そして現在、行政の末端機能としての役割が色濃くなっています。
表の「役割」と「内容」を見ただけでも、そのやらなければならないことの多さに、やる気力をなくす人も多いのではないでしょうか。
おそらく長い期間の間に必要なものを追加していった結果、このような多量な仕事内容になったと思われますが、今の時代に合わなくなっているのも一目瞭然で、そのために機能しなくなり、加入しない人が増えたり、解散が起きたりしていることが理解できます。
筆者の暮らす市では、令和元年にある自治会が「解散」しました。
高齢化率約30%の地域で役員を引き受けてくれる人はなく、子どももいない。お祭りも運動会も人が集まらず、市が定めている避難所までも高齢者の足ではたどり着くまでに時間がかかる機能不全の状態となっているにもかかわらず、市自治会連合会という自治会の上部組織に多額の会費を納めなければならないことに疑問を感じた当時の自治会役員たちが発議したものでした。
全世帯へのアンケート調査を行い、「解散がふさわしい」との結果を受け、総会決議を経て解散に至りましたが、解散後には結局、自治会に準じた組織が結成されました。やはり人は一人では生きていけないことが、ここでも見て取れます。現在は金銭的、肉体的、精神的負担が少なく、必須の活動のみを行う会として防災に特化した取組みを行っています。
取りまとめ役をしている元自治会役員は、「以前よりも負担は少なく、必要なことのみを行うので住民からは感謝され、結束が強まった」と話します。しかし、街路灯の電気料を払えずに点灯できない期間があったり、ハザードマップの改正の連絡が来なかったりと、自治体との小さなトラブルは折に触れて起きていることも補足しておきます。
一方、自治会長は組織の役割だけでなく、駆け込み寺のように多くの相談が持ち込まれることによる負担も大きいといいます。自治会長になった途端、「自分の家の屋根が飛んだから何とかしてほしい」、「介護老人ホームに入りたいがどうしたらよいか」といった相談事が次々と寄せられて四苦八苦しているといった話もよく耳にします。
これを「個人の相談事」で処理すれば、自治会長にとっても負担でしかありません。しかし、このような悩みは多くの地域で起きうることで、地域課題、社会課題と捉えて体系的に解決を考えられれば、よりよい「地域」へとつながることになります。また、このような地域課題、社会課題を政治家と協力して解決できたなら、さらに皆が心地のよい地域となるでしょう。そんな場所だと感じられることは、ただ寝るためだけ、ただ生活するだけの住民が、一人ではないことを感じられる場所(地域)へと景色が変わり、それぞれにとってより豊かな生活や人生になるのではないでしょうか。自治会はその可能性を秘めている組織です。
筆者は2年前から「まちづくりコーディネーター研修(自治会編)」を実施しています。学生から80代までの20人程度が参加し、よりよい自治会へ導く人になるべく、その中で「なぜ自治会に入らないのか」を議論してもらいました(写真)。
まちづくりコーディネーター研修(自治会編)の様子
最終的に参加者の皆さんが出した答えは、「その価値が可視化できていないから」でした。その価値とは、「近くに住む人同士が関わることで自分が豊かになり、それが地域の豊かさにつながること」です。
そこで「より豊かに生きられる場所」であるためには、「人との交流」が挙げられ、そのためには「楽しみ」があることが必要だと結論付けられました。幅広い年齢層であっても、生活様式がそれぞれ違っても、話してみれば目指すものは同じでした。これが普遍性というものなのかもしれません。
事実、国の主要都市(浜松市、新潟市、熊本市、岡山市、仙台市、静岡市、札幌市、横浜市、名古屋市、京都市、千葉市、北九州市、さいたま市、川崎市、広島市、堺市、大阪市、相模原市)の自治会加入率と犯罪率(認知件数)、自殺死亡率、年齢中位数(歳)、昼夜間人口比率、核家族世帯割合、単独世帯割合、未婚者割合(15歳以上人口)、母子世帯割合についての相関関係を確認したところ、犯罪率、単独世帯割合、未婚者割合(15歳以上人口)、母子世帯割合で弱いながらも相関が見られました。
具体的には、
・自治会加入率が高い地域は犯罪率が低い傾向
・自治会加入率が高い地域は単独世帯割合、未婚者割合が低い傾向
・自治会加入率が高い地域は母子世帯割合が高い傾向
となります。
あくまで相関関係であり、因果関係でないため、傾向としての認識ではありますが、自治会を通して人との交流が創出されていると考えられ、交流がある場所は、防犯にも一役買っているとも受け取れます。隣近所の人のことを知っている、コミュニケーションがある、というだけで地域住民が異変や不審者に気づきやすいといえるのかもしれません。
挨拶だけで人との距離が縮まった感覚になったことは皆さんあると思います。「楽しい」はこんなちょっとした弱い紐帯(ちゅうたい)から始まり、それが安心感へと昇華するのではないでしょうか。
「楽しい」がつながり、横浜市のある自治会では中学生が自治会役員に立候補し、現在はその中学生の後輩たちが次々と自治会役員に立候補しているという例もあります。その自治会は世帯主だけでなく家族の参加を促し、自治会活動を皆で行う取組みに変容させている工夫も見られます。
筆者は現在、大学生に対して自治体とともに、自治会改革に向けた特別授業を行っています。その中で学生たちから、子どもの頃の自治会の思い出として、「お祭りのときに両親が近所の人たちと楽しそうにお酒を飲んでいる姿を見てうれしかった」といった話が挙がりました。子どもたちの方が「自分さえ楽しければよい」という思いよりも、身近な人たちが笑顔でいることに喜びを感じています。
ある学生は、そんな小さな頃の思い出が忘れられず、大学生になって一人暮らしをした際に、「自治会に入りたい」と大家さんに話に行ったそうです。大家さんからは「会費だけ納めればその必要はない」と断られ、それでも入りたいと市役所に問い合わせ、自治会長を紹介してもらったそうです。しかしその自治会長に連絡を入れると、「〇月〇日に会議がある」といった情報のみが書かれた書類が送付されてきただけで、学生もそこからはやる気をなくし、行動するのをやめてしまったそうです。
人との交流がなかったばかりに、地域活動への参加を希望する若者の思いが閉ざされた例です。
この交流のための楽しみを増幅させるためには、他の事務的要素をやめたり、簡略化や効率化したりする必要があるでしょう。そのためのデジタル化や簡素化であることを心に留め、決して加入率を増やすための取組みにならないことを祈るばかりです。
(1) 鳥越皓之『地域自治会の研究─部落会・町内会・自治会の展開過程─』(ミネルヴァ書房、1994年)。