その3 「人里離れて暮らしたい」の裏側には「自己責任」
さて、同じ「田舎暮らし」であっても「どこに暮らすか?」もまた、生活上の実質的コストやリスクに大きく影響してきます。端的にいうと「集落の中に暮らすか?」、それとも「人里離れたところに暮らすか?」という問題です。「田舎暮らし」を希望するにあたって志向する人間関係はそれぞれだと思いますが、おおむね「煩わしい人間関係は御免被りたい」という人と、「都会にはない濃密で温かな絆(きずな)のあるところで暮らしたい」という人、大きく分けて2つのパターンが見受けられるようです。後者の多くは、不動産屋さんの仲介で既存集落の空き家などに移住し、地域コミュニティの行事などにも積極的に参加してくれます。一方、「人間関係から離れて自然の中でひっそりと生活を営みたい」と考える人が、「とにかくこの景色が気に入ったから、ここで暮らしたい」というタイプとともに集落から離れた場所を選択しやすい傾向があるようです。しかし、その土地の気候によって人里離れた場所で暮らすことにも、生活上のリスクは発生します。先に結論をいってしまえば、生活道路など地域の共有インフラのメンテナンスです。
我が町の例で示すと、例えば集落内の生活道路が町道であっても、降雪時の雪かきをすべて行政が担ってくれるわけではありません。基本的に行政が担当するのはあくまで主要な幹線道路のみ、それ以外の生活道路は各地区の自治組織のご近所単位で「雪かき丁場」というものが決められていて、自分たちの家の周りの道路除雪を協力して行います。また、高齢者独居世帯や老老世帯の家に対しては、「じさま、ばさましかいねえ家だで、まとめて雪かいてやるじゃんか」といった暗黙の共助も自然と成り立っているのです。ところが、集落から離れた場所に居を構えた場合には、そういった「共助=ご近所同士の助け合い」が物理的に成立しにくくなるため、自宅から幹線の公道に接続する道路の面倒を自分あるいは家族だけで担わなければならなくなります。若いうちは体力があって身体はいくらでも動くので、「それでもいっこうに構わない」と考えてしまうかもしれませんが、終(つい)の棲家(すみか)として死ぬまで住み続けるつもりであれば、「自分が高齢になって子どもたちがいなくなっても、この生活を維持できるのか?」といった視点も、やはり必要になってくるのではないでしょうか。
少子高齢化の進行によって自治体財政はこの先も右肩下がりが予想され、公助の領域のより多くを共助に依存せざるを得なくなってくる一方、人口減少が顕著な市町村ほど共助の担い手である住民サイドも身体の自由がきく人はどんどん減っているのが現状。「集落から離れて暮らしているから」と排除の論理によって「ご近所が助けてくれない」ということが起こるわけではなく、むしろ高齢化の進行によって住民相互の共助の仕組みそのものがすでに曲がり角にきていて、「物理的に助ける余裕がない」という状況は今後もますます深刻化していくことが予想される――という現実問題なのです。「死ぬまで暮らしたい」という思いで地方移住を考えてくださっている方にこそ、集落内または近辺でコミュニティの絆の中に暮らすことが「老後の生活安全保障」にも直結する、という点を理解してもらうこと。地域の皆さんにも、「将来にわたって相互に助け合える仲間」が増えることを心から歓迎できる大らかさを持っていただくこと。そのために、つなぎ役として行政が担える役割は何かを住民とともに考えていくことが、何より大切になってくるのではないでしょうか。