“子ども”も住民であり、主権者
子どもは未成年ではあるが、生活している市町村の住民であり、主権者である。
東日本大震災や熊本地震を受けての復興計画に、消滅可能性自治体の将来ビジョンに、その街で生活している子どもたちの声が反映されているのか。
確かに、子ども自身は成長途中であり、経験も豊富ではなく、自己の意見を明確に伝えることに長けているわけではなく、子どもの周辺にいる保護者や教師などが子どもの声を代弁していく意義もある。しかし、経験が豊富ではないからといって意見がいえないかというとそうではない。子ども時代から、地域の一員として大事にされ、その意見が尊重されることがあれば、地域を愛する気持ちも高まり、その街に対する期待も高まる。
18歳選挙権時代だからこそ、子ども時代から、主権者という意識を持てる場を、自治体のあらゆる場面で設けることが不可欠である。議会においては、行政施策に対して住民である子どもの声がきちんと反映されるよう、働きかけてほしい。
「政治家」「政党」こそ主権者教育に取り組むべき
そして当然のことながら、実際の政治運営に携わる、選ばれる側の「政治家」「政党・政治団体」こそが、率先して子どもの主権者教育に取り組むべきであるのはいうまでもない。その最初の一歩として、子どもを「主権者」としてまず認めること、すなわち、政治家自らの理念や、党として力を入れていくべき政策等を、「主権者」のニーズとすり合わせる形で明確に分かりやすく伝えていくことが重要となってくる。
学校教育に文句をいうだけではなく、議員や政党が自ら、政治の魅力意義、必要性をきちんと発信すべきである。政治不信が強いということは、それだけ政治家側の発信力が弱く、政治家に対するイメージがマイナスとなっているからでしかない。自分のことを棚に上げて学校を批判するのではなく、まずは政治そのもののイメージを高める努力をすべきだ。
未来の有権者にとって政治家は身近ではない。
そこでたとえば、任期4年の地方議会議員であれば、議員全員を4~5人のグループに分けて、グループごとに年に数回、選挙区内の小学校、中学校、高校に出向き(区市町村議会議員は小学校や中学校、都道府県議会議員は高校、というように学年で分けてもよい)、未来の有権者と意見交換をしてはどうか。その際、議員が自らの主張に終始するのではなく、議員の仕事やその街が抱えている課題について、それこそ“中立・公正”を意識して、未来の有権者が理解できるように分かりやすく説明するのである。
未来の有権者とはいえ、その背後には実際の有権者がいる。「A議員の話は分かりやすかった」「B議員は話をするときは笑顔だけど説明が難しい」「C議員は態度が偉そうだった」……こんな会話が繰り広げられれば、保護者にとっても有益であろう。
議員にとっても、市民である子どもの考えや意見を聴く機会となる。さらに、議員と子どもが話し合っている姿をメディアが報じれば、そのメリットもあるだろう。運動会や盆踊り、少年野球大会といった地域行事で名前だけの挨拶をするよりも効果的ではなかろうか。