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2025.04.25 New! 政策研究

第21回 政治と議会・議員

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〈「記録のない」話し合い〉の重要性と危険性

 藤田省三は、休憩時間にのみ討論(議論、話し合い)が行われる現象は「市・町・村議会」に限ることではなく、料理屋や廊下で討論が行われる国会レベルの政治においても同様であるとしています。その上で、こうした「話し合い」には、「パブリック・オピニオン」をつくり上げるために必要な、決定過程における討論を正式な共通のルールに乗せる客観化の過程が欠けていることを、藤田は1960年の段階で指摘していました(趙 2017:205)。このことは、〈「記録のない(ないし公表されない)」話し合い〉には、重要性と危険性があることを示唆しています。

教訓を活かして社会を変える、空気(=マインド)を変える

 石破茂は、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という言葉を使い、私たちはコロナ禍について、そこでの経験や教訓などすぐに忘れてしまうのではないかと述べています(石破=神山 2023:12)。(例えば、コロナ禍では、)リモートワークが一気に広がったり、サテライトオフィスをつくることも広がりました。しかし、コロナで生まれた「希望の点」が「線」や「面」になっていないという課題もあるとし、私たちは、(コロナ禍の)教訓として社会の仕組みそのものを、変えなければならないという認識を持っていると述べています(石破=神山 2023:13)。
 しかし、石破は『「空気」の研究』(山本七平、文藝春秋、1977年)を紹介しつつ、「空気」つまりマインドを変えていくのは、政策を転換するよりも難しいとの認識を示しています(石破=神山 2023:17)。議員には、教訓を活かして社会を変えることが大切であり、その前提として「空気(=マインド)」を変えていくことが求められています。

求められる“本当の政府の理論”としての「無知のヴェール」理論

 「空気」を変えるという意味では、安易な「自己責任論」は変える必要があります。「自己責任論は強者の理論」であり、自己責任論をポジティブにとらえることはできません。「強者」は「勝ち組」の属性(親等の高額所得・安定した家庭環境・本人の良い(きれいだ・カッコイイ等)外形等)による連鎖により、「勝ち組」になっていることが少なくありません。そうすると、強者・勝ち組の存在は、自己の力だけに依存しているわけではないといえます。また、「弱者」も「負け組」の属性(親等の低額所得・不安定な家庭環境・本人の悪い外形等)による連鎖により、「負け組」になっていることが少なくありません。したがって、「強者」が「自己責任論」を主張することはできなくなります。「自己責任論は強者の理論」に止まらざるをえなくなります。
 また、「強者」もあるとき「弱者」になることがあります。失業したとき、大きな病気を患ったとき、重度の障がい者になったときなどです。したがって、ジョン・ロールズ「無知のヴェール」の考え(簡略化していえば、「明日は我が身」という考え)を適用すれば、自己責任論を主張できる「強者」自体が本当は存在しないことになります。したがって、「自己責任論」は消えざるをえないものとなります。自治体に求められるのは「強者の理論」でなく、「無知のヴェール」のような理論です。市民誰もが持つ「無知のヴェール」を考慮する自治体は、政策の数字(政策指標・財政指標や目標値・評価値など)だけを見ているのではなく、市民(特に困窮者)の顔や心を見ています(もちろん、政策の数字を見ることも大切ですが)。
 「本当の政府の理論」では、自治体政府であれば、当該自治体のローカルスタンダードを活かすことも必要です。自治体議会であれば、議会基本条例や自治基本条例の存在がローカルスタンダードの一つとなりえます。ところで、日本で育まれてきた心と技の代表的なものの一つに宮大工の心と技があります。宮大工は、一本一本の異なる木の癖を見抜き、それらを組み合わせることで木を上手に長く活かす、心と技を承継してきました。これと同じように、自治体議会には議員個々の特長を踏まえながら、全議員がネットワークを結び、議員の能力を上手に活かす心と技が必要となります。

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