2024.11.25 政策研究
第56回 組織性(その2):破綻・再生
「暗黙の政府保証」論と破綻法制論
もともと、当時の小泉政権では、いわゆる新自由主義的な思潮があり、市場原理による組織規律が好まれた。民間企業に対する規制改革は、行政による保護規制を緩和し、市場による競争と淘汰(とうた)を促進することで、企業の経営規律を向上させるという発想である。もちろん、現実の新自由主義的改革は、しばしば格差社会といわれるように、資産・所得の分配の不平等をもたらした。企業経営の自律性が増して、効率的な企業運営ができるようになったというよりは、経営者や株主の自己利益追求の自律性(強欲性(グリード))が増えただけかもしれない。ともあれ、自治体に対する保護規制を緩和することが、自治体の経営規律を向上させるというイメージが生まれた。「地方分権21世紀ビジョン懇談会報告書」(2006年7月)も、そのようなトーンのもとにある。
自治体への規制改革は、新自由主義的な思潮に逆らわない、分権改革の一つのモチーフである。第1次分権改革でも、規制緩和と地方分権推進は車の両輪とされた。また、小泉政権では、「官から民へ、国から地方へ」という標語となった。しかし、企業に対する市場競争の論理を自治体に適用すれば、自治体に淘汰がないことが大きな保護規制となる。同時に、地方交付税をはじめとする財源保障も、「本来」ならば破綻・退場するべき、「身の丈」に合わない「放漫」経営をする自治体を温存するものとされる。
法制的に明示されてはいないが、実質的に自治体が破綻しない前提は、いわゆる「暗黙の政府保証」である。法制的な債務保証・連帯保証又は損失補償などではないので、「暗黙」とされる。実際、日本の地方自治法制で、破綻に瀕した自治体を救済する責任が国にあるとは明示されていない。しかし、破綻したときの法制もない。それゆえ、自治体が破綻しないことが「立法事実」として想定されている。
自治体は絶対に破綻しないと思い込めば、自治体為政者は放漫な財政運営を行い、住民は財政規律を為政者に求めず、金融機関などの貸し手は野放図に資金提供(地方債引受け・融資など)を行うかもしれない。また、地方交付税、国庫支出金、さらには、地方債償還費に対する各種支援措置が国から見込めるならば、自治体の予算制約は可変的に見える。こうした「ソフトな予算制約」のもとでは、歳入予算の範囲内に歳出を抑えようとする動機は減り、むしろ、歳入を増やすように国に働きかけることが合利的になる。
以上のような見解に立てば、地方交付税・国庫支出金の廃止、地方債の自由化、そして、経営に失敗したときの破綻・整理・退場が一つの方向性として浮上しよう。まず、三位一体の改革によって、国庫負担金や地方交付税の大幅削減を行った(2004年度~2006年度)。また、地方債の許可制が廃止された(事前協議制への移行、2006年度から)。その上で、自治体が破綻したときの制度設計が想起された。これが、いわゆる破綻法制論である。もっとも、住民に不可欠サービスを行う自治体が破綻した場合、その不可欠サービスを誰が提供するのかという問題が残る(2)。単に破綻・退場させるわけにはいかない。そこで、サービス提供をし続けつつ、自治体を破綻させる再生型破綻法制論にならざるを得ない。