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2025.05.26 まちづくり・地域づくり

第5回 大田原市新庁舎建設のコンセプト「庁舎は誰のために」

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前大田原市長 津久井富雄

プレハブ庁舎

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 今年は、大田原市が誕生して70周年になります。ここにも隠れた歴史があります。昭和の大合併、1954年に大田原町、金田村、親園村が合併して大田原市となり、その後、野崎村の一部を編入。1955年には、西那須野町鍛冶屋、佐久山町を編入しました。西那須野町全体との合併も視野に入れていたようなのですが、かなわず将来の夢となりました。大田原町役場を市の庁舎としました。県北の中心の町に役場が落ち着くのは当然でした。妻の祖父・前田豊蔵は合併時の初代の市議会議員でしたので、大田原市本庁舎となった旧大田原町役場を活動の場としていました。
 1963年、将来の西那須野町との合併を想定し、自治体の境である現在地、湿地を埋め立てて大田原市庁舎を新築移転しました。この庁舎は、屋上に時計台を兼ねた展望台を設置したものでした。1999年に私が大田原市議として初登庁したのは、この庁舎でした。平成の大合併(2005年)により、大田原市が湯津上村、黒羽町を編入合併し、新生大田原市が誕生しました。本庁舎は当然、旧大田原市役所です。
 2011年3月11日、東日本大地震が発災しました。大田原市では、3月議会の真っ最中、私は休憩時間中で、市長室で被災しました。庁舎は大きく揺れました。屋上に設置した展望台が揺れを増幅したのです。揺れが収まり、いくつもの裂け目ができた階段を飛び越えながら駆け降り、最後に市庁舎から出てきたのは私でした。この建物はもう使えなくなってしまったと思いました。
 私は2010年9月に「子供にツケをまわさない」と納税者保護誓約書に署名し、これを市長室に掲げていました。金のかかることはやらない。公共財を新築しなければ、守れる約束であると思っていました。当時、庁舎建設の計画も庁舎新築基金の積立てもありませんでした。地震で壊れたのであっても、火災で焼けたとしても、戦災であっても、破壊は誰の得にもならない。「特に私には」と思ったときでした。

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