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立法事実から見た条例づくり

2018.09.25 政策研究

大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例(下)

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4 条例の立法事実の検討

(1)条例の必要性
 条例の必要性については、「1 市における条例制定の背景・経緯」で述べたとおりである。
 条例は、あくまでも人種又は民族に係る特定の属性に特化しており、人権施策推進審議会答申は、「他の人権課題(思想信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病、性的指向など)については、それぞれの人権課題についてヘイトスピーチの定義に該当する事象が多く発生し、社会における差別意識の拡大が懸念されるなどの社会的問題となるような段階」で、同審議会において検討を行うことが適当であるとしている
 高橋和之教授は、「人種・性・性的志向等を異にするマイノリティ集団に対する敵意・憎悪・嫌悪などを表す表現」が「特定個人ではなく、人種、民族、女性あるいは障害者などの特徴あるいは属性をもつ不特定多数の集団に向けて発せられる場合には、いまだ言論に留まっていると考えるべきであろうか、それとも差別『行為』に踏み込んでいると考えるべきであろうか」と問い、「前者なら原則として規制は許されないが、後者なら許されるということになる」と述べる。そして、「アメリカでは、前者の考えが有力であり、合衆国最高裁の判例ともなっている。それに対し、ヨーロッパ諸国では後者の理解が一般であり、たとえばユダヤ人を憎悪しナチスを擁護するような言論は刑罰の対象とされている」と述べる
 その上で、高橋教授は、「言論と行為の区別を基礎に許される表現と許されない表現を切り分けるアメリカ的発想も、表現の自由の保障の観点からは重要であるが、我が国の国民性を考慮すると、言論を通じて差別的・憎悪的感情が醸成・増幅されていくのを手遅れにならない段階で防止する方策を考える必要があるかもしれない」(下線筆者)と述べる。これは日本の近現代の歴史的経験に照らしての叙述と思われるが(21)、国民性も立法事実を構成するということであろう。
(2)条例内容の合理性・非法令抵触性
ア 事前規制(ヘイトスピーチの禁止規定)の回避
 「条例の概要図」では、条例制定の目的・趣旨〈第1条〉で、「条例を制定することにより、市としてヘイトスピーチを許さないという姿勢を明確に示し」とあるが、1条の条文(22)自体からはその趣旨を明確に読み取ることはできない。条例を制定することで、市がヘイトスピーチを許さないという姿勢を示すことと、条例中で具体的に「許されないこと」を規定することとは異なると考える。
 2015年10月6日の財政総務委員会において、委員から陳情書で「条例案に、何人も条例の目的に反して公然とヘイトスピーチをしてはならないとの条項をつけ加えてほしいとの要望が上がってきております。……条例案には一番肝心なところが抜け落ちているように思います」、「条例案に盛り込まなかった理由は何なのか」との質問があった。(23)
 これに対し、市市民局ダイバーシティ推進室人権企画課長(以下「人権企画課長」という)は、人権施策推進審議会の「答申内容と……して、ヘイトスピーチを行っている者への義務づけ、禁止などの規制を設けるということにつきましては、現段階では表現の自由との関係においてさまざまな見解がある……ことから慎重に取り扱うべきであり、それらの規制を設けるといった観点よりも、市民等の人権を擁護するという観点からの仕組みづくりを基本とするのが適当である」(下線筆者)というものであったことから、「答申の内容に沿って条例案の策定を進めて」きた旨答弁している。(24)
 その答弁に対し、質問者は、「これは実は順番が逆ではないか……。たとえ罰則規定のない理念条例的であっても、まずはヘイトスピーチはしてはいけないと、当たり前のことであっても規定すべきだと思います。その上で次の段階に発展していくと考えております」と指摘している(25)
 解消法は、法的効果がないとされる前文(26)で、名宛人を明示することなく「ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言する」と規定している。
 「Q&A」の16.は、「ヘイトスピーチが行われないよう、条例で活動を禁止又は事前に規制したり、中止させることはしないのか」という問いに対し、「実施される表現活動がヘイトスピーチに該当するかどうかは事前に判断できないため、あらかじめ、街宣活動や集会を禁止又は規制したり、その場で中止させたりするような対応は規定していません。/表現活動が『ヘイトスピーチ』に該当するかは、事後に審査会において審査の上、市として判断することとしています」と答えている。
 これは、個々の事例における事前規制の回避の問題である。事後審査で、ヘイトスピーチに該当する場合は、「公表」という措置を講ずるのであるから、一般的に「ヘイトスピーチ」は許されないという規定を条例中に設けることができない理由にはならないように思われる。この疑問に対し、人権企画課から次のとおり回答があった。
 「本条例の制定はヘイトスピーチ解消法の成立前であり、当時は『ヘイトスピーチは許さない』といった規定を設けることに関してはさまざまな意見がありコンセンサスを得られる状況に至っていないのではないかという議論がある中で、まず取り組めるところから取り組んでいくべきという観点から、公表や拡散防止措置を盛り込んだ条例としました」。
 問題となる「ヘイトスピーチ」の明確な定義を共有できていない中で、「許されない」と規定すると、拡大解釈による恣意的運用や表現の規制につながることへの懸念に加えて、憲法で保障された表現活動に「萎縮効果」が生じることの懸念を払拭できないことから、慎重な制度設計にしたものと思われる。
イ 公表の性格
 「Q&A」の12.は、「認識等の公表」について、「対象となった表現活動がヘイトスピーチに該当する旨や、表現内容の概要、拡散を防止するためにとった措置、当該表現活動を行ったものの氏名又は名称を大阪市ホームページ等で公表するものです。これは、ヘイトスピーチを許さないという姿勢や認識を公表することで、市民等の人権意識を高め、こうした表現活動を繰り返し行うことを容認しない社会環境の実現につなげるため行うものです。/こうした公表措置は、大阪市の条例(大阪市個人情報保護条例、大阪市消費者保護条例、大阪市客引き行為等の適正化に関する条例など)でも、また他の法令においても一般的に用いられています」と述べる。
 取材に対し、公表の性格について、「ヘイトスピーチによる人権侵害についての市民の関心と理解を深めることを目的とする、市民に対する情報提供としての公表」であるとの回答があった。
 「Q&A」の12.が挙げる市の3条例には「公表」措置が規定されているが、その仕組みは、本条例の「公表」とは同一ではないように思われる。
 すなわち、個人情報保護条例は、事業者に対し要請・勧告(いずれも行政指導)をし、事業者が正当な理由なく拒んだときに、市長が事実経過と当該事業者の氏名又は名称を公表することができると規定している(50条2項、51条2項)。同じく、消費者保護条例32条1項は、事業者が危害等の防止に必要な措置等を講じることの勧告又は書面による協力要請に協力しないときに、当該事業者の氏名又は名称、商品名等を公表することができると規定している。そして、客引き行為等の適正化に関する条例13条は、禁止行為の中止命令(処分)を受けたものが正当な理由なく当該命令に従わないときは、当該命令の内容、当該命令を受けたものの氏名及び住所等を公表することができると規定している。これらは、「公表」の前に、市長の行政指導や処分が前置されているものである。
 本条例の公表制度と類似の性格を有するものとしては、2009年1月19日から施行された職業安定法施行規則の改正による新規学校卒業者の採用内定取消企業名の公表制度が挙げられよう。(27)
ウ 解消法との関係
 解消法4条2項は、地方自治体に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努める」ことを求めている。そして、同法5条2項は「相談体制の整備」、6条2項は「教育の充実等」、7条2項は「啓発活動等」を自治体の努力義務として規定しているが、条例措置を求めているものではない。
(3)条例の効果
 取材の結果、2016年7月の条例の全面施行後、市民等からの申出により、市として、これまで34の案件を審査会に諮問し、4件について条例に規定するヘイトスピーチと判断し、その内容等を公表するとともに、動画等の削除をサイト運営者に要請するなどの措置をとってきたという(25件は調査審議中)。全ての表現活動を把握しているわけではないので断定できないが、条例施行後に新たに行われたデモや街宣活動を対象とした申出や通報は減少傾向にあり、ヘイトスピーチと疑われる表現活動は減少しているのではないかとの認識を有しており、また、ヘイトスピーチの認識等の公表を行うことにより市民の意識や理解も深まってきたのではないかと感じているとのことである。
(4)残された(法的)課題
ア 今後の条例改正(氏名の公表)等について
 取材の結果、インターネット上で行われる表現活動については、発信者の氏名又は名称(以下「発信者情報」という)が明らかにされていないことが多いため、条例5条1項に基づく当該表現活動を行った者の氏名又は名称の公表を行うことができないという課題があるとのことである。現在、発信者情報をインターネット投稿サイトの運営者から取得するために市としてとりうる実効性のある方策について、審査会へ諮問し、調査審議中である。(28)
 また、審査会の開催ペースは月1回のため、認定された4件は、事実確認や申出人の意見陳述、デモなどの主催者からの意見書提出などを受けた審査に、9~11か月要した。市民団体からは作業の迅速化を求める要望書が提出され、吉村市長は、「表現の自由と違法行為がぶつかり合い、法的に許されないことの判断は難しい。先例ができたから審査は早くなる」と話すと報道されている。(29)
イ 公の施設
 川崎市は、2017年11月9日、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律に基づく『公の施設』利用許可に関するガイドライン」を公表した。利用制限の種類として、「警告」、「条件付き許可」、「不許可」、「許可の取消し」の4種類を挙げ、後二者の対応は、第三者機関に意見聴取を実施した上で、極めて限定的な場合に限って行うとしている。
 取材の結果、川崎市のガイドラインに関して、市としては最高裁判例の趣旨を踏まえ、個別の事案に応じて各施設の管理条例に基づき対応していくものと考えており、川崎市のような対応は考えていないとのことである。
ウ 見直し
 条例附則3項は、「市長は、国においてヘイトスピーチに関する法制度の整備が行われた場合には、当該制度の内容及びこの条例の施行の状況を勘案し、必要があると認めるときは、この条例の規定について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする」と規定している。
 条例制定後に、解消法が成立したが、同法は理念法であり、同法と条例との抵触はないものと考えており、条例の条項見直しの予定はないとのことである。

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