――そもそも基礎的能力のある人を議員に選ばなければいけないということでしょうか。しかし、地方議員のなり手不足が深刻化していて、議員定数を満たすだけで精一杯という地域が増えています。
議員のなり手不足という表現は正確ではないのではと思います。地方自治の基礎は住民の自治力で、これをどうやって高めていくかが最大のポイントではないでしょうか。私は健全な集落自治があって初めて、住民自治が成り立つと考えます。地域で住民の自治意識を育てていかなければならないと思います。議員のなり手を発掘したり、育てたり、つくっていくことが重要でして、(議員のなり手をつくる)いろいろな打開策があると思います。
――議員のなり手不足ではなく、なり手を発掘し、育てる努力が不足しているということですか。飯綱町議会が始めた政策サポーター制度や議会広報モニター制度は、民意をくみ取り、政治に反映させるという狙いだけではなかったのですね。
そうです。10月22日に実施された町議会議員選挙(定数15)に5人の政策サポーターと議会広報モニター経験者が立候補する予定でした。そのうち4人が新人で、優秀な方ばかりでした。いい流れができたと喜んでいたのですが、最後の最後になって2人が出馬を断念してしまいました。家族の反対や地域の盛り上がりのなさなどが要因のようです。
(寺島さんら3人の現職議員が引退表明し、さらに2人の議員が在職中に亡くなったため、一時は町議選が無投票になるのではないかと懸念された。このため告示直前まで寺島さんらが候補者擁立に奔走し、結局、6人の新人候補を含め16人が出馬して選挙戦となった。しかし、たった1人の落選者は前回も苦杯を喫した人で、実質的には無投票と変わらなかった。投票率も前回の64.66%を上回ったものの66.69%にとどまった。)
住民の意識が大きく変容していると思います。自分の生活が第一といいますか、仕事も忙しくて時間的な余裕を持ちにくい。そんなこともあって横の連帯感が薄れていて、地域コミュニティーがぜい弱になっています。地域の中から議員を擁立しようという機運がなくなりつつあります。昔は公民館活動が活発で、学習活動を行う住民団体がたくさん存在して、社会教育の場となっていました。ところが、今はレジャーばかりでして、公民館活動が新たな人材を養成するものではなくなっています。そうした地域社会の変容にメスを入れ、政治風土を変えていかなければならないと思います。
――議員から一住民に戻って寺島さんは今後、何をなさるお考えですか。
私はこれからも地域住民のためにいろいろな活動を続けるつもりです。知力と体力が続く限り、地域振興のために頑張ります。実践の先頭に立ちます。私は議員を辞めた後こそ真価が問われると思っていまして、まずは地域の議員のなり手を発掘したり、育成する「地域政策塾」を開講したいと思っています。飯綱町だけではなくて近隣町村の住民も含めて、みんなで学習し、議論し合う場をつくるのです。塾ができたらぜひとも参加したいという声がすでにたくさん寄せられています。
――地方自治を担う力を養う実践的な寺島塾ですね。寺島さんは常々、地域の人材育成こそが議会改革の柱だといっていました。
そうです。議員定数を削減すれば、能力の高い人が議員に選ばれるという意見をよく聞きますが、それは違います。偶然性の結果でしかなく、(議員定数削減では)議会力や議員力の向上にはつながらないと私は考えます。
多様な意見があることを大前提として、いろいろな人と議論することが何よりも大事だと思います。議論はケンカをすることではありません。お互いの信頼関係があってこそのものです。いろいろな人と論じ合うことで、認識を変えたり、深めたりすることができるのです。こうだと思い込んだら、その自説を変えないかたくなな人間であってはいけません。それでは議論する意味がありませんから。議論しても(考えや認識の深さが議論前と)何ら変わらなかったら、議論の効用がないということになります。飯綱町議会にもそうした議員がいます。