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2019.10.10 議員活動

新連載第1回 議会は議論しているか

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龍谷大学政策学部教授 土山希美枝

1 とても単純な質問

 議会は議論しているか?議論する場になっているか?という問いから、連載を始めたい。  
 この問いが「ハイ」という答えを期待していると思う読者は少ないだろう。議会改革の様々な取組みを見て触れて感じるのは、議論だけでなく、対話も、討議も、つまるところ「話し合い」成分が議会には足りないのではないかということだ。

2 議会と話し合いをめぐる現状

 議会で行われる話し合いの場を想像してみよう。議員は「関心が低い市民」や「責める市民」にしょんぼりし、市民は「面白くない議会」にがっかりする「心が折れる議会報告会」。制度は導入したものの機能しない「盛り上がらない議員間討議」。「残念な質問・もったいない質問」に「やり過ごし答弁」という不毛な審議の場。自分がかかわって決めたわけではないルールなのに異議申立ての機会もない「申合せ」。同じ議員なのに会派同士の壁は厚く、会派がホームで議会はアウェイ、無会派は何となく疎外されがち。事務局というお世話係に依存して、自治の機構のはずの議会の自主的自律的運営つまり「議会自治」が乏しい。意欲に燃える新人議員は失望して諦め、改革に取り組んできた中堅議員が疲弊して去る。議会がそんな場であれば、機能が弱いのも、関心が低いのも、なりたい人がいないのも、当然ではないか?そして、これらが誇張にすぎるといえる自治体議会はどれくらいあるだろうか。
 

3 議論の前提は議会にあるか

  ではなぜ、議会に「話し合い」成分が足りないのだろうか。  
 単純にいえば、議論の前提そのものが成り立っていないからだ。  
 議論が行われるときは、結論をその議論によって形成することが当然の前提のはずだ。議論が必要になるのは、「すでに分かっている正解」がなく、「自分たちなりの答えを自分たちでつくる」ときだからだ。そのため、構成員の多様な意見を集約していく過程が議論として必要になる。首長提出の議案審議では、議案という「仮の答え」がこれでいいかという議論になるが、それでもハイかイイエかだけでない「結論の自由度」があることが議論の前提のはずだ。  
 この、「結論が、その議論の構成員によって、議論を通じて形成されること」という議論2の前提が、現状の議会に成立しているだろうか。  
 むしろ、神原勝氏が「追認機構」と指摘した(1)ように、議論の前提とは逆に、議会は首長提出議案が「解答として正しい」ことを追認し裏書きする機構として成り立ってきたのではないだろうか。日本の近代化の過程で、行政は「絶対・無謬(むびゅう)」の強い権力主体として政策を展開し、自治体行政はその下部機構として「法の執行」を担ってきた。高度成長期から2000年分権改革に至る「自治体の政府化」を経てもなおその感覚は残り、議会審議は行政が「正しい解答」を示していることを前提に、それを追認し正統化する機会として機能しているのではないか。  
 議案が「正しい解答」であるという前提であれば、議案が修正されることは、行政が「間違っていた」ということ、議案が「間違っていたから直された」ということになる。行政は「正しい」はずが「間違えた」となると、誰かのメンツがつぶれたり責任問題になったりする。そういうわけにはいかない。でも、実際には、いろいろマズいところや問題がある。だから、表から見えないところで、誰かが、何とかしている……かもしれない(2)。表向きは、行政の提案どおり可決された事実だけが残る。市議会議長会の調査によれば、議会の議案の91%が市長提案で、その99.1%が変更なく可決される(3)。「正しい解答」が明らかなときには議論は不要だ。議論には時間がかかるのだし、「正解」を持つ者がバリバリ進めるのが効率的だ。行政が「正解」を持っている、行政に任せればうまくやる、という前提なら、行政はやりたいことをやることができ、議会は行政の「正解」をかたちばかり「検算」する軽い負担ですむ。Win-Winの相互依存関係といっていいかもしれない。  
 議論が必要となる前提がなく、ましてや、行政が「正解」を持っている前提なのであれば、議会の「議論」が形骸化するのは当然だ。審議は議案を正統化する手続過程として機能して、議会は追認機構になる。
 

4 政策にはなぜ議論が必要か

 しかし、当然の事実として、自治体政策には、「すでに分かっている正解」はないし、行政が「正解」を示して「うまくやる」とも限らないのだ。  
 だから、議会は、「正解」のない中で、多様な利害と価値観を持つ構成員にとって「自分たちなりの答え」を形成しなければならない。しかも、その決定はその地域に住む人々すべてにかかわる。だから、「見える場」でなされる必要がある。では、議会は議論によって何についての「答え」を形成することが期待されているのだろうか。目線を変えて、人々と社会、そこでの自治体の役割から確認してみよう。  
 私たちのくらしは、誰もが、意識しているかいないかにかかわらず、〈政策・制度〉のネットワークの上に成り立っている。ライフラインはもちろん、日々のごみ捨てから緊急時の対応まで、誰かが社会に提供する〈政策・制度〉を基盤とし、必要なときには自分がその主体になる。自治体ももちろん、政策課題の現場つまり人々のくらしに最も近い政府である(4)。  
 こんにちの都市型社会(5)にとって、政府の役割とは、「その地域の人々にとって必要不可欠な〈政策・制度〉を整備する」ことにある。国も自治体も、範囲や権限の差はあれ、政府である。政府は人々から強制的に集めた資源で政策を整備し、強制力を持つ法令を整えるため、そうした強制が許される範囲は「必要不可欠」、「必要最低限」に限られる。また、社会にあふれる無限の課題に、限りある資源を配分して自治体〈政策・制度〉を整備する以上、一つひとつの政策効果が高いことが望まれる。つまり、よい政府の条件とは〈政策・制度〉を、①人々の「必要不可欠」に応じて、②それぞれの効果が高いものを整備するということになる。  
 しかし、①何が「必要不可欠」かということにも、②どの政策なら効果が高いかということにも、「あらかじめ分かっている正解」はない。もちろん、自治体が行っている1,000にも上る事業すべてを常時ゼロから意思形成することは現実的でないし、行政の裁量に任されている部分も大きいが、必要なときには「自治体としての意思決定」を議会が行う。必要不可欠以上のことが計画されているとき、必要不可欠なのに対応していないとき、既存〈政策・制度〉の効果が低いとき、そして、議論つまり多様な意見を踏まえて「自治体としての意思形成」をしていく必要があるとき、それを〈争点〉として議会における議論は起動しうる。  
 単純にいえば、争点つまりモメゴトがあるとき、議会の出番があるのだ。

土山希美枝(法政大学法学部教授)

この記事の著者

土山希美枝(法政大学法学部教授)

龍谷大学政策学部教授を経て、2021年から法政大学法学部教授。法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻博士課程修了。博士(政治学)。専門分野は、公共政策、地方自治、日本政治。著書に『質問力で高める議員力・議員力』(中央文化社、2019年)。『「質問力」でつくる政策議会』(公人の友社、2018年)。『高度成長期「都市政策」の政治過程』(日本評論社、2007年)など。北海道芦別市生まれ。

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