常磐大学准教授 吉田勉
1 はじめに~問題の所在
長と議会の二元代表制による自治体の意思決定に関して、双方の対立時における調整制度としては、議会の不信任議決と長のそれに対する処置(地方自治法(以下「法」という)178条)、長の専決処分(法179条・180条)、議会の議決に対する長の再議(法176条・177条)とがある。
その中で、議会の議決に対して改めて議決し直しを求める措置として長に認められているのが再議制度である。これには、その議決の結果に関して長に異議があるときに長の任意の判断で行使される一般的再議(任意的再議)と、議会の越権・違法な議決等に対して長が行使を義務付けられる特別的再議(義務的再議)とがある。
再議制度の成り立ちとしては、「旧憲法下で、本来政治の主体の官吏が、客体にすぎない住民の代表たる議会を信用せず、その行動の監督をし、予期しない方向へ進まないよう是正措置を確保したもの」⑴と評されるほど、いわば、長の議会に対する不信感に端を発した制度として構築されたものといえる。
再議は、地方自治法制定当時(昭和22年)は、特別的拒否権だけであったが、翌年の法改正により一般的拒否権が導入された。この際の提案理由としては、長は住民に対して直接責任を負い、その意思を行政に実現しなければならないが、議会との意思疎隔の場合、議会には条例・予算の議決で長の執行を制限できるが、長には違法議決、収支執行不能等の場合の再議しか認められておらず、消極的な抵抗しかできないことが挙げられていた。そして、アメリカの大統領制を参酌し、長に重要事項への拒否権を付与して、議会との正常な均衡関係を図るとする理由が重視され、反対意見もある中、それを押し切って導入された経緯があるとされる⑵。
本稿では、2つの再議制度のうち、長と議会の政策的判断が衝突した場合に、その解決を図るための制度ともいえる一般的再議を考察の対象とするものである。以下、双方を区別する必要がない場合には、一般的再議を単に再議と呼ぶこととする。
一般的再議制度の条文構成は、図1のとおりである。議会の議決に対して、長において異議がある場合には、長は議会にその理由を示して、改めて審議を求めるというもので、議長も採決に加わった上で条例又は予算の議決の場合は出席議員の3分の2以上にて再可決されると議決が確定し、逆にそれに満たない場合は一度可決された議案が不成立、すなわち廃案になるというものである。条例・予算以外の場合は、再可決要件は過半数であるが、特に重要な議決事件である条例・予算に関しては、議会の過半数の多数派の意向が実現しないことにもなる、長に優位な拒否権といえる異例の制度といえよう。
実は、再議に関しては、どう運用されているのか、すなわち、どのようなものがその対象として行使され、結果として政策運営にどのような影響を及ぼしているかなど、運用の実態を考察した研究はほとんどないといっていいと思われる⑶。ここに本稿での考察の意義があるのであるが、研究成果が乏しいこともあって、例えば、自治体議会の実務でも次の例に見るような明らかに誤った運用事例も見られるのである。
平成26年度の実例であるが、N市においては、子ども・子育て支援法の施行に基づく保育料の額を定めるため保育料徴収条例の一部改正を市長が定例会に提案し、可決された(賛否・19対4。以下、必要に応じ議決の賛否を単に◯対◯で表記する)が、可決後、その額の算定の基礎となる条例別表の市町村民税所得割の額の一部に誤りがあることが判明した。
市長は、一度可決された改正条例に対して、同定例会中に、法176条1項の規定による再議として改正条例を提案して再可決を求め、それに対して、議会は、出席議員の3分の2以上の同意を得て再可決するという処理(20対4)を行っている。議事の概要は図2のとおりである。
本件の場合にも、議会の議決に対して長に異議があるのには違いない。ただ、再議は、議会の判断としての議決に対して長が異議を申し立てる際に運用されるものであるが、この場合は、長の誤った議案の提案どおりに議会が議決してしまったことに対して異議を申し立てる形になっている。再議は本来、長において異議がある議決を議会に再考させ、廃案に持ち込むことを意図するのであるのにもかかわらず、誤った議案を修正・再提出したものを可決・確定させるものとして使われることになった。そして誤った議決により成立した条例を修正する議会審議を、長も議会も、再議の手続として認識して、3分の2以上の可決により議決し、確定させたわけである。仮に、3分の2以上の同意がない場合には、どう処理するつもりであったのであろうか。
この場合、もちろん、誤った条例案が可決されたのでそれを修正する形で訂正条例を単に提出し、過半数可決で条例が修正されるべきである。あえて一事不再議⑷を避けるという意味で再議に位置付けたものかもしれないが、それにしても制度の理解を誤った瑕疵のある議決といわざるを得ない。
再議の実態を把握するためのよりどころとしては、総務省が地方自治制度の運用実態に関して編集発刊する調査資料「地方自治月報」(以下「自治月報」という)が唯一の統計書である。各自治体のデータを、各都道府県を経由して総務省がとりまとめているが、前述の誤った事例も再議として掲載されるなど、精査せずに掲載されていることが多く、その一方で、通常に再議が行われ、それが注目され新聞記事等に掲載されていても自治月報への報告漏れが散見される状況もある⑸。したがって、再議運用の実態を正確に把握することは極めて困難な作業といえる。
本稿の問題意識は、自治体の最高の意思決定制度である議会の議決の結果を変容することが認められている再議制度の運用実態を把握して、その課題や改善を考えようとするものである。それには集積した再議事例からの考察が不可欠である。そのため自治月報を基本としつつも、議会議事録調査や事例を取り扱った自治体議会へのヒアリング調査等を行い、可能な限りその実態に接近することとした。
そして、これらのデータ考察を踏まえて、議会から見れば、議会の過半数の勢力が同意している案件について、長が拒否しようとする事態はどう起きているか、そして、その対立は再議によりどのように決着がなされているのかといった、再議権行使の実態を中心に自治体の意思決定全体の中での再議の影響力、意義等についても描写することとしたい。その上で垣間見える再議制度の課題についての考察にも言及することとしたい。