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2017.04.25 政策研究

第11回 住民自治の進展(上)――地域経営の新たな手法――

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2 ローカル・ガバナンス、協働、新しい公共に対する批判

 協働に対する批判や疑義がある。協働を念頭に置いたものだが、原理的にはローカル・ガバナンスや新しい公共も対象となる。そもそも、住民が主権者なのだから協働などあり得ない、行政は公僕として従えばよいという根源的な批判であり、協働を担う住民は自発性を強調されるが、それは政治や行政に誘導されたものであって参加の強制ではないのか、という疑義である。これらの批判や疑義に応える中で、協働の意義を再確認しておこう。

(1)公僕との協働はあり得ないか
 住民が雇った行政職員あるいはその集合体である行政組織と協働する必要はない、「雇い主は雇われ人を意のままに使うことが本分なのであって、彼らと『協働』する必要などまったくない」という批判がある(新藤 2003:9−10)(2)。確かに、住民が主権者であるがゆえに、議員や首長、さらには執行機関の職員は公僕として従えばよい。しかし、これは原則あるいは理念であり、住民が一丸となって公僕を監視したり活用する制度を構築できなければ、住民が「国民」と同様に抽象化され一般化されるようになり、結局は行政主導の運営となってしまうであろう。
 そこで、協働によって、原則あるいは理念と現実とをつなぐことが必要である。住民は、選挙を通して主権の一端を行使するが、本来的には4年に一度ではなく日々主権者である。そこで、地域を担う主体がそれぞれの能力を発揮して地域経営に取り組めばよい。専門性を有する職員、市民性を有する住民、議論する能力を有する議員、それぞれが自分の役割を自覚し協力することにより、地域経営に当たる。職員や議員は、その中で市民性を養うことになるし、住民は職員が有する専門性を活用することになる。実際のワークショップなどで、職員や議員の発言によって住民の意見がまとまり提言が充実することもある。逆に、誘導があれば、そうした職員や議員を問題にすればよい。現実場面で、職員や議員は、その場の住民の意向にだけ沿う必要はない。三者が協力しながらよりよい提言を仕上げる姿勢こそが重要である。

(2)協働は住民を誘導する参加にすぎないか
 協働の基礎である自発性が、実は政治や行政によって動員へと絡めとられていく危惧が指摘される。今日の政治状況から参加を考えると、現状のシステムの担い手としての役割を強調する「ナショナリズム」の方向、そしてそれとは異なる別の方策がある。「現状とは別様なあり方を求めて行動しようとする諸個人を、抑制するのではなく、むしろそれを『自発性』として承認した上で、その行動の方向を現状の社会システムに適合的なように水路づける方策」として、参加やボランティアが肯定される。しかしそれは、現代の政治秩序に適合的なものが、参加やボランティアとして肯定されているにすぎない。そもそも、既存の政治秩序に適合しない暴走族はもとより、宗教団体、政治団体、さらには女性やマイノリティの権利擁護、原子力発電所建設やごみ処分場建設への反対などは、参加やボランティアとは呼ばないのではないかという指摘もある(中野 1999)。
 また、住民はかつて福祉の権利の主体であったが、消費の主体を経て、小さな政府論と連動して、「積極的に福祉を支える『自己実現』の主体へと鋳直された」。その際、自己実現は「ある種のモラルに支えられ」、それに適さないものは不適格者としてのレッテルを貼られる。つまり、参加型福祉社会への参加が強要され、それに参加しない者への道徳性が問題とされるという危惧からの批判である(渋谷 1999)。
 戦前の軍国主義をつくり出した動員は、むしろ国民の自発的参加を起点としていたこと、さらにその動員が規範となり動員されない人々を強制するとともに「非国民」として排除した歴史を考えれば、この視点は常に顧みなければならない。しかし、こうした批判によって何が生み出されるのであろうか。協働という概念が積極的に肯定する参加が、動員につながる危惧があるからといって、それらを全く提起せず、行政主導で政策が形成され、公共サービスに対して受動的に、つまり消費者として登場する従来の住民像を現状のまま肯定するわけにもいかない。そこで、一方でこれらの批判を考慮しながら、他方で住民自治を進めることの意義の確認と制度化を模索する必要がある。
 協働は、あくまで行政に奪われていた政策過程の様々な権限を住民が奪還すること、強化(エンパワー)することに主眼がある。従来のように中央政府の機関や自治体の決定に委ねることではなく、個々の住民の個性を生かすために、住民自らが決定するという住民自治の理念を実現することである。そこでは、住民自治の制度を確立することが必要となる。この点を軽視することになれば、そもそも住民が客体として扱われてきた伝統的統治システムを認めることになる。その転換を、協働を目指すことによって打開したい。
 協働においてはそれを担う住民の自発性が強調されるが、政治や行政に誘導されたものであり、参加への強制だという批判は当たらない。むしろ、そうした批判が想定する事態に陥らないために開放的な討議の場を設定する必要がある。住民と自治体/行政の対峙(たいじ)(〈住民―行政〉関係)は、行政が住民の声を個別的に聞くだけになりやすいだけではなく、財政や人員といった資源を考慮すれば、両者には圧倒的な相違が存在する。そうだとすれば、住民が主体となるよう政策過程を変えるためには、まずもって住民自身が討議し提言する場を設定し、それを自治体が支援する仕組みを模索することが必要となる(〈住民―住民〉関係の構築)。
 もちろん、住民が参加することが、時には「多数者の専制」を招くということも視野に入れなければならない。まず、人権は憲法で保障されているだけではなく、協働に基づく新たな権利を生み出せばよい。地域をよりよくするためには、行政や議会の責務のほかに、住民の責務も明記することである。排他的な政治文化の危惧もないわけではない。しかし、それは権利を基礎としているのであって、仮に参加に否定的であったり、参加しないからといって罰則を規定するわけではない。参加や協働を重視しながらも、参加しない住民が不利益を被らないことを条例化することも考えてよい(3)。さらに重要なことは、協働は対等・平等な主体間の関係を前提にしていることである。多様性の中に一致を見いだす政治文化(合意の政治)の醸成が協働の課題である。
 自治体は、中央政府とは異なる原理で構成されている。権力機関という中央政府と共通の性格を持ちつつも、自治組織という性格も有している。自治体を考える場合、ライオンを檻(おり)に入れるような近代憲法の原理とは異なる発想を有することが必要である。

江藤俊昭(山梨学院大学大学院研究科長・法学部教授博士)

この記事の著者

江藤俊昭(山梨学院大学大学院研究科長・法学部教授博士)

山梨学院大学大学院研究科長・法学部教授博士(政治学、中央大学)。 1956年東京都生まれ。1986(昭和61)年中央大学大学院法学研究科博士後期課程満期退学。専攻は地域政治論。 三重県議会議会改革諮問会議会長、鳥取県智頭町行財政改革審議会会長、第29次・第30次地方制度調査会委員等を歴任。現在、マニフェスト大賞審査委員、議会サポーター・アドバイザー(栗山町、芽室町、滝沢市、山陽小野田市)、地方自治研究機構評議委員など。 主な著書に、『続 自治体議会学』(仮タイトル)(ぎょうせい(近刊))『自治体議会の政策サイクル』(編著、公人の友社)『Q&A 地方議会改革の最前線』(編著、学陽書房、2015年)『自治体議会学』(ぎょうせい、2012年)等多数。現在『ガバナンス』(ぎょうせい刊)連載中。

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