元・大和大学政治経済学部教授 田中富雄
本稿では、「選挙制度と議会・議員の評価」と、これらに関する事項について再考します。そして、その上で政策過程において、これらの言葉を発するときの「自治体議員の発言に期待される含意と政策」について考えたいと思います。
求められる選挙制度の不断の監視・見直し
丸山真男は、『日本の思想』の中に、「『である』ことと『する』こと」という論考を載せています。その中で丸山は、「自由を“祝福”することはやさしい。それに比べて自由を“擁護”することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々“行使”することはさらに困難である」というアメリカのある社会学者の言を紹介した後、「私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない」(丸山 2014:171-172)、と社会に警鐘を鳴らしています。そして、「自由は置物のようにそこに“ある”のではなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうと“する”ことによって、はじめて自由“であり”うるということなのです」「自分は自由で“ある”と信じている人間はかえって、不断に自分の思考や行動を点検したり吟味したりすることを怠りがちになるために、実は自分自身“のなかに”巣食う偏見からもっとも自由でないことがまれではないのです」(丸山 2014:172)と述べています。
このような、丸山の自由についての考え方は、選挙制度にも当てはまるのではないでしょうか。既存の選挙制度の固定化(≒自己目的化)を不断に警戒し、制度の働き方を監視し批判し見直すことで、初めて選挙制度や選挙自体が生きたものとなるといえます。
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