広がる分権への疑念
地方分権は1993年に国会が地方分権推進を決議して以降、第1次分権改革として国と地方の関係を「上下・主従」から「対等・協力」に変え、第2次分権改革では法令で自治体の仕事を縛る「義務付け・枠付け」を緩和してきた。
権限移譲では、地方側の提案を聞いて対応する手挙げ方式が定着した。この結果、最近でも農地転用許可の権限が地方に移り、国の求人情報も使える地方版ハローワークの創設が認められている。地方側の念願が実現したともいえる成果だ。
「国と地方の協議の場」の開催も定着してきた。この結果、国が地方側の要望をむげに断ることもなく、「徹底して耳を傾ける」としていったん検討するというポーズを示すようになった。今や地方が国から権限を勝ち取るといった対決型の構図はなく、協議型に変わってきた。このため地方側も「権限を奪い取った」と住民にアピールすることが難しくなっているのが現実だ。
自治体に権限を移譲さえすれば、住民に身近なところで施策を決めることができ、住民の満足度が高まるというのが、地方分権を推進するうたい文句だった。だが、地方からの人口流出と東京一極集中は続く。限界集落は増え続け、都市部でも待機児童の問題などが改善できていない。地方分権の果実を住民が実感できていないため、地方分権に対する漠然とした疑念も広まっているのではないか。
「闘う知事会」を掲げた時代と違い、地方側が国にもの申すという姿勢も薄れてきている。沖縄県に米軍基地が依然として集中し、米軍普天間飛行場の辺野古移設に関して地元の翁長雄志知事が反対し「地方自治の危機」と訴えても地方側は一つにはなれない。分断統治の成果である。
昨年7月に鹿児島県知事となった三反園訓氏は、川内原発の一時停止などを掲げたが、原発再稼働を止める法的な権限を知事が持たないこともあり12月の再稼働を黙認せざるを得なかった。10月には再稼働に慎重な姿勢を示した米山隆一新潟県知事が誕生したが、三反園氏の例を見れば過度な期待はできまい。
米軍基地や原発再稼働が示すのは、安全保障やエネルギー政策といった国がもっぱら権限を持つ事案について、地元自治体との意見が対立したときには、国は当然のようにして自らの立場を貫く。地方側が協調して対応できなければ、各個撃破すれば済む。だから沖縄に対する実力行使のような強引な手法を採用できる。裁判所は統治行為論を背景に容喙(ようかい)さえしない。
ただこの国と自治体の役割分担という論理は、行政のプロ、学者が納得する世界の話である。住民にとっては身近な自治体がすべてに責任を持つことを期待しているだけに、民意がないがしろにされる状況が続けば、地方自治に対する期待を土台から洗い流し、地方分権が幻想だったということになりかねない。
今年は憲法施行70年であり、同時に導入された地方自治法にとっても古希という節目に当たる。地方分権という国から権限を受け取るという土俵設定を離れて、新しい地方自治の運動を巻き起こさなければ住民の支持は得られまい。