公益財団法人地方自治総合研究所主任研究員 今井照
「事前復興」の考え方
「震災前」、「震災時」、「震災後」に分けて大震災における議会の使命を全3回で整理している。前回までに「震災時」のうちの「発災直後(初動期)」、「避難期間(初動期経過後)」までが終わったので、最終回の今回はその後の「復旧・復興期」と「震災後」について考える。
災害が収まり、住まいを失った被災者が仮設住宅やみなし仮設に入居する頃から「復旧・復興期」が始まる。最近では「事前復興」という言葉があるように、災害を予測してその後の復興ビジョンをあらかじめ考えておくことが求められている。もちろん事前に計画を立てておくことは重要だが、同じ災害は2つとないので、仮に事前復興が考えられていたとしても、そのままそれを適用してすむ事態には遭遇しないだろう。
したがって完全な「事前復興」は不可能であり、「事前復興」という太い幹から、あらかじめ想定できる限りの枝や葉という分かれ道を設定しておいた方がいい。これらの枝や葉の一つひとつを事前に計画化しておくことは現実的ではないが、「これが不可能だったら」という余地を設けておくことが重要で、つまりこの「事前復興」は完璧なものではないと自覚しておくことに意味がある。
しばしば「復旧と復興は違う」とか、「単に元に戻すだけではなく創造的復興を」と語られることがある。表面的には反対しづらいスローガンではあるが、その中身が問題になる。これらのスローガンに基づくと、被災者や避難者の生活再建ではなく、災害に便乗した事業展開を支援するような「復興」プランになってしまいかねない。
なぜなら、災害という非常事態に遭遇した自治体が、「復旧・復興」に要する経費を自前で調達することは事実上不可能であり、緊急時の財政政策が可能である国の支弁を待たなければならないからだ。ところが、国から調達する経費にはしばしば色が付いていて、例えば、国土交通省や経済産業省からの資金は潤沢で、総務省や厚生労働省からの資金は乏しい。その結果、開発型の「復興」プランに偏ってしまう。こうした事態に対し議会や議員は、被災者や避難者の生活再建という観点から「復旧・復興」の進め方を不断に見直していくことが求められる。
復旧と復興は一体
災害の被災者や避難者が望むことをただひとつにまとめれば、災害前の生活に戻りたいということである。これが復興の大原則となる。このように考えれば歴然とするが、復旧と復興とは異なる概念ではないし、対立するものでもない。もちろん復旧の過程で改善できることがあればするべきである。例えば、以前と比べて漁業者が減少していれば、以前よりは小規模な漁港を復元することはありうる。元と同じ規模の漁港を復旧しても意味はないし、まして創造的復興を旗印に過剰な復興を企図するのはむしろ政策の誤りであり、縮小社会においては資源の浪費と債務の増加につながる。これらは将来の地域を破壊する行為につながりかねない。
ところが、役所は予算の流れで行動する。結果的に補助金の付く復興事業に走りがちであり、その仕事に忙殺されるために、きちんと住民に向き合って復興ビジョンを練り上げる暇さえなくなる。こうして被災者の生活再建にはほとんど手がつかないまま、復旧・復興のための土木建設事業だけが進行することになりかねない。このような役所の動きを止めて、被災者の生活再建を柱にした復興ビジョンを市民参加で策定させることができるのは、議会をおいてほかにない。
災害からの復旧・復興とは、被災者の生活再建が成ることにほかならない。一昔前であれば、自然災害からの生活再建は被災者の自己責任であり、行政が関与することではないといわれていた。行政がやるべきことは道路や水道などのインフラの復旧に限定され、個人の生活再建に対しては様々な人たちや企業からの好意で寄せられる義援金を配分することくらいだった。しかし近年では、政府が個人の住宅再建を支援することが当たり前になっている。これは貧困を放置できないのと同じで、個人の尊厳や社会の負荷を考えれば、政府が支援するべきと考えられ始めたからだ。
まして原発災害は人為的な事故に起因するものであって、法的には賠償の責任者がきちんと規定され(原子力損害の賠償に関する法律3条)、被災者の生活再建はこの賠償に基づいて実施されることになっている。もちろん実際にはどこまでを賠償の対象とするかなどグレーゾーンがあるので、最終的には司法判断に委ねる場合もありうる。また、賠償責任者が快く賠償するとは限らず、実際に被災者が賠償責任者と個別に折衝することも力関係から現実的には難しいから、被災者と賠償責任者との間を仲介して被災者の生活再建を進めることが役所の仕事になる。議会としても、被災者の生活再建を第一として、法律の解釈や条例の制定などを駆使し、復旧・復興期の議論を進めるべきだ(写真参照)。