2024.01.25 政策研究
第46回【番外編】補充的指示権論
伝家の宝刀論?
補充的指示権は、今次答申が歯止めをかけようとしているように、要件・手続を厳格に制限すれば、実際にはよほどの事態にならなければ使用されないので、自治体に対する悪影響はまずないという議論もある。現実には使われない「伝家の宝刀」として鎮座するだけなので、実害も少ないという発想である。もっとも、使用しないならば、そのような法制度は不要である。また、使用しなくても効果があるならば、自治体に対する萎縮効果はあるので、自治体現場のイノベーションと提言とコミュニケーションを妨げ、これは有害である。
もっとも、今次答申要件は、①「大規模な災害、感染症のまん延等の国民の安全に重大な影響を及ぼす事態において、国民の生命、身体又は財産の保護のため必要な措置の実施の確保が求められる場合」とする。これに加え、②「その事態が全国規模である場合や全国規模になるおそれがある場合、あるいは局所的であっても被害が甚大である場合などの事態の規模・態様や、当該事態が発生している地域が離島等のへき地であり迅速な対応に課題があるなどの地域の状況その他の当該事態に関する状況を勘案して、当該措置を的確かつ迅速に実施することが特に必要であると認められるとき」とした。また、③「目的を達成するために必要な最小限度の範囲で、地方公共団体の自主性・自立性に配慮して行うようにしなければならない」とする。
いずれも、実際には、ほとんど歯止めにはならない。「重大な影響」、「被害が甚大」、「特に必要である」などは、国は何とでも判断できる。補充的指示権は、愚かな、あるいは、パニックで気が動転した為政者が、抜こうと思えばいつでも抜ける妖刀である。しかし、怖くて振り回せない妖刀である。ところが、使わなければ「使え」という声が幻聴のように響いてしまい、冷静な判断なく揮(ふる)ってしまう。
おわりに
このようにして見ると、今次答申の補充的指示権は、国民の生命・身体・財産の保護には効果がないばかりか、逆効果・副作用を促すだろう。にもかかわらず、国が法的権力を持てば問題が解決するかのような思い込み(法力信仰)が、中央政官界にはまん延している。こうした議論が「平時」の「平常心」でなされる状態こそが、個々人又は国民の生命・身体・財産の保護にとっても危機的な平常心を失った恒常的パニックともいうべき重大事態(「非平時」)であり、住民生活を守る自治体にとっての重大事態でもある。しかし、自治体の当事者にも国政への依存と権力行使への信仰が波及しているのであろう。誠に残念な事態である。