5 条例の立法事実の検討
(1)政策推進型条例における立法事実
規制事項を含まないのであれば、「条例」という形式をとる必要はない(19)。それにもかかわらず「条例」という形式をとる理由は、条例が規則その他の規程と比べて上位規範であるとの判断からであろう。単に「政策の総花的な羅列をするだけで、行政にお墨付きを与えたり、人や予算を確保することに利用されたり、都合の良い政治的な落とし所」(20)として条例が制定されることもあるが、そのような条例であっても、立法事実の議論は必要である。つまり、条例立案者は、規制事項の有無にかかわらず、条例の必要性と合理性を支える事実を検証しなければならない。
ところで、政策推進型条例に求められる立法事実と規制事項を含む条例のそれとは、同じではない。
規制事項を含む条例の場合は、立法事実の確証度が低く、人権を制約する根拠足り得ないと判断されれば、司法審査の場において、その条例は違憲・違法とされる(21)。
それに対し、規制事項がない政策推進型条例の場合は、立法事実の確証度が低くても、通常は、違憲・違法とされることはない。しかし、その確証度が低ければ低いだけ、その条例は政策的に的外れなものとなる(22)。人員削減や財源制約のため、ますます貴重になっている行政資源を、そのような的外れな政策に費消することは、許されない。
つまり、政策推進型条例では、適切な情報に基づいて現状の課題を把握し、達成すべき状態を認識し、その状態を達成することの正当性を判断し、そのために有効かつ効率的な手段を選択し、その手段を行使することによるプラス・マイナスを含めた将来的な影響や効果を予測することが重要となる(23)。
しかも、政策推進型条例における行政手法(基本方針・計画の策定など)は、許認可などの規制的手法と比べて、その効果は間接的であり、また、行政手法と目的の達成度との因果関係は推量的なものとならざるを得ない。そのため、逆説的ではあるが、政策推進型条例の立案者は、規制事項を含む条例と同等又はそれ以上に、立法事実の検証に労力を割く必要がある。
(2)条例の必要性
規制事項を含む条例の場合は、規制の必要性が、すなわち条例の必要性となる。それに対し、政策推進型条例である本条例の必要性は、中山間地域振興という政策自体の必要性と、中山間地域振興のために条例を制定することの必要性とに分かれる。
ア 中山間地域振興の必要性
中山間地域振興の必要性は、①中山間地域の維持保全が今後困難となることが高い精度で予測され、②それが県民の福祉の増進の阻害要因となることによって説明される。
まず、①の予測については、広島県の中山間地域では、社会動態、自然動態ともに人口が継続的に減少しており、しかも若年層の転出が目立っている。今後の人口推計によれば、平成22年から平成52年までの人口減少率は37.3%に上り、一世代のうちに3分の1以上も人口が減少する。若年層に至っては、ほぼ半減することが予測されている(24)。
また、製造業の事業所数は、平成2年から平成22年までの間に53.8%も減少しており(25)、このような働く場の大幅な減少が、若年層の流出を招いていると考えられる。今後についても単純に指数関数的な推計をすると、製造業の事業所数は、平成55年には平成22年に比べて3分の1以下になる。
このようなデータから、何もしなければ中山間地域の維持保全が困難になることは、高い精度で予測できる。
次に、②の県民の福祉の増進の阻害要因については、まず、中山間地域は、洪水防止、土砂崩壊防止、土壌侵食(流出)防止、河川流況の安定、地下水涵養、大気調節、生物生態系保全、遺伝資源保全、日本の原風景の保全、人工的自然景観の形成、伝統文化の保存、人間性の回復、快適生活環境形成、療養、保養、景観・風致、地域の多様性維持などといった機能を有している(26)。そして、これらの機能を喪失することは、都市部住民も含めた県民全体の福祉の増進の阻害要因であることは明らかである(27)。
イ 条例を制定する必要性
広島県では、平成9年に「中山間地域活性化対策基本方針」を策定して「中山間地域活性化対策推進本部」を設置し、おおむね10年を目途として中山間地域対策を行い、さらに平成20年4月には「新過疎対策課」を新設し、地域や集落の実態に応じた事業の構築等を行ってきた。
しかし、この推進本部は要綱設置の県庁内部組織であったため、市町との連携や県民の役割といった観点がなく、結果として、地域に対するアプローチ方法が不明確であった。また、この推進本部廃止後は、中山間地域の振興方針の策定や振興施策の体系化、推進体制の構築といったことは行われなかった。
しかしながら、今後、より一層アで述べたように中山間地域振興の必要性が高まり、これまでとは異なる取組が求められていることは明らかであった。そのため、中山間地域の振興を県全体の重要施策として位置付けるとともに、局横断的に、かつ、市町と連携した体制を確立し、体系的で長期的な展望に立った施策展開を行うことができるよう、「条例」を根拠とすることが最適と判断されたようである。
(3)条例内容の合理性
ア 実体的合理性
中山間地域振興条例の合理性は、各規定の合理性で測られることとなる。
① 区域設定
地域振興を目的とした条例である以上、何らかの形で区域設定を行わざるを得ない。その方法として、明確かつ客観的な根拠によるべく類似した地域振興法による区域設定(28)を活用することは、(その法律に合理性があることが前提になるが)一定の合理性があるといえる。
② 基本方針
条例に基本方針を規定することは、施策の方向性を明らかにし、施策が総花的にならないよう焦点を絞り込む効果があり、合理性がある。また、基本方針に、県民自らによる取組の促進を掲げているが、これは、これまでの取組が行政主導となりがちで、そのため十分な効果を挙げられなかったという反省に基づくものと考えられ、内容の面でも合理性があるといえる。
③ 役割分担
中山間地域の振興に関わる主体の役割を明確にすることは、それにより各主体の積極的な参画が促されるとともに、効率的な施策の展開につながることから有効性がある。なお、地方分権改革によって、県と市町村は対等・協力の関係になったことから、県が上級団体であるかのように「市町村の責務」を定めるのではなく、県が市町と連携を図る旨を規定していることは適切である。
④ 振興計画
振興計画を策定することにより、目標が設定され、施策が統合され、総合化される。さらに、公表されることにより、住民に対し、「説得・誘導等の事実上の力を及ぼす」(29)こととなる。これらのことから、振興計画を策定するよう条例に規定することは、合理性があるといえる。
⑤ 推進体制
県庁各局が推進計画に基づく施策を場当たり的、縦割りに推進するようでは、効果は限定的とならざるを得ない。そのため、県庁各局が連携・調整した施策展開を図ることができるよう、県庁内の体制整備について規定することには合理性がある。
また、県と市町が個々別々に施策を展開することは非効率であるため、県と市町間、市町相互間の施策を擦り合わせて調整し、連携することができるよう、市町との協議の場を設置する規定を設けることには合理性がある。
⑥ 財政措置
中山間地域の振興は、一朝一夕に達成されるものではない。そのため、単なる予算措置では継続的な施策展開が保障されず、施策の効果が不十分になることは容易に想定される。したがって、長期的視点に立った施策を展開できるよう財政措置について規定することには合理性がある。
さらに、これらの条文は、一体となって条例に規定されることにより、重要施策の全貌提示機能と総合化機能(30)を果たすと考えられ、その点でも合理性があるといってよいであろう。
イ 判断過程合理性
本条例案の検討に当たっては、議会や関係市町からの意見を随時反映させつつ、条例骨子案、条例素案と内容を固め、さらに、条例案上程直前には、パブリックコメントやアンケート調査(31)を実施している。また、広島県の中山間地域振興施策には、条例制定前からの長い前史があり、その間における市町や関係者、県民の積極・消極を含めた様々な声の蓄積が、条例内容に反映されていると考えられる。
このように、条例立案者は偏った情報によって判断しておらず、判断過程における合理性も一定程度確保されていると考えられる。
(4)非法令抵触性
中山間地域の振興という課題は、まさに自治体が担うべき「地域における事務」(地方自治法)であり、条例制定権の範囲内であることは明らかであるが、県の事務なのか市町の事務なのかという問題がある。
この点については、本条例の中山間地域の区域設定が主に市町(又は合併前市町村)の区域を基準としていることから、それぞれの市町の事務とする考え方もあり得るが、市町の区域を基準とした区域設定はあくまでも手法であって、その結果として設定される中山間地域の区域は、市町域を超えて把握される。また、中山間地域の振興は、県民共通の課題と判断されている。したがって、県の広域的役割として対応することは理にかなっている。
次に、国においても様々な地域振興法が制定されているため、これらとの関係を検討する必要がある。本条例とそれらの地域振興法の目的は類似しており、かつ、対象区域も重複している(32)。したがって、本条例とそれらの地域振興法は、競合関係にあるが、目的や効果を阻害するものではなく、矛盾又は抵触(積極的抵触)の関係にはない(33)。それどころか、本条例がそれぞれの施策を横串にし、総合化し、効率化するという点では、それら地域振興法の目的達成を増進する効果を有している。