議員活動って、議員って特別なことでしょうか?
私の議員活動の軸は家庭です。常に主婦の私が見る、知る、求める感覚が主眼であるべきだと思っています。そう考えると、議員に特別な資格や特別な立場が必要でしょうか? 確かに、こうした経験は滅多にできるものではないし、やろうと思わなければできないことには違いないけれど、でも、やるべきことは、私自身が常に思い、感じ、考え、行動するべきものであって、本来それ以上でも、それ以下でもないはずです。
私は、家族と「自然の季節を感じながら生活がしたい」という思いで、30年ほど前にここ斜里町に移り住んできました。自分たちの身の丈に合った生活を楽しみながら、毎日つつましく暮らしてきました。自然豊かなこの環境に不可欠なものは、「多様であること」なのです。目に見えない微生物から大型哺乳類までつながり、連鎖する多様性なくしては、ここ知床の生態系は維持されません。
自然豊かなこの斜里町の環境に不可欠なものは、「多様であること」。これは地方議会も同じ。
いつから、議員はちょっと特別なもので、偉そうで、先生なんて呼ばれて、なのに自分の手にする報酬や研修にかかる費用に後ろめたさを感じながら活動するようになったのでしょう? 本来の議会として課せられた仕事以上に、役割以上に、ある人は権力を欲し、ある人は名誉を求め、有権者もそれを利用し、享受してきたからでしょうか。
様々な年代、職業、そして男女の違い。議会もそうした多様な立ち位置の人が増えていかなくては、なかなか変わってはいきません。そして、世代交代を意識していかなくてはなりません。
情報を出せば、声を出せば、出した分だけ入ってくる、応じてくれる、それが力にもなって一緒に何かを変えていける動きになる。そうしたつながりとベースは、今しっかりとできつつあるはずです。若い世代を見ていて、私はそう思っています。自分もこんな苦労をしたのだから、あなたも苦労するのは当然という、言葉を換えれば「しがらみ」をつくっていくことなく、次の世代が、次の世代の社会をつくっていくために動きやすい、活動しやすい環境をつくりながらバトンタッチできるようにしていきたいと考えています。
この場に、こうして書かせていただいたのも、私なりの議会改革のひとつかもしれない、そう思っています。
毎日の食事のメニューを気にしながら、電気代を節約し、ストーブに薪(まき)を入れながら、3月議会を前にして、町の人たちの声をどうやって伝えていこうか? 一人ひとりが暮らし、生活することででき上がっている町のために、できることは何だろう?
議場に行く前の、私の立ち位置は台所。こんな仲間が増えることを期待しています。