(3)非違法性
条例の違法性が問われるのは、立入調査やごみの撤去命令とこれらに後続する罰則の適用や氏名公表や行政代執行、あるいは即時執行といった強制的手法に訴える場面である。
ア ごみという対物の発想をすれば
ごみ屋敷状態の解消をごみの撤去という対物の発想でとらえる場合には、原因者本人がごみではないと主張することも想定すれば、財産権侵害の違法の可能性が問題となる。京都市条例が「廃棄物とその他の物を分別する」として配慮しているのも、このことを意識している。この財産権侵害の違法性は、その撤去するごみないしごみと判定した物の有する価値と、そのごみ等が原因となって侵害している周辺の生活環境の不利益の大きさとを比較衡量して、ごみ等の価値のほうが大きい場合にいえることである。周辺の生活環境にまで害が及んでいる場合には、通常では考えにくい。大阪市条例の場合は、条例の対象となるごみ屋敷状態を周辺の生活環境を侵害している場合に限定しているので、財産権侵害の違法性の問題が生じる余地はないと考えられる。そのような場合には、撤去命令の違反に対して罰則規定を設けることも問題はない。
イ 私的領域への介入にならないか
一方、京都市条例の場合は、ごみ屋敷状態の解消は原因者本人への福祉的支援でもあるととらえ、ごみ屋敷状態を、生活環境の悪化が当該建築物等の中にとどまり本人にしか害が及ばない場合も含めている。本人にしか害が及ばない場合には、その問題は本人の私的領域内のことであって、強制的手法によって介入するのは、本人の自己決定権を侵害するものとして、違法となる可能性が高くなる⑽。そうすると、京都市条例においても、周辺の生活環境への侵害を除去する場合にしか強制的手法を用いることはできないこととなる。現に行政代執行に踏み込んだ事案でも、撤去の対象としたごみ等は、建築物の外にはみ出して周辺の生活環境に支障を及ぼしている範囲のものに限定して行われた。影響が私的領域にとどまる場合には、罰則の適用も氏名公表も違法となる可能性がある。
ウ 原因者本人のためならば
しかし、本人にしか害が及ばない場合にも法的手段を用いることができないのであれば、京都市条例が掲げる本人が抱える生活上の諸課題の解決という目的を達成することが難しくなる。もちろん、京都市条例第2章によって本人の「意思に従いつつ」本人支援を行うことができることに問題はない。問題は、本人が支援を拒否した場合であって、その害が本人の健康に及ぶようなときに、本人の意思に反して強制的手法を用いることができるかである。
そもそも法的介入が自己決定権の侵害に当たるのは、その自己決定が正常な意思能力のもとでなされた場合であって、認知症状態やセルフ・ネグレクト状態のもとでなされたような場合には当たらないのではないかと考えられる。しかも本人に健康被害が及ぶ場合には、本人のためであるから強制的手法が認められてもよい場合があると考える。その論拠は、憲法上の生存権保障の思想に基づく本人保護の考え方に求めることができる。京都市条例は、こうした考え方を条例によって具体化したものと考えることができる。
エ 原因者本人が意思能力に欠ける場合には
ところが、撤去命令等の法律行為的行政行為が有効であるためには、本人に行政行為を受領することのできる意思能力(判断能力)がなければならず、認知症等が重い場合には、有効とされないおそれがある。このことは、本人保護の場合だけでなく、周辺の生活環境の侵害を除去する場合にも(したがって大阪市条例の場合にも)いえることである。そこで、市長による後見開始の審判の申立てによって成年後見人を選任することも可能であり、そうすることによって撤去命令等は有効に行うことができる。ただし、本人が後見人に報酬を支払う必要が生じることや、誰を後見人に選任するかといった難しい問題もあり、実際的でないこともある。なお、本人が意思能力に欠ける場合には、命令違反ということは成り立たず、罰則の適用や氏名公表は許されない。
オ 即時執行も本人のためならば
京都市条例は、本人が意思能力に欠ける場合を想定したわけではないと思われるが、そうした場合であっても、意思表示を伴わない事実行為と理解され有効に行うことができるとされる、即時執行の規定を置いている。周辺の生活環境の侵害を除去するためにも、本人保護のためにも、用いることができる。
ただし、伝統的な行政上の即時強制が「目前急迫の障害を除く必要上」(11)認められてきたものであるのに対し、即時執行は、必ずしも緊急性の要件を必要とはせず、「相手方に義務を課すことなく」実力行使することのできる仕組みとなっていることについて、国民の権利保護の観点から批判されることがある(12)。しかし、京都市条例における即時執行は、緊急安全措置については緊急性の要件を明記したうえで必要最小限の措置であるとし、軽微な措置については、まさに「本人保護のため」の措置として想定されており、国民の権利保護の観点からの批判はあたらないものと考えられる(13)。