2 平成22年(ワ)第222号損害賠償請求事件──剣太事件の法的位置付け(総論)
平成22年(ワ)第222号と番号が付された剣太事件裁判は、剣太のご両親である英士さんと奈美さんが原告となり、剣道部の顧問・副顧問、県及び市を被告として、民法709条、715条、国家賠償法1条1項を根拠とした民事の損害賠償請求事案である。
その裁判記録は、最高裁判所が定める「事件記録等保存規程」(2)9条2項のいわゆる永久保存(特別保存)の指定がなされ(3)、後世に残すべき法的・歴史的価値の高い判決として位置付けられていた。
数多くの判例・法律雑誌に取り上げられているが(4)、例えば、判例時報2197号89頁では、柱書として、「県立高校2年生の生徒が剣道部での練習中に倒れ搬送された市立病院で熱射病により死亡した事故につき、剣道部顧問の教諭に過失があると同時に搬送された市立病院の医師にも治療上の過失があるとして、県及び市の共同不法行為による損害賠償責任が認められた事例」として、また、D1-Law.com判例体系では、「県立高校の剣道部の部員であった亡Aの両親が、同部の顧問らについて、亡Aが熱中症又は熱射病を発症したにもかかわらず、直ちに医療施設へ搬送するなどの処置を取らなかった過失があり、また、市が設置する病院の担当医について、適切な医療行為を尽くさなかった過失があり、これらの各過失によってAは死亡するに至ったと主張して、顧問ら、県及び市に対し損害賠償を求めた件につき、県及び市に対する請求が一部認容された事例」として紹介される。
前述の判例時報解説によれば、学校における部活動中の生徒の人身事故においての先例はあるものの、「剣道部の練習中の人身事故についての先例は見当たらない」こと、「本判決は指導教諭の過失と病院搬送後の医師の過失の競合を認め、共同不法行為による損害賠償責任を認めている」点で、「交通事故の加害者の加害行為と被害者を治療した医師の医療過誤行為を共同不法行為として連帯損害賠償責任を認めた先例(最判H13.3.13民集55・2・328)は見受けられるが、本件のように剣道部の顧問教諭の過失行為と被害生徒に対する医師の医療過誤との間に共同不法行為の関係を認めた」点で「注目される」と評価されている。
3 剣太事件の争点と法的位置付け(主な争点と要旨)
(1)主な争点
大分地方裁判所は、争点として、11の項目を整理した。①剣太の熱射病の発症時期、②顧問の過失の有無、③副顧問の過失の有無、④運び込まれた市立病院の担当医師の過失の有無、⑤顧問及び副顧問の各過失と結果との間の因果関係の有無、⑥運び込まれた市立病院の担当医師の過失と結果との間の因果関係の有無、⑦大分県に対する損害賠償請求権の成否、⑧豊後大野市に対する損害賠償請求権の成否、⑨顧問及び副顧問に対する損害賠償請求権の成否、⑩共同不法行為の成否、⑪損害の額、以上の11項目である。
(2)主な論点と判決の要旨
以下では、上記争点のうち、いくつかの要件(論点)の当てはめ部分を、多少抽象度を高めて法的に整理した形で抽出して解説する(証拠を除いた判決文(5)自体はURLを添付)。
ア 県の責任
第1に、県の責任についてである。国家賠償法1条1項の要件となる「過失」に関して(上記裁判所整理の争点の②③⑤⑦⑩関連)は、剣太が意識障害を生じた際に、剣道部の顧問及び副顧問が直ちに練習を中止し、救急車の出動を要請し、併せて冷却措置をとっていたとするならば、剣太の体温を早期に降下させることができ、高度の蓋然性をもって救命ができたと認められるとして、顧問及び副顧問の過失と剣太の死亡との間に相当因果関係を認めている。
判例時報2197号89頁では、「剣道場内で打ち込み稽古をしている途中、A〔剣太〕が竹刀を落としたまま、これに気付かず竹刀を構える仕草を続けるなど同人に意識障害の発現した時点で、Y2〔顧問〕としては、自己も剣道を行い指導歴も豊富で、夏場の剣道の稽古が非常に暑い環境の下で行われていることから、Aが熱射病を発症していることを予測でき、直ちにAの練習を中止し、適切な冷却措置をとるべき注意義務があるのに、その後もAに、打ち込み稽古を続けさせ、Aが倒れた際にも、Aの救助措置を取らなかったことに過失があること、また、Y3〔副顧問〕は剣道部の副顧問としてY2とともに、Aの前記仕草を見ていたのに、Y2がAに練習を継続させるのを制止せず、Aが倒れても直ちに救急措置を取らなかったことに過失」があることを認めたと解説している。
イ 市の責任
第2に、市の責任についてである。市の責任の根拠(民法715条の使用者責任(6))の前提となる医師の治療上の「過失」(民法709条の不法行為責任(7)(上記裁判所整理の争点の④⑥⑧⑩関連))に関しては、搬送先の病院の医師は、熱射病を発症している疑い((ⅰ)受入れ時の体温39.3度、(ⅱ)意識障害、(ⅲ)発汗停止、(ⅳ)重度の熱中症との診断、(ⅴ)顧問から剣太の倒れた状況聴取、これらから熱射病発症の可能性を認識し治療を行うべき注意義務)のある剣太に対し、約2時間冷却されていない輸液での経過観察をするのみで、直ちに四点冷却(8)等の効果の大きい冷却措置をとらなかった点に、注意義務を怠った過失を認めている。当該市立病院の医師の過失については、市が使用者として、民法715条1項の損害賠償責任を負うとした。
ウ 県と市の責任の関係(共同不法行為)
第3に、県と市の責任の関係である。上記顧問・副顧問の過失と医師の過失と剣太の死亡との因果関係(上記裁判所整理の争点の⑦⑧⑩関連)に関しては、搬送先の病院において医療水準に従った適切な治療が行われていれば高い確率で剣太を救命することができたとの事情が認められるとしても、かかる事情は、先行する剣道部顧問らの各過失と結果との間に因果関係が認められることについて、影響を与えるものではないとしている。
それゆえ、損害賠償責任の範囲(上記裁判所整理の争点の⑩⑪関連)としては、意識障害を生じた剣太に対して適切な措置をとらなかった剣道部顧問・副顧問の過失行為については国家賠償法4条、民法719条1項所定の、搬送先病院の医師が適切な冷却措置をとらなかった過失行為については同項所定の共同不法行為に当たるとして、県と市が、被害者の被った損害の全額について連帯責任を負うとしたものである。
エ 顧問・副顧問の責任(公務員個人責任)
第4に、顧問・副顧問の個人責任についてである。国又は公共団体が国家賠償責任を負う場合には、公務員個人は民法上の不法行為責任を負わない。また、国又は公共団体は重ねて民法715条1項本文に基づく損害賠償責任を負うことはない、としたものである。この結論自体は、これまでも最高裁判所が繰り返し判示(9)しているものであるが、本事例のような教員の暴行・傷害を起因とする事案まで、公務員の対外的個人責任免責の法理の対象にしてよいものではなかろう。筆者は、このまま被害者感情を無視する制度運用を行うことは、司法の信頼を失うことになるとして、判例変更及び立法的解決を主張している(別の回に詳述する(10))。