The Politics of Urban Governance, Palgrave Macmillan.