3 公契約条例の概要
(1)公契約条例とは何か
公契約条例(狭義)とは、雇用劣化を端緒とする公共サービスの劣化の進行を防止するため、発注者である地方自治体が賃金の支払状況を尺度として公共サービスを請け負うにふさわしい事業者を選定し(賃金条項)、契約自由の原則の下、従事労働者の処遇を維持・改善することを契約上の義務と位置付けるものである(上林2015)。
公契約条例は、2009年9月に野田市で初の制定がされ、川崎市、相模原市、厚木市など、2015年1月時点で、12市区で制定されている(上林2015)。
(2)公契約条例の概要
各地で制定されている公契約条例(狭義)では、主に以下の条項で構成されている。「各自治体の公契約条例の主な内容」に当たっては、原冨(2013、図表pp.158-161)を参照していただきたい。
原冨(2013)は、各地で制定されている公契約条例の構成内容として、①公契約条例の目的規定、②適用される契約、③対象者、④下限額となる賃金(公共工事の場合・業務委託の場合)、⑤労働者への周知方法、⑥履行確認の方法、⑦違反への対応、⑧審議会の採用、と整理している。
①の目的規定で、野田市では「公契約に係る業務に従事する労働者の適正な労働条件を確保することにより、当該業務の質の確保及び公契約の社会的な価値の向上を図り、もって市民が豊かで安心して暮らすことのできる地域社会を実現することを目的とする」としている。
②の適用される契約としては、「予定価格1億円以上の工事請負契約・予定価格1千万円以上の業務委託・指定管理者」など、どの条例も、賃金条項を適用する契約を限定している。
③の対象者では、当該工事や業務に従事するすべての雇用労働者や派遣労働者のほか、請負労働者(一人親方)(野田市、厚木市など)など、一人親方を含めている点が注目される。
④の下限となる賃金をどう定めるかは後述する。
⑤の適用労働者への周知では、受注者が「適用範囲、報酬下限額、申出先」を労働者の見やすい場所に掲示するか書面交付を行うこととしている。なお、川崎市では、周知不徹底が発生し、労組の要請を受けてパンフレットを作成したとしている(原冨2013)。
⑥の履行確認では、労働状況(氏名、作業内容、報酬、支払日など)を提出させ、その後、自治体が履行状況調査を行うことが定められている。
⑦の違反への対応では、違反への是正命令に受注者が従わない場合や虚偽申告をした場合には、契約解除、社名公表、損害賠償請求、指名停止等が定められている。
⑧の審議会の採用について、作業報酬下限額等を、労働報酬等審議会で定めている自治体がいくつかみられる。川崎市などいくつかの自治体では、これらの審議会に、有識者や事業者のほか、労働者代表を入れている。
(3)自治体における公契約条例制定の経緯
公契約条例の嚆矢(こうし)となった野田市では、公契約法の整備について、全国市長会に要望したが国が動かなかったことを契機に、2009年9月に公契約条例を市議会の全会一致で可決した。その後、川崎市が、市長の代表質問への答弁を経て2010年12月に、相模原市が庁内検討を経て2011年12月に、厚木市が市長選挙でのマニフェストに載せ、庁内検討委員会を経て2012年12月に制定している。
野田市で公契約条例が制定される前の2008年に、尼崎市議会で議員提案により条例案が提出されたが、議会で否決された(2009年)。野田市長は後に、尼崎市での議論が、野田市の公契約条例を検討する際の重要な論点をいくつも提示してくれた、と評価している。
また、2012年9月には、神奈川県でも、知事が公契約条例について検討する旨答弁し、庁内で研究会を立ち上げた。神奈川県協議会(2014)では、広域自治体である県が(狭義の)公契約条例を制定する場合の課題を整理している。1つに、広域自治体である県において地域間の多様性に配慮する必要性。2つ目に、賃金水準のひとつとされている生活保護基準は市町村により異なること。3つ目に、賃金下限を設けることで熟練工の賃金をかえって下げてしまわないか。4つ目に、公契約条例を制定するより先に、適正な積算手法の確立や最低制限価格適用範囲の拡大などの入札改革を進めるべきこと、が提起されている。
野田市や川崎市、相模原市などにおける公契約条例の制定に当たっては、いずれも首長のイニシアティブが大きく働いているものと思われる。
4 法的視点を含む公契約条例の論点
(1)最少経費・最大効果の原則との兼ね合い
このことについて、そもそも論として、公契約の価格上昇を招きうる賃金条項を定めることの是非が問われてきた。短期的な目先の経済性にとらわれるのではなく、時間軸を長めにとり、技術力の向上につながるような契約内容とすべきであり、そのためには「良質」な事業者を選定し、従事労働者の定着を促進する程度の契約価格の確保が必要であるとの反論がされている。
そして、自治体予算の圧迫への懸念が問われている。これについて、公契約条例による賃金条項は、競争過多による低価格入札を是正するためのものであって、現行の予定価格以上に公契約価格を引き上げることを意図していない。良質な事業者を選定し、従事する労働者の定着を可能にする程度の賃金水準を確保する契約価格の設定は、むしろ自治法の趣旨に沿うと考える。
(2)積算基準の確立と賃金下限額の基準設定
「公共工事設計労務単価」がある工事契約と異なり、一般業務委託契約では積算体系が確立しているとはいえない。前述の神奈川県の協議会でも、公契約条例を定める前に積算体系を整えることが先との意見が提示された。
業務委託における最低報酬下限額の設定基準においては模索が続いている。日本は、欧米と異なり、同一価値労働同一賃金の原則が守られていないことが背景となっている。
公契約条例を制定している自治体では、工事系の契約では公共工事設計労務単価が、その他の業務請負契約では、生活保護基準、最低賃金法による最低賃金、公務の類似職種の初任給などが基準として採用されている。なお、生活保護基準の引下げを受けて、相模原市では法定の最低賃金額に変更している(2015年)。野田市では、業務委託の賃金などについては、すでに締結した契約に関する労働者の賃金を参照して、職種ごとの個別の時間単価を決定している。また、川崎市では、前述のとおり、学識経験者、事業者、労働者代表の三者構成による審議会の意見を踏まえて賃金水準が設定されている。
このことは、賃金設定における一種の「団体労使交渉」といえるのではないか。
(3)履行の確保と事務量増大への対応
「賃金条項」の履行確保をどうするか。またそのための事務量増大にどう対応するかが、自治体の現場にとっては切実な課題と思われる。この点について、野田市のほか、公契約条例を制定している自治体では、賃金条項の対象となる契約を、予定価格などにより絞っているのが実情である。野田市では、2013年度で、工事系の契約が25件、その他の業務委託が21件、計46件が、公契約条例が適用された件数である。現在のところ、条例事務担当者1名が処理できる範囲内であるとのことである(鈴木2013)。
また、履行確認に当たっては、自治体のみが行うのではなく、条例の示した設定基準に基づき、労働者、労働組合、社会保険労務士を活用したモニタリングを実施させることが考えられるのではないか。
(4)「公契約条例(狭義)」によらない公契約改革
筆者は、賃金条項の入らない公契約条例(以下「公契約基本条例」という)についても一定の意義があるとの立場である。公契約基本条例とは、賃金条項を入れないものの、労働条件を整備することを受注者の責務とすることを理念的に条例で定めたものである。
要綱により公契約の適正化を図る事例もある。新宿区では、「新宿区が発注する契約に係る労働環境の確認に関する要綱」(2010年)を定めている。区が受注者の労働環境の確認(社会保険労務士によるモニタリング)に際して基準を示し、これを下回る場合は労働環境改善の指示を行い、報告書提出を求めている。横須賀市では、債務負担行為や繰越明許費など複数年契約ができる手法を活用して、入札時期の平準化を図っている(鈴木2013)。