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2018.08.10 議会改革

第3回 岩﨑弘宜さん(取手市議会事務局局長補佐)~議員と事務局がチームとなり、議会改革に取り組む~

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地方自治ジャーナリスト 相川俊英

 チーム議会として様々な独自の取組みを行っているのが、茨城県取手市議会だ。昨年はマニフェスト大賞優秀成果賞を受賞し、今年は議会及び委員会の欠席事由として議員の出産・育児等を会議規則に明記したことで注目された。成果を上げる取手市議会の議会改革の特徴は、議員と議会事務局が一体となって進めている点にある。議員と議会事務局職員が互いに信頼し合い、創意工夫を凝らし、あるべき議会の姿を追い求めている。その取手市議会のキーマンともいうべき人物が、議会事務局の岩﨑弘宜・局長補佐(44歳)。今年で議会事務局勤務23年目というベテランである。明るく、物言う、何事にも積極的な岩﨑さんは、異色の議会事務局職員といえる。毎日、生き生きと楽しそうに議会事務局職員の業務に専心する岩﨑さんに話を聞いた。

岩﨑弘宜さん岩﨑弘宜さん

──岩﨑さんは議会事務局の仕事を実に生き生きとなさっているように見えます。
 議会事務局職員は皆、自分たちの議会がこうなってほしい、こうあってほしいという思いを抱いているものです。そのために議会事務局職員として少しでも役立ちたいと思って仕事をしています。でも、取手市の議会事務局(江角晴次・事務局長以下7人)ほど仕事をしているところは少ないのではないかと思います。私たちは明るく、楽しく、一生懸命に仕事をしています。昔は議会事務局に行きたいという職員はそういなかったのですが、今は希望する人が増えています。楽な仕事とは見られていないのに、頑張れば報われる部署だと評価されているのかなと思います。それがとてもうれしいです。それから(議会事務局が)人材育成力のあるところだと見られているようです。
 地方議会も全般的に以前よりずっと良くなっていると思います。地方議会の間で良いことの競い合いが始まっていて、互いに切磋琢磨(せっさたくま)しています。議員個々の考え方も大きく変わってきました。昔は政策提言をするという考え方など(議員に)ほとんどありませんでしたが、今は違います。それだけ議員の職務は大変になっていると思います。もちろん、議会事務局の責務も同様です。議会・議員(の仕事ぶり)が変われば、議会事務局職員の業務も変わるものです。逆にいいますと、議会事務局職員の仕事ぶりが以前と同じというところは、そこの議会も変わっていないということになります。

──ところで、岩﨑さんは議会事務局に自ら希望して配属されたのでしょうか。
 いいえ、違います。私は、1992年に高校を卒業して合併前の旧藤代町に入庁し、議会事務局に配属されました。辞令交付の後、事務局長が迎えにきてくれました。私は一体どこに連れていかれるのだろうと不安に思いながら、後についていきました。町に議会があることはさすがに知っていましたが、議会事務局の存在は知らなかったのです。人けのない庁舎の3階に案内され、こんなところに部屋があるのかと驚いたら、そこが議会事務局でした。ここでこれから働くことになるのかと思いましたが、何をやるのかは皆目分かっていませんでした。

──それは意外でした。当時の藤代町議会事務局はどのような感じでしたか。
 議会事務局は4人体制で、まるで家族のような雰囲気でした。局長が50代、係長が40代、主幹が30代の女性、そこに18歳の新人の私が加わったのです。最初の1年間は無我夢中でした。当時の藤代町議会は常任委員会が4つありまして、議会事務局職員が委員会を1つずつ担当することになっていました。それで、何も分からない私もいきなり建設常任委員会を任されました。議員が使う言葉の意味さえ分からない私が書記です。(委員会審議が)きちんと録音されているかどうかいつも心配でした。委員会で分からない用語ややりとりがあったら、それらを必ずメモして調べました。私はいつも朝7時前に出庁していまして、誰もいない議会事務局室で先輩たちが日頃読んでいる議会関係の本を開き、1人で必死になって勉強しました。『議会運営の実際』(地方議会研究会編著、全24巻、自治日報社)や『地方議会事務提要』(地方議会実務研究会編、加除式、ぎょうせい)などです。仕事を盗んで覚えていったのです。勉強しなければならない別の要因もありました。

──旧藤代町は政争の町だったと聞いていますが、それも勉強せざるを得なかった要因の1つですか。
 私が町の職員になってしばらくして現職町長が亡くなり、新人候補による三つどもえの町長選となりました。1993年のことです。その選挙で議会内の多数派が推す候補者ではない方が当選しまして、藤代町は平穏な議会ではなくなりました。議案が否決されたり、100条委員会が設置されたりもしました。想定外のいろいろなことが起きまして、議会は(よくいえば)一気に活性化しました。議会事務局も単にルーティンワークをこなすだけではすまなくなったのです。私たちは何が起きてもきちんと対応できるように必死に準備しました。いわゆる危機管理です。そうこうしているうちに、私は議会のすごさ、面白さを感じるようになったのです。と同時に、議会の重要さや活動内容を1人でも多くの住民に知っていただきたいと強く思うようになりました。

──なるほど。そうした経緯があって、岩﨑さんは物言う議会事務局職員になっていったのですね。それで藤代町時代はどんな議会改革に取り組まれたのですか。
 議員と私たち議会事務局職員の間に信頼関係ができていました。上下や主従の関係ではなくなっていたのです。ここがポイントです。もっとも、最初からそうだったわけではありません。こんなこともありました。ある場で私が発言したら、議員から「あんたは黙っていなさい!」と叱責されてしまいました。議会事務局職員が議員に物を言うのはけしからんというのです。その剣幕にびっくりしましたが、「私にはきちんとした名前があります。あんたという言葉は取り消してください」と言い返しました。
 藤代町議会事務局時代に手がけたのが、「ひびきメール」というメールマガジンの発信でした。議会だよりのメール版ですね。その日行われた議会(委員会も)の出席議員と遅刻、早退、離席した議員の氏名や質疑と討論の概要を、登録した住民にメールで送信するものです。議会事務局職員がその日の会議に出席しているときに議事のメモをとり、それをもとに4人の議会事務局職員が概要を箇条書きにまとめ、会議閉会後、約2時間以内に送信していました。大変な業務でしたが、住民の方々に何とか議会に関心を持っていただきたいと思い、必死に取り組みました。議員も私たちを信頼して任せてくれました。この「ひびきメール」を始めたら、議員の離席が激減しました。それから、新人議員を対象にした研修会も議会事務局主催で実施しました。

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相川俊英(地方自治ジャーナリスト)

この記事の著者

相川俊英(地方自治ジャーナリスト)

地方自治ジャーナリスト。1956年群馬県生まれ。地方自治の取材を四半世紀以上にわたって続ける。2017年3月に長野県飯綱町の寺島前議長を主人公とした著書『地方議会を再生する』(集英社新書)、2018年2月に『清流に殉じた漁協組合長』(コモンズ)を出版した。この他に『奇跡の村 地方は人で再生する』(集英社新書、2015年)『トンデモ地方議員の問題』(ディスカヴァー携書、2014年)など多数。

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