2025.02.25 政策研究
第59回 組織性(その5):組織境界
バーナード組織論
20世紀組織論の古典といわれるのが、チェスター=バーナードの組織論である(1)。バーナードは、組織とは、2人以上の人間たちの意識的に調整された諸活動・諸力の体系であると定義する。
組織は複数人間があって初めて構成されるが、人間そのものから構成されるのではなく、人間の活動・力が大事だということである。ある意味で当たり前である。例えば、自治体が職員から構成されると考えても、職員の全存在や肉体がまるごと自治体の組織になっているのではなく、あくまで、自治体に関係した活動や力に限定されている。もっとも、この点は、「近代」的な「公私」二元論や、「現代」的なワーク・ライフ・バランス(WLB)を想定した見方ともいえる。職員が、「滅私奉公」、「無定量忠勤」であれば、職員の活動と職員そのものとは、区別がされない。あるいは、日本的「家族主義」経営のように、私生活や家族生活を組織が丸抱え/丸呑(の)みしているときも、同様である。
組織は、諸活動・諸力の体系であるが、衝突や紛争や対立というよりは、協働や協調の体系を想定している。そのため、組織とは協働体系である、といわれることもある。もっとも、協働と紛争の関係も厄介であり、何をもって協働というのかは、見方次第ということもできよう。
例えば、自治体Aと自治体Bは、保育所充実のために保育士を奪い合っているときには、AとBは、対立・競合関係にあり、協調・協働しているようには見えないだろう。実際、常識的にいっても、AとBは別の組織である。しかし、AとBが保育士を奪い合うことで、結果的には、保育士の処遇改善に向けて、給与引上げ競争のように、諸活動を協働で行っているともいえる。とはいえ、それはあくまでAとBの勝手な行動にすぎない。AとBが「保育士確保期成同盟」などを結成し、一緒に国や業界に対して陳情するときに、AとBは、保育士確保という諸活動に限定してではあるが、組織になったといえる。つまり、AとBとが合併して一つの組織になったわけではないが、A、Bから構成される陳情組織という協働体系が成立する。
つまり、組織というためには、諸活動・諸力を意識的に調整したときに、限定されるわけである。たまたま、あるいは、見方によっては、又は、意識せざる形で、協働をしていても、それは組織ではない。組織たるためには、意識的な調整が必要というわけである。上記を例としていえば、「保育士確保期成同盟」という意識的な調整をしているから、当該期成同盟は組織なのである。さらにいえば、国の与野党族議員や厚生労働省・こども家庭庁、保育園業界団体、保育士関係専門職集団、保育士養成学校などが、保育士確保に向けて、意識的に協働するかもしれない。さらには、民間企業・財界、保育園保護者団体、マスメディアなどを横断した「子育て環境促進協議会」などが結成され、協働するかもしれない。
このように見ると、バーナード的組織である協働体系は、非常に大きな広がりを持つことになる。つまり、通常の組織のイメージである自治体A、Bを超えて、各種団体を網羅するようなネットワークも、意識的に調整されれば、組織(協働体系)になってしまう。組織は様々に重なり合いながら、非常に広範な広がりを持ち、境界が必ずしも鮮明ではないものとなる。