3 被災後の地域機運を支配すること
~首長のコミュニケーション・デザインの重要性~
もとより災害時は不測の事態の連続である。その状況下においてどのように最善の対応をとったとしても、大なり小なり地域住民には被害が生じることになるが、このとき、住民がその状況をどのように認識するのかは、災害を地域一体となって乗り切る上で重要な側面である。
この問題は、単に行政や首長が批判にさらされるか否かという問題だけではなく、災害に対して地域住民が前向きに対処できるかどうか、地域が一体となって困難を乗り切る機運をいち早くつくれるかどうか、という面で重要な観点なのである。
首長や行政が不測の事態の中で、結果として最善の対応ではなかったとしても、精一杯地域のために対応してくれたと住民が認識し、その意識の下で官民一丸となって災害に向かい合う機運をいち早く醸成することができるのか、それとも、被害が出るに至った原因を行政対応の不備に求め、行政批判を繰り返し、行政はその謝罪と弁明を繰り返す中で、ぎくしゃくした関係に陥るのか、被害が同じように生じるにせよ両者の状況の違いは、災害を乗り切る上でも、その後の復旧復興のありようにおいても、大きな差が生じる。
それを左右するのは首長の姿勢によるところが大きく、その下で行われる住民と首長、住民と行政のコミュニケーションのあり方に大きく依存する。首長が住民の苦しみや悲しみに心を砕き、住民と連帯していることが伝わる姿勢を示し、メッセージを発し続けるコミュニケーションをどのようにデザインするのか。そこに重要なポイントがあると感じている。
4 災害をめぐる住民と首長・行政の関係に見る基本構造
災害をめぐる行政と住民、首長と住民のコミュニケーションを論じるに当たり、まずは災害をめぐる行政と住民の関係の基本構造を、いくつかの面から概観しておく。
まず認識しなければならないことは、そもそも「災害対応における満点は0点である」ということである。どんなに対応に成功しても「何も生じない事実」を勝ち取るだけであって、地域住民にとって「何も生じないこと」は当たり前のことである。このため行政の防災対応の貢献は、一般には住民に意識されづらく、住民から感謝を述べられることも極めて少ない。
災害とは被害が生じるから災害であり、災害が発生した時点で地域には大なり小なりマイナスが生じている。その時点で住民は怒りや悲しみなどの、やるせない気持ちを抱くことになる。このような地域にマイナスが生じる事態(=災害)にあって、それを住民がどのように捉えて、その思いをどのように処理するのか、また行政がどのように捉えて、どのように対処するのか、まさに行政と住民のコミュニケーションの問題であり、両者の関係性の持ち方が重要なポイントとなる。
近年の災害を見れば明らかなように、災害は激甚化、複雑化、広域化の様相を呈しており、多くの場合、行政が仮に最善の対応をとったとしても、被災は免れないほどの事態が散見されるようになった。こうした避けようのない災害の存在を住民は理解しつつも、現に生じた被害を前に、住民は行政の責任を責め、万全ではなかった対策の僅かな不備をも追及する場合が多く見られる。このようなコミュニケーション・エラーに陥りがちなわが国の防災体制のどこに問題があるのか。以上の観点を踏まえて考える。