2024.06.25 政策研究
第11回 民主主義と議会⑥─「利他」「自他」
〈公然と許容する寛容の精神の成熟〉と〈討論についての試行錯誤〉の前提となる〈「自他」「利他」の議論の継続〉
松下圭一は、政治と議会とルールについて、次のように述べています。相互に死の連鎖をつくり出す党派の暴力による尖鋭(せんえい)な「闘争」は、議会多数派による政府交代という「競争」に置き換えられて、相対化されます。つまり、撃滅から交渉へと変わり、絶対「我」、絶対「敵」はなくなっていきます。そこでは、党派ないし意見・利害の相対化に伴う基本法手続への合意という、市民文化が成熟する必要があります。つまり、外なる敵並びに内なる敵をも、公然と許容する寛容の精神の成熟が求められ、その結果、「暴力」による闘争=戦闘は、「言論」による競争=討論に置換されると(松下 1991:109-110)。
こうした、公然と許容する寛容の精神の成熟と、「暴力」による闘争=戦闘が「言論」による競争=討論に置換されることは、「利他」「自他」の関係をそれ以前よりも希望のあるものとします。ここからは、博愛(全ての人を平等に愛すること)を含めた自由・平等などの基本的人権の確保や平和主義が想起されます。自治体議会においても、公然と許容する寛容の精神の成熟について今一度考え、討論(話し合い)についても試行錯誤するときであるといえます。このことは、今後も「利他」「自他」の議論が継続する必要性を示しています。
結び
本稿では、自治体議員の皆さんが政策過程(課題抽出、選択肢作成、決定、実施、評価)における発言で、意識すべきものとして、「利他」「自他」と、これらに関する事項について考えてきました。そこでは、次のような含意と政策が抽出されたように思います。
- 「利他」とは、他人の利益を追求することを指します。「自他」とは、自分自身と他人の利益を同時に追求することを指します。
- 「アメとムチ」は必ずしも平等・公平をもたらしません。「アメとムチ」は、ときに人や組織や社会に必要以上の褒賞や刑罰(例えば死刑)を生じさせるからです。
- 人は心に「利他」や「自他」の考えを持っています。自己のこれまで愛されケアされてきたという幸せな経験と、努力不足であったという自省(自ら反省すること)の経験が、他者への思いである「利他」「自他」につながります。この「利他」や「自他」の考えを生かすことで、人や組織や社会は漸進し豊かになります。
- 「利他」「自他」の考えを持つことにより、複眼的思考を持つようになります。このことは、複眼的地方政治、複眼的地方自治につながります。
- 自治体議会をより良くし「利他」「自他」の考えを実現すること、そして「利他」「自他」の考えを通してより良き自治体議会を実現することが期待されます。
- 人と自然(植物・動物)の間でも、「利他」「自他」の考えが求められます。
- 自然を不可逆的な状態にしてはなりません。地球温暖化は人工物というネガティブな科学の進歩による帰結です。地球温暖化は、「利他」「自他」の考えに反します。
- 人や組織や社会は「利他」「自他」の考えにより成り立っているため、その前提である自己及び他者の状況を知ることが求められます。その際には、「ジョハリの窓」を用いて考えることが役立ちます。自治体議会にとっては、自己を議会に置き換えて他者の状況を知ることが重要です。
- 「悲しみ」を「幸せ」に変えるためには、「悲しみ」を「分かち合う」ことが求められます。この言葉は、私たちに希望をもたらすとともに、自らの責任と役割を改めて認識させることになります。そこには、「利他」「自他」の考えが見て取れます。
- 人は、試行錯誤を重ねていく中で、すなわち、何かに衝突し、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返すことで自己を知ることができます。そして、自己を知ることは自信になり、逆にそれらのことが「利他」「自他」の考え、「利他」「自他」の実現につながります。
- 自分が健康寿命を延ばせば、誰かのために自分の健康時間を使うことで人生はより豊かになります。回り回って自分も元気になれます。このことは、「利他」「自他」の考えに通底しているのではないかと思います。
- 健康生活には、食生活だけでなく、身体を動かすこと(運動生活)、心(こころ)の生活が求められます。
- 落ち着き/平常心が求められます。落ち着き/平常心を備えるには、様々な経験が重要です。
- 権力志向、うぬぼれ、自己陶酔を防ぐためには、「明日は我が身」意識が有効に働きます。「明日は我が身」意識は、他者を支配しないための想像力となります。この「明日は我が身」からの想像力を育むためには、相手の言葉や反応に対して、真摯に耳を傾け、「聴き・訊く」ことが必要です。
- 「他者の発見」とは「自分の変化」の裏返しにほかなりません。
- 「他者」と「自己」を相互にみんなのものであるコモンととらえることが妥当です。
- 「現代の世代が、今はまだ存在しない将来の世代の声を想像し、負担を未来へと転嫁せず、外部性をつくり出さないこと」、すなわち「現代の世代が脱成長すること」は、現代世代と将来世代の関係が「利他」「自他」関係であることを示しています。
- 公然と許容する寛容の精神の成熟と、「暴力」による闘争=戦闘が「言論」による競争=討論に置換されることは、「利他」「自他」の関係をそれ以前よりも希望のあるものとします。自治体議会においても、公然と許容する寛容の精神の成熟について今一度考え、討論(話し合い)についても試行錯誤するときであるといえます。このことは、今後も「利他」「自他」の議論が継続する必要性を示しています。
■参考⽂献
◇伊藤亜紗(2021)「『うつわ』的利他──ケアの現場から」伊藤亜紗=中島岳志=若松英輔=國分功一郎=磯崎憲一郎(2021)『「利他」とは何か』集英社、17〜63頁
◇鎌田實(2023)『教えて! 毎日ほぼ元気のコツ─図でわかる鎌田式43のいい習慣』集英社
◇斎藤幸平(2020)『人新世の「資本論」』集英社
◇神野直彦(2018)『経済学は悲しみを分かち合うために─私の原点』岩波書店
◇納富信留(2022)『西洋哲学の根源』放送大学教育振興会
◇松下圭⼀(1991)『政策型思考と政治』東京⼤学出版会