5 教育現場の問題への弁護士の関わり~文書での回答の求めについて~
また、現場の教員がいじめの問題に対応する中で、被害を受けたと主張する児童やその保護者、加害側とされた児童やその保護者から何らかの文書を出すことを求められる場面がある。これは現場の教員にとっては、頭を悩ませる問題のひとつではないだろうか。
現場の教員は、そもそも求められる文書を出すべきなのかどうか、出すとして誰の名前で出すのか、どんな内容で出すのか、細かいことをいうと印鑑を押すのかどうか等、様々なことに判断がつかず頭を悩ませるケースが多い。ここで法的義務として文書を出すべきかどうかという結論自体はある程度明快なのだが、先に述べたとおり、教育現場での問題は、解決した後も、当事者、児童や保護者との関係が地域の中でしばらく続いていくため、問題解決後の学級運営や人間関係も大いに意識しなければならない。そうである以上、ケースによっては、法的義務はさておき、文書を出すべきかどうか等の実際の判断を検討する必要がある。
そこで、手前みそで恐縮だが、このような場面で教育現場における弁護士活用の実際16弁護士が活用できる。弁護士は良くも悪くも紛争に数多く携わっており、法的な視点で文書の内容を精査することに慣れている上、危機管理的な視点もある程度持ち合わせている。したがって、弁護士に相談すれば、当該事案において、法的責任と道義的責任を峻しゅんべつ別した上で、文書を出すべきかどうか、出すとしてどこまでのことをどのように書くべきかなどをアドバイスすることができる。
無論、弁護士のアドバイスが問題解決の最善解であるとは限らないが、現場の教員が教育現場で培ってこられたノウハウを前提に弁護士のアドバイスも参考にすれば、より自信を持って保護者らの文書の求めに対応することができるのではないかと思われる。
6 おわりに
教育現場での解決困難な問題は、残念ながら弁護士だからといってすべてのケースで実際に役に立つものではない。ただ、これまで述べたとおり、事実認定でのアドバイス等、一定局面において、現場の教員が問題の対応について判断する際の指針等にはなり得るものである。これらのアドバイスは、筆者がそうであるように、行政や教育、子どもの権利関係に特化した弁護士でなくとも、一定程度経験を積んだ弁護士ならある程度できるものである。
繰り返しになるが、筆者は教育的視点に基づく解決により現場内で完結し、弁護士が教育現場からお呼びでなくなることが一番望ましいことだと思う。学校は教育の場であり、問題が発生したとしても保護者と教員が、児童の幸せのために話し合って解決することが最良であることは疑う余地はない。
ただ、弁護士として、教育現場の奮闘に敬意を表し、そこで培ってこられたノウハウを尊重した上で、ケースごとに弁護士のノウハウを提供し、教員と一緒に問題に取り組むという姿勢で教育現場に関われば、きっと教育現場から必要とされることも増えるのではないかと思う。教育現場が安心して自信を持って問題に対応できるということは、そこで学ぶ児童の幸せにもつながっていくものだと思う。
教育現場におかれては、法律が具体的に問題とならなくとも、訴訟が実際に起こされたわけではなくとも、弁護士を活用することが有用なケースもあるということを頭の隅にとどめ、今後の活用を検討いただければ幸いである。
(「政策法務Facilitator」Vol.66より転載)