元・大和大学政治経済学部教授 田中富雄
本稿では、「地域コミュニティと議員」と、これらに関する事項等について再考します。そして、その上で政策過程において、これらの言葉を発するときの「自治体議員の発言に期待される含意と政策」について考えたいと思います。
「コミュニティ問題小委員会」から出された「コミュニティ─生活の場における人間性の回復─」
一般にコミュニティは、町会や自治会のような地域コミュニティと、NPOや学術団体(学会)のような課題コミュニティに区分されていますが、ここでははじめに、コミュニティという言葉が広がるきっかけともなった1969(昭和44)年9月29日に国民生活審議会調査部会コミュニティ問題小委員会から示された、「コミュニティ─生活の場における人間性の回復─」という報告(以下「報告」といいます)を見てみましょう。
まず、報告の「コミュニティの概念」の部分を見ると、そこでは概念だけではなく、コミュニティの必要性・特徴・根底・機能する条件についても述べられています(表1参照)。
(コミュニティの概念)
人々の間に新しいつながりが必要であるとしても、それは人々の自主性を侵害するものであってはならない。またかつての地域共同体にみたような拘束性をそのまま持込むものであってもならない。現代市民社会は拘束からの自由と同時に参加する自由も保証するものである。人々はある時には孤独を愛し、他の時には集団的帰属を求めるのであるから、このような要求に対する開放性が必要である。
以上のような観点から、生活の場において、市民としての自主性と責任を自覚した個人および家庭を構成主体として、地域性と各種の共通目標をもった、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団を、われわれはコミュニティと呼ぶことにしよう。この概念は近代市民社会において発生する各種機能集団のすべてが含まれるのではなく、そのうちで生活の場に立脚する集団に着目するものである。
コミュニティは従来の古い地域共同体とは異なり、住民の自主性と責任制にもとづいて、多様化する各種の住民要求と創意を実現する集団である。それは生活の場において他の方法ではみたすことのできない固有の役割を果すものである。
コミュニティの集団としての外延は明確に定めることが困難である。集団の機能に対応して、大きさの異なる組織が重層的に同時に存在し得るであろう。それは地域的一体性をもつものではあるが、地理的連続性を必ずしも伴わないものであろう。しかしながらコミュニティを形成する根底は生活の場における地域市民の相互信頼である。人々の心のつながりによって維持される自主的な集団こそがコミュニティの姿であり、それが地域的なひろがりの範囲をも規定するものであろう。
同時にコミュニティが十全に機能するためには構成員が社会におけるルールを厳守することが要求される。権利の主張には責任が伴う。行政サービスについての要求には負担が伴う。構成員の自覚と責任において提出される要求は、それが如何なる方法で如何なる負担を伴って実現されるものであるかという点についての認識が明確でなければならず、一方的な権利主張に終始する態度であってはならないのである。
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(注)下線は筆者による。
出典:国民生活審議会調査部会コミュニティ問題小委員会(1969:155-156)
表1 コミュニティの概念
続いて、報告の「コミュニティの現代的意義」(表2)の部分を見ていきましょう。
(コミュニティの現代的意義)
〔略〕かつての地域共同体は「伝統型住民層」によって構成されていた。これが崩壊していく現代を第2段階とすれば、ここには圧倒的な「無関心型住民層」が生れ出ることになったのである。次に来たるべき第3段階においては、生活の充実を目標として目覚めた「市民型住民層」に支持をうけたコミュニティが成立しなければならない。
かくしてコミュニティは古い要求自治的な意識を払拭し、正しい地域の自主的責任体制に基づく主張の場となり、今日われわれの日常生活のより所となって、現代文明社会における人間性回復のとりでとしての機能を確立しなければならないのである。
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(注)下線は筆者による。
出典:国民生活審議会調査部会コミュニティ問題小委員会(1969:156)
表2 コミュニティの現代的意義