倉敷市議会議員 齋藤武次郎
県庁を辞めて市議会議員選挙にチャレンジ!
中学3年生のとき、叔父の会社が倒産し、生家を追われ、市内を転々とする生活を強いられた。そのときに多くの人に助けられ、将来は恩返しできるような仕事がしたいと岡山県庁に入庁。しかし、税金の使途に疑問を抱き、「行政は社会的弱者支援を最優先すべき」との思いを実現させるために、市議会議員選挙への立候補を決意し、辞表を提出。
家族に政治家はいないし、後継候補でもない、その当時、住んでいたところは公務員生活を送りながら5年間しか住んでいない、地域活動なし、「地盤、看板、カバン」なしの無謀なチャレンジだった。「どうして、県庁を辞めて、選挙に出るのか?」といわれながらも、若さに期待してくれてか、当選した。
若手議員ネットワークで研さん
初めての選挙、初めての議員活動、分からないことばかりだった。同じ議会内の議員以外にも、相談できる仲間、お互いに研さんし合える同世代の仲間が欲しいと思った。そこで、岡山県内若手市町村議員グループ「議員ネット30」を創設するとともに、全国若手市議会議員の会設立にも携わった。そのほかにも、年齢にかかわらず参加できる「岡山地方自治政策研究会」を設立し、今でも定期的に政策研究会を開催している。
若手議員グループでは、会員の選挙応援のほかにも、新人候補の応援や選挙グッズの貸し出し、ノウハウ享受も行った。
また、同世代の議員がどんな活動をしているのかを情報共有することで、大きな刺激になったり、「そんなこともできるのか、自分も頑張らなくては」との思いも出て、活動の原動力になった。
勉強会の後に、各議会で同一の質問を行う共同質問や、県に対しての要望を行う活動も行った。
議員一人だと取り上げてくれなかったマスコミも、若手議員の会として行動すると、大きく取り上げてもくれた。
真剣な政策議論を通じて培った仲間たちとの友情は、若手でなくなった今でも大切な宝物となっている。