2024.08.22 リーガルマインド
第10回 剣太14回目の命日から15回目の命日までの間
(2)執筆の重み
第1に、筆者にとっての剣太事件(連載)との向き合い方がある。筆者にとって剣太事件の連載は、何度も剣太事件の記録を読み込み、たどる作業を行うことで、剣太が内面化されているのである。剣太は筆者の中に常時住んでいて一体化している。
剣太の楽しい昔の思い出を英士さん・奈美さんから聞くことは何よりもうれしい。そして、きっと剣太が今この時代に生きていたら、こう発言し、行動していただろうと想像し、一緒に会話をし、景色を共有するなどして、心が温かい気持ちになること、背中を押されたりする気持ちになることが、度々あるのである。奈美さんと剣太のことを語り合っていると、剣太をすごく近くに感じる。しかし、当然のことのように、その後、襲ってくる感情は、「あー剣太に会いたいなぁ」、「直接話を聞きたいなぁ、話し合いたいなぁ」という喪失感である。それが繰り返される。
第2に、上記と関係しているが、証人尋問の記録との向き合いが特別であるということである。第10回のテーマ設定を証人尋問としたのであるが、証人尋問(調書)は、一刻一刻と剣太が元顧問教員から暴行を受け、苦しみ抜いて死に向かう記録である。そしてまた、暴行を働いていた元顧問教員が、自らの暴行の正当性を裁判で主張している記録なのである。この記録を何度も読み込むこととなる。英士さんが剣太は裁判(証人尋問)で再度殺された(2度目)と心境を吐露しているように、また奈美さんが証人尋問で暴行を加えた元顧問教員と向き合うことについて、言葉に表せないほどの怒り・葛藤、つらさは地獄の苦しみであった(人間ではなく鬼になって向き合わなければならない、又は人間としては一度完全に壊れてしまった、とも話される)と吐露している、その一端(炎)に触れることなのである。
この記録を繰り返し読む作業、記録の紙の1頁をめくる作業は、筆者としても、想像を絶する苦しみ・悲しみに襲われる、非常に重く、つらい作業であり、記録1枚1枚に相当の覚悟と魂込めをしない限りは、その頁1枚がめくれないほど重いのである。
この点、遺族の方に伴走し気持ちを理解しよう……ということがよくいわれる。しかし、それは、とてつもなく難しい困難な道のりなのである。
ただし、わずかでも理解しようという姿勢でいること、そうして生きていくことは、少しは可能かもしれない。否、そうしなければならないとの思いで、筆者は、剣太事件に限らず、これまで多くの命に関わる事件に向き合い、そうした中に自分の人生を設定し、歩んできた。
しかし、2023年8月22日から、1年間この剣太事件連載に何度も再チャレンジしつつ、証人尋問というテーマ設定の前で心身が固まってしまったのである。
(3)連載への思い
上記のとおりであるが、この1年、決して剣太と離れたわけではない。むしろ、剣太との関わりは深くなったといえる。行政法の授業で繰り返し剣太事件の講義を行い、子どもや教育に携わる人向けの自治体等の研修でも剣太事件を扱ってきた。日々の仕事や出張先にも剣太の遺品を持ち歩き、天国の剣太に話しかけ、剣太と同じ景色を見て、日常的に会話を続けてきた。奈美さんとも頻繁に会話を重ねた。
だからこそかもしれない。一人で夜、気合いを入れて証人尋問記録に向き合うことは、どんどん気持ち的に苦しくなっていった。気合いを入れても、心が震え、感情があふれ出し、筆が進まず、記録を閉じる。別の作業や仕事に逃避しなければ、自分の感情をコントロールすることが難しい状態、ドキドキして過呼吸になるのではないかという状態が続いてしまったのである。
こうした思いを抱きながら、この剣太事件の連載を続けている。このような筆者の思いを、15回目の剣太の命日を迎える前に吐露させてもらった。
命は重い。
「剣太の切り絵」※剣太の器用さが表れている