2024.04.25 政策研究
第49回 固有性(その5):自治構想
暗黙の自治構想
自治体が、明確に自治構想を決定していなくても、結果的に、通時的に貫くような自治構想が存在するかもしれない。言語化されていない自治構想を、当事者としても、外部の観察者としても、明確に取り出すことは容易ではない。なぜならば、当事者や観察者が、「これが暗黙の自治構想だ」と言語化した段階で、それは明確な自治構想の原案になりえるからである。言語化された自治構想に基づいて、自治体が公式に決定すれば、明示的な自治構想になる。逆に、公式決定がなければ、ある当事者・観察者の描いた自治構想案が、本当に当該自治体に固有の自覚的な自治構想であるかは、権力的には確定できない。講学的又は運動的に提示されるものである。
例えば、東京都政は「日本の政治・経済・文化などの中心(いわば首都)であり続ける」という自治構想を持っているようにも見える。実際、時々の政策決定は、そのような自治構想の反映であると理解できる内容は多い。例えば、都心再開発を積極的に進めるのは、どう考えても飽くなき経済発展への宿願を反映していよう。あるいは、夏季オリンピックを、1940年、1964年、2020年と、「仏(とみん)の顔も三度まで」(?)と、招致してきたのは、世界の中で日本を代表しうる「首席都市(primate city)」という執念かもしれない。
また、「世界都市(world city)」、「地球都市(global city)」として、ニューヨークやロンドンやパリと比肩・比較しうるという位置付けも、日本国内にほかに「世界都市」、「地球都市」は存在し得ないという自治構想を反映しているのかもしれない。さらに、国政で首都機能移転論が展開されたときには、「首都移転NO」(石原知事)を打ち出していたから、やはり政治行政の首都であり続けたいことは、東京都政の政策決定として公式化されている。これらの個別の政策決定の集積から、東京都政は「日本の政治・経済・文化などの中心(いわば首都)であり続ける」という自治構想を持っていると言語化しても、行き過ぎではないだろう。
もっとも、東京都政の政策によって、東京が「日本の政治・経済・文化などの中心(いわば首都)であり続ける」わけではないかもしれない。つまり、単なる地理歴史上の地域事情を記述するにすぎないかもしれない。その場合には、特段の固有性のある自治構想ではなく、環境要因の固有性にすぎない。もっとも、例えば東京一極集中など、通時的に持続する環境要因が存在し、それによって政策選択の方向性が枠付けられるならば、実質的には、暗黙の自治構想となろう。例えば、結果として生じている経済的果実を、遊興に使う「都性」があると考えることもできる(1)。