「議会の改革」としての議会改革の到達点
議会への市民参加という理念を訴える以上は、議会と住民の関係が変わらなければ何の意味もないはずですが、このことが住民に知られていないということは、どういうことな のでしょうか? この改革が始まった頃に議会関係者から改革の効果として期待されてい たことの1つは、低下してしまった投票率が改善していくことでしたが、実際にはどうだったでしょうか? 来る2019年の統一地方選挙で、投票率は向上するでしょうか? 少なくとも現時点までに、投票率の低下が底を打って上昇に転じたという手応えを持っている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
さらに深刻なのは議員のなり手不足です。無投票当選率が着実に上がってきています。選挙になるかどうかが切実な問題なので、投票率を議論するどころではない、という自治体が増えているのです。地域社会や自治体の存続に危機感を覚えながらも、それならば議員になって存続のために必要な役割を担おうという人が登場してこない自治体が少なくありません。町村議会議員の報酬だけでは生活の維持が難しいなど、客観的な条件の制約も ありますが、兼業が可能な人の間にも、議会で頑張れば地域に対してこんな貢献ができる、自治体の存続に寄与する仕事が可能だという実感が、残念ながら乏しいということではないでしょうか。栗山町議会基本条例がきっかけとなって広がった議会報告会は、議会の仕事の実態と可能性を住民に伝え、住民の声に議会が丁寧に耳を傾けて自治体の政策判断につなげていくということを目指したものでした。ひいては、議会活動や議員選挙への住民の関心と参加を促す効果も期待されていました。議会報告会を実施するようになった自治体の中には、それが功を奏して新しい担い手が登場してきているところもあります。しかし、自治体全体で見ると、そのような取組みをしていないところが半数以上ですし、取り組んでいても効果が実感されていないところも少なくありません。選挙は4年に1回必ず めぐってきますから、議員や候補者の皆さんは、必ずそれぞれのスタイルで支持者の方々 とのコミュニケーションのチャンネルをお持ちです。しかし、そのチャンネルに連なっている有権者すべてを合わせてみても、住民全体の中ではごく少数にすぎないのではないで しょうか。そして、例えば自分の住む町の直近の定例議会の焦点は何だったか、答えられる住民はどのくらいいるでしょうか。
今、多くの議会では本会議のネット中継や録画配信が行われています。ただ、固定カメ ラの録画中継をパソコンの前で何時間も延々と視聴することに耐えられる人は、実際のところあまり多くないと思います。かといって、重要なポイントだけに絞ってダイジェスト を編集することもまた、議会の審議の公開という観点では難しいのです。その結果として、ネット中継や録画配信を通して、議会審議の要点をつかむということが難しい状況が続いているわけです。他方、例えば一般質問や主な議案質疑については、多くの議会が広報紙 に印刷してポイントを伝えていますが、こちらはあまりにも要約されすぎていて、発言のやりとりの中で論点が浮き彫りにされていくダイナミックなプロセスが伝わりません。発言のやりとりの緊張感や動きの感覚と、重要な論点をかいつまんで把握するという目的を 両立できる伝え方というのが、課題として残されているのではないでしょうか。
ヒントになり得る取組みとして思い浮かぶのは、例えば宝塚市議会における常任委員会報告です。同委員会では、論点をあらかじめ整理した上で審議を行い、その過程では議員間討議も行われ、委員長報告のフォーマットの中には、論点と自由討議の欄が設けられています。これは委員会から本会議への報告の際に作成されますので、定例会が終わった時 点で、すべての委員会の審議についての論点や議論の中身の要点がまとめられているということになります。議会報告会もこの委員長報告をもとにして行われています。これと委 員会審議の録画配信とがつながると理想的ではないかと思います。議会の仕事ぶりがどのようにすれば分かりやすく伝わるか、と考えると、このように動きがある媒体と、ポイントをかいつまんで解説することが連動するような取組みが、これからは期待されているのではないかと思います。
このように、市民と自治体の関係においては、議会の側が工夫をし、もっと効果的に伝わるように取り組むことによって、議会活動や自治体の政策決定に対する市民の理解を進めていくことが、これからの課題になっているのです。それを進める上で、議会が政策を つくっていく過程を共有することが、1つの有力な手段となります。政策課題の所在を確 認し、それをどのようにして解決していくのか、できれば複数の方法を比較検討しながら徐々に絞り込んでいく。その過程では、期待される効果だけではなく、副作用の危険性な ども十分に考慮し、また、財政や人手などの限られた資源のもとでどこまで実現可能なの かを検討していく。当然、市民の間にも、また議員の間にも様々な違った認識や見解があり、意見が分かれたりする中で討議を重ね、できるだけ多くの一致ができるように、政策案を練り上げていく。そこに市民も当事者という感覚をもって関わっていくことは、分かりやすい政策理解の機会になり、議員がどのように政策について調べたり、評価したりしているのかを実感できると思います。
困り事を抱えている住民が、この議員にいえば行政がきちんと聞いてくれるようになる とか、場合によると市長にねじ込んで何とかしてもらえるとか、そういう形で課題解決を 実感する場面は、これまでにもあったかと思います。ところが、議会が具体的な政策案を めぐって、利害得失が錯綜(さくそう)したり、資源の制約があったりする中で、苦労して 政策的に課題解決を図っていくという実感を持つ場面はこれまであまりなかったのです。個々の困り事の当事者にとってみると、「経過は問わない、解決するかどうかだけが問題」となりがちなので、個別的に行政につないでもらうのと、議会が政策を練り上げるのとでは、特に違いはなく感じられるかもしれません。しかし、自治体全体、住民全体という観点 でいうと、非公式な方法で個別的に解決を図るだけでは、本当の意味での解決にはなっていないわけです。だからこそ自治体の代表機関である議会を、住民が道具として使って政策的な解決策を獲得していけるかどうかが問われるのです。
この違いについての認識は、議員側では徐々に浸透してきているように思いますが、住民の側にはまだまだその意識が十分には広がっていません。言い換えれば、議会への市民 参加が議会を強めるという感覚が、議員の一部には浸透してきたけれども、議会に市民参加すると住民の役に立つとか、住民の力が強まるという感覚は、なかなか住民の方に浸透 していないのです。例えば、広聴機能が重要だと位置付けた議会が、「広報広聴委員会」という名称について、住民に対し耳を傾ける方が先なのだからとして「広聴広報委員会」と いう名称にしましたが、そのような理念が市民にどのくらい伝わっているかというと、住民の認識の方が低調なのが一般的ではないでしょうか。
つまり、ここまでの議会改革は、「議会の改革」を議会関係者が一方的に頑張っているという段階から出られていなかったのではないでしょうか。議会改革の意図としては、我がまちの政策を良くするために、我がまちの経営状態を改善するために、あるいは将来がこれ以上ひどくならないために、住民のため、住民福祉のため、自治体全体のための改革だ という目的意識が理念的にはあったと思います。しかしながら、実体的な成果として、議会改革が具体的に市民と自治体との関わり方を変えるエンジンになったでしょうか?
こうした取組みも確かに行われてきました。例えば、長野県の飯綱町議会では、前議長の寺島さんが中心となって、住民も交えて議会が政策づくりに取り組みました。手続だけ 公募をしても十分に集まらないので、貢献してくれそうな人に議員側から声をかけてメンバーを確保し、議員と住民が一緒になって、大学のゼミのように政策の勉強をするところから始めて、政策提案をつくりました。そんな取組みを経験する中で、住民委員の中から、これからは議員として自治体を支えていこうと、2017年10月に行われた議員選挙に立候補 する人が生まれ、新人議員が誕生したのです。
自分たちのまちの政策課題について漠然と不安に思っていたり、漠然とこうなればいいと期待していたりすることがあっても、いざ政策にまとめ上げようとすると、配慮しなければならないことがたくさん出てきます。財源にも人手にも限りがある中で、何とか課題 を解決していかなければなりません。ああしたい、こうしたいという思いを、現実の制約 条件のもとで何とか着地させていかない限り、現実の問題は解決しません。こうした難易 度の高い作業に、意欲と能力のある人が取り組んでいくことがあって初めて、まちを良くすることにつながります。そういう役割を担う人に対して、どのくらい報酬を支払うべきか。議員報酬の引き下げを求める声が住民から上がってくる自治体が少なくない中で、飯綱町では議員報酬を引き上げるという改革も行われています。飯綱町の議会改革は、エンジンになって自治体としての改革の第一歩を歩み始めたのではないかと思います。