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2015.12.10 議員活動

Think Globally, Act Regionally! ~小笠原村議会が挑んだ、司法過疎対策~

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小笠原村議会議員 一木重夫

小笠原諸島と世界自然遺産

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 小笠原諸島は亜熱帯地域で、大小約30の島々があります。2,500人の一般住民が暮らす父島と母島は、東京から南に約1,000キロメートルに位置しています。日本の最南端の沖ノ鳥島、最東端の南鳥島も小笠原村の行政区域で、日本の排他的経済水域の約3割を有する広大な行政区域を管轄している国境離島です。小笠原村は東京都であり、車は品川ナンバーです。

小笠原村位置図 (出典:第4次小笠原村総合計画より)小笠原村位置図 (出典:第4次小笠原村総合計画より)

 小笠原諸島は2011年、世界自然遺産に登録されました。小笠原諸島は一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島です。もともと生物種が少なく天敵が少ないために、独自の進化を遂げた固有種が多く生息しています。例えば、本土では草にしかならないキク科の植物が、小笠原諸島では大きな木に進化しています。その生態系が世界唯一の価値があることと、行政や島民の生態系を守る仕組みがユネスコに高く評価されました。しかし近年、生態系を脅かすグリーンアノールトカゲ、プラナリア、ネズミ等の外来種が拡大していて、大きな環境問題になっています。

なぜ小笠原で議員になったのか?

◇14年前に小笠原へ移住
 私は2001年、北海道から小笠原に移住しました。もともとの出身は東京・神奈川ですが、小学生の頃から夢だった水産学を学ぶために北海道大学水産学部に進学しました。大学院時代に小笠原でクジラとウミガメの調査ボランティアに参加したことと、小笠原は当時から観光業と自然保護にバランスよく取り組んでいたエコツーリズム先進地だったので、博士号を取得後に小笠原へ移住しました。

◇エコツーリズム基本計画を策定
 移住から5年間はアルバイト勤務でしたが、調査研究、ガイド養成事業、観光のルールづくりなど、エコツーリズム推進に関することは何でも自由にやらせてくれるすてきな職場環境でした。移住した翌年、小笠原村の諮問機関である小笠原エコツーリズム推進委員会が発足しました。私は委員兼事務局員として、エコツーリズムを基軸にした村のエコツーリズム基本計画の策定に奔走し、2004年に完成させました。

現在のプロモーションムービー現在のプロモーションムービー

◇土木建設業界主導の政治体制が変革
 ところが、当時の小笠原村議会は政策ではなく政局に明け暮れていました。さらに、土木建設業界出身の議員が幅を利かしており、「エコは公共工事の妨げになる」といわれ、エコツーリズム基本計画を真っ向から否定されていました。世界自然遺産の国内候補地になったときも「国や都が飛行場を建設するなら世界自然遺産を認める」というバーター取引を発信するなど、土木建設業界主導の政治体制でした。また私は、エコと公共工事は共存共栄できると考えていて「エコ土木や外来種対策等で公共工事はより発展する」と、重鎮の議員に説得を試みましたが一蹴されてしまいました。一方、私が接してきた小笠原村民は航空路と公共工事の必要性は認めつつも自然を愛し誇りに思って暮らしており、住民の代表であるはずの議会が民意と大きくかけ離れていると感じていました。そのため、土木建設業界主導の政治体制を改革しなければいけないと考え、すてきな職場環境に別れを告げ、生活費と政治調査費を確保するために自営業を立ち上げ、移住7年目の2007年に35歳で定数8人の村議会議員に立候補しました。
 当時、函館出身の妻は妊娠7か月、長女は3歳、始めたばかりの自営業も軌道に乗っていない中、村民の間では「無謀な賭けに打って出た若者がいる」と話題になり、選挙事務所もつくれず地盤・看板・カバンがない中でも、中位の得票率で初当選を果たすことができました。さらに、小笠原エコツーリズム推進委員会の委員長もトップ当選を果たし、土木建設業界主導の政治体制が大きく変革されました。

司法過疎対策に取り組んだ経緯と成果

◇公正な社会とはいえない
 小笠原村には裁判所がありません。司法過疎対策に取り組んだきっかけは、知人がある被害に遭って損害賠償請求をしたときに、相手が開き直って支払いを拒み、相談を受けたことでした。小笠原村民は裁判を起こしたくても現実的に起こせない環境下にいます。小笠原村を管轄する裁判所は霞ヶ関です。片道25時間半、6日に1便の定期船しか本土への交通アクセスがなく、上京すれば9日間は島に帰れません。旅費や滞在費で最低でも15万円はかかるし、仕事も休まなければなりません。特にサラリーマンであれば、自分の裁判のために仕事を休めません。さらに、裁判を起こしても確実に数百万円以上勝ち取る見込みがなければ、裁判を起こすことができません。私は何の助けになることもできずに、結局泣き寝入りすることになってしまいました。
 さらに数年後、ある被害を受けた村民が相手に損害賠償請求をしたときに、同じように相手が開き直りました。しかしその村民は「正義を貫くための裁判」を起こして、本土で戦いました。もちろん勝利したのですが、勝利側の負担も重くのしかかりました。また、裁判所が地元にないことで、身近な紛争を解決できないケースが多々ありました。そのため、司法サービスが身近にないのは公正な社会とはいえないと考え、小笠原村の司法過疎の課題に取り組もうと決意しました。

◇司法過疎の情報収集
 まずは小笠原諸島の司法の歴史を調べてみました。すると、戦前は父島にも母島にも裁判所が設置されていたことが分かりました。米軍施政権下だった戦後ですら、帰島が許されていた欧米系島民(日本人)のために米国は裁判所を設置していました。欧米系島民によると「よく他国の漁船が宝石サンゴを密漁しにきた。沿岸警備隊に拿捕(だほ)されて、父島の裁判所で裁かれていた」とのことです。
 1968年に小笠原諸島は日本に復帰しますが、その前後の国会では復興開発についての議論が活発に行われていました。しかし、裁判所を設置する議論は全く行われていませんでした。公共インフラの議論ばかりで、司法は忘れられているかのようでした。さらに、日本とドイツにおける裁判所のテレビ会議システムを比較し、法テラスにも相談をしてきました。
 また、小笠原諸島のエコツーリズム推進でご縁のあった盛山正仁衆議院議員に相談をして法務省の担当部署を紹介していただき、司法過疎の現状と対策について話を伺うことができました。

◇法務大臣と最高裁判所に陳情
 このようにして情報収集を進めた上で村議会でも議論をして、政府と国会への意見書を起草しました。要望事項は、裁判所の設置と遠隔居住者向けの裁判システムの普及拡大の2点でした。2014年3月、地方自治法99条に基づく意見書を村議会に上程し、全会一致で可決をしました。その2か月後、村議会議員8人全員と村長が上京した際に、村議会は意見書、村長は要望書を谷垣法務大臣に手渡しました。その後すぐに最高裁判所を訪問し、99条の規定外ですが同様に手渡すことができました。最高裁判所の事務方の皆さんが小笠原諸島の司法過疎の状況をとてもよく理解してくださり、その場でテレビ会議システムの充実を検討する旨の回答をいただけました。

小笠原村に簡易裁判所の設立等を求める意見書小笠原村に簡易裁判所の設立等を求める意見書

谷垣法務大臣へ意見書を提出(左から2人目が筆者)谷垣法務大臣へ意見書を提出(左から2人目が筆者)

◇最高裁がテレビ会議で民事調停を導入
 2015年2月、最高裁判所は村役場と東京簡易裁判所をテレビ会議システムで結んで、裁判所に行かなくても民事調停を受けられる仕組みを導入する方針を発表しました。このときにNHKが「最高裁が裁判所がない離島対策でテレビ会議システムを活用するのは初めて」と報道し、全国で初の事例であることを知りました。今後、離島や半島などのへき地を抱える自治体と裁判所をテレビ会議システムで結び、司法サービスを十分に受けることができる環境整備が進むことを期待しています。小笠原村では4月から運用が始まっていますが、提訴した事例が1件だけあると聞いています。

◇裁判所がないので中国密漁船を逮捕できない現実
 意見書を村議会で可決してから半年後、小笠原諸島は中国密漁船団の侵略に遭いました。200隻以上にも及ぶ中国密漁船団は、白昼堂々と私たちが平和に暮らす父島と母島の領海、時には数百メートル沖で、地元の漁船を蹴散らしながら宝石サンゴを略奪し、世界自然遺産に登録されている自然豊かな海域ですら荒らされてしまいました。

中国密漁船団中国密漁船団

 あのような大規模な密漁を許してしまった大きな原因のひとつは、小笠原諸島に裁判所がなかったことです。戦後の米軍統治下、他国の密漁船は小笠原で捕まり小笠原で裁かれていました。しかし現在は小笠原に裁判所がないので、小笠原で捕まえると海上保安庁の大型巡視船2隻態勢で、4日間もかけて1隻の密漁船を横浜まで曳航(えいこう)する必要があります。逮捕して横浜まで曳航して、再び小笠原まで戻ってくるまでの6日間、小笠原の警備体制は手薄になってしまいます。そのため海上保安庁は当初、中国密漁船を逮捕できませんでした。

◇国境離島の安全保障のために裁判所は必要
 この問題に気づいた自民党が急きょ、小笠原に裁判所を設置する案を検討しました。しかし、実現には至っていません。今後、中国密漁船団の侵略に遭わないため、また国境離島のグレーゾーン事態に対処するためにも、小笠原に裁判所を設置することは我々島民のためにも、国家・国民の安全保障のためにも必要だと考えており、今後も引き続き要望を続けていきたいと思っています。

地方議会の視点

◇意見書提出は地方議会だけの権能
 地方議会は住民の生活とともにあり、特に市区町村議会は住民と最も身近な距離にあります。いうまでもなく地方議会は地方公共団体の意思決定を行う住民の代表者であり、首長は意思決定に基づいて予算編成や執行等の事務をつかさどる地方公共団体の代表者です。地方議会の議員は住民でなければなれませんが、首長は住民である必要はありません。今回、地方自治法99条に基づく意見書を政府と国会に提出しましたが、法に基づいて提出できるのは住民の代表たる地方議会だけの権能です。首長には与えられていません。

◇目の前の課題解決の先に理想の未来像がある
 小笠原村議会では近年、国や東京都に対して住民の視点に立った意見書が頻繁に審議されています。村民は多くの場合、国や東京都の施策であったとしても、まずは身近な村議会議員に相談をしてきます。村議会はその最初の受け皿になることが求められます。私はこれまでに防衛省、財務省、法務省、環境省、気象庁等に要望をしてきましたが、最初のきっかけは村民の声がほとんどです。在日米軍に村議会の決議を送付して、村民の要望をかなえてもらったこともあります。時には他国の政府や海外企業にも働きかけをしなければならないこともありますし、辞書を引きながら英語の資料や難解な学術書や法令を読まなければいけないときもあります。
 私は村の課題をピックアップするとき、主義、思想、理論に基づく机上の空論ではなく、一人ひとりの村民・現場の声を最も大切にしています。その課題を解決するときには、自ら限界と境界線をつくらずに幅広い視野を持ち、広く可能性を探るために調査研究をして政策を立案し、利害関係を調整した上で政策を実行する必要があると、いつも自分に言い聞かせています。さらに、目の前にある村民の課題を一つひとつ解決していく先に、地方分権や地方創生という理想の未来像があるのではないかと考えています。

■参考
・第4次小笠原村総合計画
 http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/wp-content/uploads/sites/2/2014/10/op140415_ogasawara.pdf
・小笠原村の歴史
 http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/history/
・小笠原村観光局
 http://www.visitogasawara.com/index.html

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一木重夫

この記事の著者

一木重夫

小笠原村議会議員、博士(水産科学)、小笠原空港開設推進特別委員会・委員長。 1971年千葉県千葉市生まれ。海好きから水産学部を志し、1992年北海道大学に入学。大学院修士時代に小笠原海洋センターでボランティア活動。2001年、小笠原でホエールウォッチング協会に就職。エコツーリズム推進に明け暮れる中、村議会を傍聴し議会事務局でアルバイトをしていた妻と結婚。2007年の村議会議員選挙に立候補、158票、9人中5位で初当選。2015年、民事調停テレビ会議システム導入で第10回マニフェスト大賞最優秀政策提言賞受賞。12歳の娘と8歳の息子の父。現在3期目、44歳。 ◆公式HP http://www.k5.dion.ne.jp/~ichiki/index.html ◆Facebook http://www.facebook.com/shigeo.ichiki ◆ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/ichikishigeo_07

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