前いわき市長 清水敏男
はじめに
なぜ、政治家を志したのか?
既に議員になられた方々が見るメッセージなので、あなたは様々な経験を経て、選挙に出馬し、当選の栄に浴したことと思う。
私は大学4年の夏から、雄弁会(弁論部)の先輩の紹介で、国会議員の議員会館事務所において秘書見習い(書生)をするようになった。当時、国は中曽根内閣の下、行政改革真っ盛りで、国鉄、電電公社、専売公社の民営化が進められており、1986年に国鉄の分割民営化の最終法案が審議された際は、徹夜国会を重ねた末に可決され、国鉄が現在のJR各社に変わった。私は学生ながら、その政治のダイナミズムを身近に感じ、政治が動くとき世の中は大きく変貌すると確信し、大学卒業と同時に正式な秘書となり、政治家を目指そうと心に決めた。
私は国会議員の書生・秘書を約5年半経験した後、故郷のいわき市議会議員選挙(1992年)に出馬し、29歳で初当選(歴代3位の若さ)を果たした。
当時、若手議員は全国的にも珍しく、選挙は本当に苦労の連続であった。たまたま秘書仲間の後輩が選挙に立つ際、私から様々なアドバイスをすることで彼も当選。この小さな経験を全国に広げれば若手議員がもっと誕生するのではないかと思い、仲間を募り、全国若手市議会議員の会を発会(1994年)し、私が初代会長を務める。その後、同会は今日まで28年の歴史を有し、OB会も設立され、全国の地方議員ネットワークとして、会員相互の研鑽(けんさん)の場となっている。
私は政治家として、議員と行政の長を経験した立場から、若手議員が自分の想いや考えをどのようにしてカタチにしていくかを、以下記述する。