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2018.01.25 政策研究

第1回 ネット活用の町民全員会議で町を活性化

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地方自治ジャーナリスト 相川俊英

ごく普通の町、栃木県塩谷町の画期的な取組み

 栃木の県都・宇都宮市からJR東北線で30分ほど北上すると矢板駅に出る。そこからバスに乗り換え、西へ向かって約30分で塩谷町役場に到着する。塩谷町は人口約1万1,000人の小さな町で、財政力指数は0.45(2015年度)。東西18キロメートル、南北21キロメートルの三角形をなす町の約6割が山林原野となっている。北部に日光国立公園の一部である高原山がそびえ立ち、荒川と鬼怒川が地域を挟み込むようにして南下する。西は日光市、東は矢板市やさくら市、南は宇都宮市と接する塩谷町は道路事情もよく、利便性の高さを誇っていた。だが、それは地域特有の課題を生み出す要因ともなっていた。

塩谷町庁舎塩谷町庁舎

 塩谷町は昭和の大合併(1957年)の際に、玉生、船生、大宮の3村が合併して誕生した。当時は塩谷村で、1965年に町制施行して塩谷町となった。平成の大合併では東隣の矢板市との合併が模索されたものの日光市や宇都宮市との合併を求める声もあり、結局、単独の道を選ぶことになった。独特の地域性が多分に影響したと行政関係者は指摘する。
 宇都宮や鬼怒川温泉に隣接する塩谷町は雇用の場に恵まれていた。自然環境もよく、さらには災害が少ないという特性も加わり、住民はのんびり暮らせる好条件を手にしていた。それゆえか、おっとりしていて欲のない人たちが多く、自ら積極的に何かをしようという気概は希薄という。住民の町政に対する関心度も低く、行政へのお任せ意識が浸透していた。そんな物静かな町で唯一、激しく燃え上がるのが、町長選だった。地元の有力国会議員の代理戦争のような様相を呈し、短期間での町長交代がつい最近まで繰り返されていた。
 こうしたどの地域にもあるようなごく普通の塩谷町に今、行政関係者などから熱い視線が注がれている。全国初の画期的な取組みを続けているからだ。インターネットを活用して住民の意見を集約する「町民全員会議」の設立である。
 ことの始まりは2012年8月の町長選だった。元役場職員の見形和久氏が「シンクタンク構想」を公約に掲げ、現職候補を破って初当選した。より多くの町民の意見を聞き、まちづくりに反映させたいと、全町民によるシンクタンクの開設をぶち上げた。しかし、言葉だけが先行し、具体的なイメージが明確化されずにいた。有識者を町外から集めてつくるものと誤解されもした。動きのない足踏み状態に町議会からも批判の声が上がり、町長は事態を打開すべくある行動に出た。町内54集落ごとに住民と話し合う「地域井戸端会議」を企画し、実行に移したのである。2013年の夏だった。

高齢者だけの地域井戸端会議

 見形町長は企画調整課の職員らと各集落を訪ね、話合いの場を持った。設定したテーマは「10年後の塩谷町を考える」というもので、住民から建設的な意見が寄せられることを期待した。地域井戸端会議は平日の夜7時から9時頃まで行われた。参加者は少ないところで4、5人、多くて20人ほどで、平均して12、13人。51集落で開催したので、参加住民の総数は500人ほどに上った。
 しかし、見形町長らは厳しい現実を目の当たりにし、がっくりと肩を落としたのだった。若い人たちの参加を期待していたが、全くの空振りに終わってしまったからだ。会場はどこも高齢者ばかりとなり、若者の姿はなし。話題もまるで事前に51集落で示し合わせたかのように、似通っていた。人口減少への不安と鳥獣被害についてだった。住民の数よりもイノシシやシカ、ハクビシンの方が多くなったとの嘆きが相次ぎ、町長らはその対策などを求められた。当時、企画調整課の担当者として地域井戸端会議に出席した星育男・保健福祉課長は、こう振り返った。「10年後の町の姿について語ってもらおうと考えていたのですが、参加者からは“その頃になったら、俺たちが入る老人施設はあるのか”とか“10年後には俺たちはもう死んでいる”といった話ばかりでした。各集落の要望を聞いたり、お悩み相談室のようになってしまいました」。
 地域井戸端会議の終了後、星さんと同僚の君嶋眞紀さん(現在は産業振興課副主幹)は、より衝撃的な出来事に遭遇してしまった。2人は町の中学校(2005年に3校が1校に統合)に社会科教育の講師役として招かれ、2年生全員(120人)に地域や行政について話をする機会を得た。その際、生徒たちに「将来も塩谷町に残って生活するつもりかどうか」尋ねたのである。イエスという人に手を挙げてもらったところ、わずか数人しか手を挙げなかった。しかも、そのうちの半数は親に残れといわれたからだった。君嶋さんはそのときのショックを忘れられずにいるという。「町に残るという生徒が半分はいると思っていました。私たちのときは、親から“長男は地元に残るもの”といわれ続け、半ば洗脳されていましたからね。今はそういうことをいう親もいなくなってしまったのかと、ものすごくショックを受けました。それほど魅力のない町だと思われているのか、私たちは魅力ある町だと思っているのですが……」。

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相川俊英(地方自治ジャーナリスト)

この記事の著者

相川俊英(地方自治ジャーナリスト)

地方自治ジャーナリスト。1956年群馬県生まれ。地方自治の取材を四半世紀以上にわたって続ける。2019年7月に「議員NAVI」にて連載中の「自治の担い手の再生」を加筆してまとめた『自治体職員のための住民と共につくる自治のかたち』(第一法規)を出版。この他に、『地方議会を再生する』(集英社新書、2017年)『奇跡の村 地方は人で再生する』(集英社新書、2015年)『反骨の市町村 国に頼るからバカを見る』(講談社、2015年)など多数。

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