2024.01.25 政策研究
第46回【番外編】補充的指示権論
東京大学大学院法学政治学研究科/公共政策大学院教授 金井利之
はじめに
この連載は、議員のための自治体行政学として、自治体に関わる様々な特性を、当面の具体的現象からは一歩距離を置いて、理論的・多角的に解明しようというものである。しかし、2023年12月21日に、国は、第33次地方制度調査会の「ポストコロナの経済社会に対応する地方制度のあり方に関する答申」(以下「今次答申」という)を活用して、補充的指示権なる新たな集権的方策を打ち出した。これは、2000年の第1次分権改革のみならず、戦後自治制度の前提をも掘り崩しかねない、国・自治体間関係に深刻な影響を与えうる重大事態である。その割には、自治の現場での危機感は乏しい。今回は、連載の番外編として、この補充的指示権論について、取り上げてみたい。
国民の生命・身体・財産の保護のための措置という国の役割
第1次分権改革は、国の役割を限定し、自治体が広く内政を所管する役割分担論を想定していた。したがって、従前の機関委任事務・団体委任事務という国の事務も、現に自治体が処理しているのであれば、自治体の事務(地域における事務)として位置付ける(現住所主義)。しかし、こうした自治体の事務に関して、国が全く役割を持たなくなるわけではないから、国には権力的(法力的)又は非権力的・事実的(知力的・財力的・実力的)に関与をする役割がありうる。そうした国の役割の具体的な中身は、地方自治法というよりは、政策ごとの個別法で規定される。その中には、法定の重大事態において、「国民の生命、身体又は財産の保護等のための措置」を的確かつ迅速に実施することが特に必要であると認められるときには、国は必要な指示ができる、と法定するタイプの国の役割もある。
今次答申によれば、「国民の生命、身体又は財産の保護のための措置」が必要であるにもかかわらず、個別法の規定では想定されていない事態が生じた場合には、国は自治体に対し、個別法に基づく指示を行えず、地方自治法の一般制度でも、自治体の事務処理が違法等でなければ、法的義務を生じさせる関与を行うことができず、個別法上も地方自治法上も充分に役割を果たすことができないという課題があるとする。
このため、今次答申は、自治体の事務処理が違法等でなくても、自治体において国民の生命、身体又は財産の保護のために必要な措置が的確かつ迅速に実施されることを確保するために、国が自治体に対し、地方自治法の規定を直接の根拠として、必要な指示を行うことができるようにすべきとした。
もっとも、個別法の規定がないにもかかわらず、なぜ「国民の生命、身体又は財産の保護のための措置」をとる具体的な役割が国にある、と予断をもっていえるのかは不明である。抽象的には、国は(国民に限らず)個々人の生命・身体・財産を保護すべきであろう。しかし、そのようなことをいえば、これだけ貧困や感染症がまん延し、自殺者・過労死・介護育児殺人、交通事故死が多数発生し、いじめ・DV・ハラスメント・犯罪・ストーカー・ヘイトなどがまん延しているにもかかわらず、個別法の所管領域ではあっても、効果的で具体的な措置には至っていない事案はたくさんある。それは、全国的にもコロナ禍・対策禍死者・大規模災害被災者の員数に匹敵するともいえる。資本主義・市場経済や主権国家体系という世界のあり方自体が、恒常的な災害ともいえてしまう。その意味で、国民の生命・身体・財産の保護を持ち出せば、国の役割が正当化できるというのは、いささか誇大妄想であろう。加えて、地方自治法で、国に対して一般的に生命・身体・財産を保護する措置の権限を付与するのは、そもそも地方自治法の規定すべき所管範疇(はんちゅう)を超えている。さらに、国に具体的な役割があるとしても、それを実現するのは自治体に対する法的権限(法力)を行使することであるとも限らない。