2 条例制定過程
(1)庁内の組織体制
条例の所管課は、市民局ダイバーシティ推進室人権企画課である。当初の組織体制は、課長級3人、課長代理級2人、係長級5人、係員4人であったが、その後、ヘイトスピーチを担当する課長代理級1人を増員した。そのうち、条例の執行等に携わる職員は、課長級1人、課長代理級1人、係長級1人、係員1人の合計4人である。
本件業務に市役所内で直接的に関係する部局はなく、また、例規審査委員会は設置されていない。
(2)審議会
2014年9月3日、橋下市長は、大阪市人権施策推進審議会(会長:坂元茂樹同志社大学教授)に対し、「『憎悪表現(ヘイトスピーチ)』に対する大阪市としてとるべき方策について」諮問した。
諮問後、人権施策推進審議会では方策検討部会(部会長:川崎祐子弁護士)を6回、審議会を1回開催した後、2015年2月10日の第30回大阪市人権施策推進審議会において、「ヘイトスピーチに対する大阪市としてとるべき方策について(答申)」案について最終審議し、同月25日付けで、審議会会長(川崎祐子弁護士)から橋下市長宛てに答申(本文13頁)がなされている(10)。
なお、方策検討部会の審議では、右派系市民団体(在特会)及び在日コリアンを中心に設立された団体(NPO法人コリアNGOセンター)からヒアリングを行っている。
答申の内容は、ほぼ忠実に当初提案の条例案に反映されており、本条例の制定過程で最も重要な文書といえる。条例文言(1条)からは明らかではない目的規定の考え方についても述べられているので、以下詳しく紹介する。「目次」は次のとおりである(括弧内は当初提案の条例案への反映)。
Ⅰ 基本的な考え方
1 目的(1条)
2 定義(2条)
⑴ 対象者 ①属性 ②範囲
⑵ 目的
⑶ 表現の内容及び場所・方法
Ⅱ ヘイトスピーチに対してとるべき措置の内容
1 国の実施する措置との関係(4条)
2 大阪市独自の措置
⑴ 認識等の公表(5条)
⑵ 訴訟費用等の支援(8条)
⑶ その他の支援(9条)
⑷ 本市施設等の利用制限について
3 措置の対象(5条)
Ⅲ 措置をとるにあたっての手続
1 申立主義(10条)
2 審査機関による審査
⑴ 審査機関の位置づけ(14条)
⑵ 審査機関の構成(15条)
⑶ 審査の手続(6条、11条、13条、16条)
答申は、「Ⅰ 基本的な考え方」の冒頭において、「特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的な言動がいわゆるヘイトスピーチであるとして社会的関心を集めているが、こうした言動は、人々に不安感や嫌悪感を与えるだけでなく、人としての尊厳を傷つけ、差別意識を生じさせることにつながりかねないものである。大阪市では、在日韓国・朝鮮人をはじめ多くの外国人が居住している中、市内において現実にヘイトスピーチが行われているといった状況にあり、大阪市は、市民の人権を擁護すべき基礎自治体として、ヘイトスピーチに対して独自で可能な方策をとることで、ヘイトスピーチは許さないという姿勢を明確に示していくことが必要である」との認識を示している。
次に「1 目的」は、「市民等の人権擁護」であるとし、「基礎自治体である大阪市がヘイトスピーチに関して方策をとる目的については、『大阪市人権尊重の社会づくり条例』に基づき人権尊重の社会づくりを推進している現状を踏まえ、ヘイトスピーチを行っている者(以下「表現発信者」という。)に対する義務付けその他の規制をするという観点よりも、市民等の人権を擁護するという観点からの仕組みづくりを基本とするのが適当である」とする。
「2 定義」で、「ヘイトスピーチ」の定義については、次の⑴から⑶までの要件の全てに該当する表現行為とすることが適当であるとする。
⑴ 対象者
人種又は民族に係る特定の属性を有する個人又は集団
⑵ 目的
目的が次のいずれかであること
ア 社会からの排除を目的とするものであること
イ 権利・自由の制限を目的とするものであること
ウ 明らかに憎悪若しくは差別の意識又は暴力を扇動することを目的とするものであること
⑶ 表現の内容及び場所・方法
表現の内容が対象者を相当程度侮蔑し若しくは誹謗中傷するもの又は対象者に脅威を感じさせるものであり、かつ、一般聴衆が受動的に内容を知りうるような場所や方法によって表現されるものであること
説明で、「ヘイトスピーチ」の定義としては、演説などの発言行為に限定するのではなく、出版、寄投稿、インターネットの動画サイトへの掲載、示威行動、掲出、頒布その他一切の「表現行為」を対象とするものであるとする。
後述するように、ヘイトスピーチと認定された4件全てが「インターネットの動画サイトへの掲載」である。
また、「対象者の属性」を「人種、民族」に限定しているのは、市内でヘイトスピーチが行われている現実を踏まえ早急に具体的な方策を講じていくことが求められていることから、実際に多く行われている人種、民族に係る特定の属性を有する個人又は集団を対象とするものに限定して制度を開始することが適当であるとする。
「目的」については、憲法上保障されている表現の自由との関係を考慮して単なる批判や非難は対象外とし、上記ア~ウのいずれかの目的を有するものに限定することが適当であるとする。
「表現の内容」における「ヘイト性」を判断する考慮要素の「侮蔑」、「誹謗中傷」についての「相当程度」の判断基準を明確に規定することは困難で、個別の事案ごとに判断することになる。
「表現の場所・方法」については、①公共の場所での表現行為と②不特定多数の者の閲覧に供する行為等が考えられる。会員のみ参加できる集会など、限定した参加者に向けた表現行為は対象外であり、一般聴衆が受動的に発信内容を知りうる状態にあるかが判断の基本となる(個別の事案ごとに判断)とする。
「Ⅱ ヘイトスピーチに対してとるべき措置の内容」の「1 国の実施する措置との関係」では、国において、法務省の人権擁護機関による人権侵犯事件調査処理の制度が設けられており、人権侵害救済手続の枠組みが確立されている状況を踏まえ、地方自治体としてはその補完的な役割を果たすことが基本となるとの認識を示している。また、国の人権侵犯事件調査処理手続に強制力を伴う措置がない中で、市が措置を講じるに当たり関係者に対して協力義務や罰則等を課すことを条例で定めることは困難であると解されるとし、国の法令との関係で条例制定権の限界(憲法94条、地方自治法14条1項)を論じている。
「2 大阪市独自の措置」では、事前規制(抑制)は憲法が保障する表現の自由の観点等から慎重であるべきであり、事後的な救済が主とならざるを得ないとの認識を前提に、「認識等の公表」、「訴訟費用等の支援」、「本市施設等の利用制限」などについて検討を行ったが、「本市施設等の利用制限」については、過去の最高裁判例から事前の利用拒否は極めて困難であるとしている。
「3 措置の対象」は、次のとおりとするのが適当である。
① 市域内で行われたヘイトスピーチ
② 市域外で行われたヘイトスピーチで明らかに市民等を対象とするもの
③ ①のヘイトスピーチの上映、インターネットの動画サイトへの掲載、その内容を記録した印刷物、DVDその他の物の販売・頒布など当該ヘイトスピーチを二次的に拡散するもの(以下「拡散行為」という)(明らかに市民等を対象とするものとはいえないヘイトスピーチの拡散行為であって市域内に拡散しないと認められるものを除く)
④ ②のヘイトスピーチの拡散行為
①は属地主義、②は属人主義の考え方をとっていることになる。
(3)パブリックコメント
市は、人権施策推進審議会からの「ヘイトスピーチに対する大阪市としてとるべき方策について」の答申を受け、市としてとるべき方策についてその条例化に向けた検討を行い、「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例案要綱(案)」をとりまとめ、市民の意見を募集した。募集期間は、2015年3月13日から4月12日までとし、募集方法は、大阪市電子申請・オンラインシステム(市ホームページ)、送付、ファックスとした。
市は、同年5月1日、「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例案要綱(案)」の意見募集の実施結果を公表した(11)。