小笠原村議会議員 一木重夫
小笠原諸島と世界自然遺産
小笠原諸島は亜熱帯地域で、大小約30の島々があります。2,500人の一般住民が暮らす父島と母島は、東京から南に約1,000キロメートルに位置しています。日本の最南端の沖ノ鳥島、最東端の南鳥島も小笠原村の行政区域で、日本の排他的経済水域の約3割を有する広大な行政区域を管轄している国境離島です。小笠原村は東京都であり、車は品川ナンバーです。
小笠原諸島は2011年、世界自然遺産に登録されました。小笠原諸島は一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島です。もともと生物種が少なく天敵が少ないために、独自の進化を遂げた固有種が多く生息しています。例えば、本土では草にしかならないキク科の植物が、小笠原諸島では大きな木に進化しています。その生態系が世界唯一の価値があることと、行政や島民の生態系を守る仕組みがユネスコに高く評価されました。しかし近年、生態系を脅かすグリーンアノールトカゲ、プラナリア、ネズミ等の外来種が拡大していて、大きな環境問題になっています。
なぜ小笠原で議員になったのか?
◇14年前に小笠原へ移住
私は2001年、北海道から小笠原に移住しました。もともとの出身は東京・神奈川ですが、小学生の頃から夢だった水産学を学ぶために北海道大学水産学部に進学しました。大学院時代に小笠原でクジラとウミガメの調査ボランティアに参加したことと、小笠原は当時から観光業と自然保護にバランスよく取り組んでいたエコツーリズム先進地だったので、博士号を取得後に小笠原へ移住しました。
◇エコツーリズム基本計画を策定
移住から5年間はアルバイト勤務でしたが、調査研究、ガイド養成事業、観光のルールづくりなど、エコツーリズム推進に関することは何でも自由にやらせてくれるすてきな職場環境でした。移住した翌年、小笠原村の諮問機関である小笠原エコツーリズム推進委員会が発足しました。私は委員兼事務局員として、エコツーリズムを基軸にした村のエコツーリズム基本計画の策定に奔走し、2004年に完成させました。
◇土木建設業界主導の政治体制が変革
ところが、当時の小笠原村議会は政策ではなく政局に明け暮れていました。さらに、土木建設業界出身の議員が幅を利かしており、「エコは公共工事の妨げになる」といわれ、エコツーリズム基本計画を真っ向から否定されていました。世界自然遺産の国内候補地になったときも「国や都が飛行場を建設するなら世界自然遺産を認める」というバーター取引を発信するなど、土木建設業界主導の政治体制でした。また私は、エコと公共工事は共存共栄できると考えていて「エコ土木や外来種対策等で公共工事はより発展する」と、重鎮の議員に説得を試みましたが一蹴されてしまいました。一方、私が接してきた小笠原村民は航空路と公共工事の必要性は認めつつも自然を愛し誇りに思って暮らしており、住民の代表であるはずの議会が民意と大きくかけ離れていると感じていました。そのため、土木建設業界主導の政治体制を改革しなければいけないと考え、すてきな職場環境に別れを告げ、生活費と政治調査費を確保するために自営業を立ち上げ、移住7年目の2007年に35歳で定数8人の村議会議員に立候補しました。
当時、函館出身の妻は妊娠7か月、長女は3歳、始めたばかりの自営業も軌道に乗っていない中、村民の間では「無謀な賭けに打って出た若者がいる」と話題になり、選挙事務所もつくれず地盤・看板・カバンがない中でも、中位の得票率で初当選を果たすことができました。さらに、小笠原エコツーリズム推進委員会の委員長もトップ当選を果たし、土木建設業界主導の政治体制が大きく変革されました。